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カリスマになりたいのですが、カリスマってどういうことですか?

  • フットボールサミット 第2回  検証・中田英寿という生き方
  • 権力と支配
  • ブッダ
  • 劇画ヒットラー
  • Pen (ペン) 2013年 2/15号


選書 幅 允孝(ブックディレクター)

Profile

フットボールサミット 第2回  検証・中田英寿という生き方

(カンゼン)

日本サッカー史におけるカリスマと言えばだれになるだろう。オリンピック銅メダルの釜本邦茂? 最初の海外移籍選手である奥寺康彦? Jリーグの象徴的な存在でいまなお現役を続ける三浦知良? 見る観点によって様々な意見が出るであろうこの話題。ここで、誰よりも世界への入り口を広げた選手、中田英寿をカリスマだと仮説し、この本を読み進めてみるととてもおもしろい。
ジャーナリストの大泉実成は、中田はサッカー界にとっても個人的にも“英雄だった”が、U-17時代のチームメイトの中には、“2人の中田”がいたと言う。英雄としての中田と、“英雄になる以前の中田”が。そしてその元チームメイトの何人かは、英雄中田のイメージを壊すことを恐れ過去を語りたがらなかった。当時、財前宣之という圧倒的な存在を前に、中田は王様ではなかった。“変わり者”だった。中田のマネージメント会社であるサニーサイドアップの代表次原悦子は、「(中田は)弁は立つ。頭がいい。でも誤解されやすいし、彼の良さは理解されづらい」、だからこその我々の存在だと言った。生まれついての天才ではなく、用意周到な準備と努力で、その後の類まれな実力を導いた中田は、試合を支配するだけの実力と頭脳を持った選手になった。つまりカリスマに“なった”。だがひとたびピッチを離れると、彼は誤解を受け続ける。サッカー選手が選手でなくなってなおカリスマであることは可能か、もしくは必要があるか。中田の今後を見守りたい。

権力と支配

マックス・ウェーバー(講談社)

現代社会学の祖とも言われるマックス・ウェーバーの代表的論考。ウェーバーが考えだした有名な「支配の三類型」という概念は、合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配という3つからなっている。「合法的支配」は、成文化された秩序、つまり法に則った秩序と権限による支配。具体的にこの人ということではなく「没主観的・非人格的秩序」に服従すること。ウェーバーは歴史的必然によって行き着くのは、合法的支配の官僚制だと考えている。「伝統的支配」は、古くからの伝統の神聖さや権威に感じる正当性による支配。そして「カリスマ的支配」は、「ある人物およびかれによって啓示されるか制定された秩序のもつ、神聖さとか超人的な力とかあるいは模範的資質への非日常的な帰依」というかたちをとる。
サッカーに当てはめてみると、「伝統的支配」は、監督という受け継がれる権力に当たるかもしれない。千差万別それぞれの手法をとる歴代監督たちで、その権威の大きさや意味合いは変化する。ピッチ上で行われているのは、「カリスマ的支配」。かつて日本の王様と言われた中田英寿、世界の王様だったペレ、皇帝ベッケンバウアー、将軍プラティニなど、肩書きこそ伝統的、合法的ではあるが、彼らが発揮していた持ち前の“超人的な力”や“模範的資質”は、明らかにカリスマのそれだった。

ブッダ

手塚治虫(潮出版社)

ブッダ、元の名をゴータマ・シッダルタ。コーサラ国の属国、カピラヴァストウのシャカ族の王子としてカースト制の最高位(王族)クシャトリヤの身分に生まれる。生後まもなく母親が死に、伯母に預けられたシッダルタは、死や老いについていつも考えていた。結婚、子どもの誕生を経て、神の化身ブラフマンに導かれ、悟りの道へと歩み始める。様々な王族、庶民、賤民、悪党に出会い、学び、仏教の教えを広めていった。輪廻転生や煩悩からの解脱、因果応報、縁起の概念など、苦を脱しながら世界と繋がり、かつ心を自由にするための方法が、ブッダとその周りの人々の生きざまを通して描かれる。
いわゆる仏教の開祖として知られるブッダだが、手塚自身は「仏教の教えを説いた宗教的カリスマであるよりも、哲学者として偉大である」と考えていた。人を率いて先導することよりも、人間の業に気付き、考え抜き、話し、共有した一人の哲学者として。ついて来いではなく、気づけば語る背中に人の列ができている。そういう意味ではやはり、結果的にカリスマとしての偉大さがそこには共存していたのだろう。考えること、行動すること、生きることそのもので人を率いる男、バッジョやジダン、もしくはジェラードあたり。口数の少なかったヒデもそのタイプかもしれない。

劇画ヒットラー

水木しげる(筑摩書房)

カリスマ性のある人間が、必ずしもいい方向にその性質を傾けるとは限らない。宗教や政治の世界においては、悪い方向を向く人の方が多いかもしれない。ナチスドイツの独裁者にして、ユダヤ人を虐殺し、56歳で自殺を遂げたアドルフ・ヒトラー。アーリア人至上主義という民族主義と反ユダヤ主義という、一方的なふたつの信念による、あまりに残虐な行為・行動は惨憺たる結果を生み出してしまった。気をつけなければいけない/恐ろしいのは、歴史の悲しい出来事をなしたヒトラーは、(表立っては)合法的な選挙を通して徐々に権力を拡大していったということ。つまり彼の指導力、思想、カリスマにある一定数の国民が少なからず惹かれていた部分があったらしいことだ。
戦争によって片腕を失った漫画家水木しげるは、ヒトラーのカリスマ的な魅力や残虐な行為そのものに焦点を当てるのではなく、誇大妄想狂が芸術家を目指しながらも徴兵され、政治の世界で頂点を奪取しながらも戦争に負け、最後に自ら命を絶つまでを淡々と描いている。世紀の大悪人として考えられる彼の、民族のためという想いはどこまで純粋だったのか。多くのドイツ人(アーリア人)を熱狂させたのは、思想を先導/扇動する彼の想いだったのか。恐怖だったのか。

Pen (ペン) 2013年 2/15号

(阪急コミュニケーションズ)

1917年生まれ、1963年に射殺された第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。細いラペルの2つボタンジャケットをさらっと着こなし、袖から見える時計にも気を使い、休みでもさわやかなアイビースタイルで過ごす。そんなスタイリッシュな男が、大統領であった期間はたった1037日間(日本なら長いのかもしれないが…)。でも彼は、いまなおアメリカ歴代大統領の中でも随一の人気を誇り、尊敬を集めるカリスマなのだ。
キューバ危機、アポロ計画、公民権運動などなど、夢と希望と自由について、彼の功績は挙げればキリがない。テレビの普及のタイミングとも重なり、知的で熱意に溢れ、ナイーブ過ぎるほどに誠実に本音を語った彼の演説は、彼を取り巻く恵まれた環境への憧れとともに、国民を惹きつける大きな要因となった。カリスマは良くも悪くもメディアによって、そのカリスマ性を増幅させる。日本とアメリカでの初めての衛星同時中継が、ケネディ暗殺のシーンだったということも、象徴的な出来事といえるだろう。よく知られた大統領就任演説の言葉「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」。カリスマが人を行動に導く。ケネディ政権を象徴する言葉である。

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幅 允孝(はばよしたか)

BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。
国立新美術館ミュージアムショップのスーベニアフロムトーキョーやTSUTAYA TOKYO ROPPONGI、LOVELESSなどにおける本のディレクションや、d-labo(スルガ銀行ミッドタウン支店内)などのライブラリー・ディレクションを手掛ける。ほか、編集、執筆、ディストリビューション等、本周りのあらゆる分野で活動中。最近では、渋谷のSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS、銀座のHANDS BOOKSがオープンしました。
BACH : http://www.bach-inc.com

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