背中押します。あなたの「サッカーの夢」を叶える本。

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フォトジャーナリストたち見つけた、サッカーのある風景と世界が知りたい。

  • ボールピープル
  • フットボール百景
  • フットボール・デイズ
  • マグナムサッカー
  • MORE THAN A MATCH


選書 幅 允孝(ブックディレクター)

Profile

ボールピープル

近藤篤(文藝春秋)

「ナンバー」を中心に、サッカー写真やポートレート、旅などの写真を撮っている写真家、近藤篤は、本書を「始まりや終わりも起承転結もなく、うざいメッセージや小難しい理屈は抜きで、すべてが渾然一体と」なった本であり、文章は「ほぼサッカーと女の子のことだけ」で、写真のことなんてそれらのずっと後のことだと言う。確かに近藤が書いているのは、球と玉が本能で追いかけた、サッカーのある風景とかわいい女の子のことなのだけれど、彼の写真はそうした無邪気さとエロさを渾然一体にしたものであり、真っ直ぐに熱く人間を見つめる眼が、カメラを構える度にニヤニヤしているであろうことを想像させてくれる。彼はサッカーの分析をするわけでもなく、ただ目の前で、サッカーが起こす奇跡を見たいだけなのだ。冒頭で砂浜の写真に添えるように引用されたアンドレ・ジッドの言葉が、彼の生きざまを象徴している。「浜の真砂は心地よいと読むだけでは私は満足しない。私は素足でそれを感じたいのだ」。サッカーは、撮るのも見るのも好きだけれど、やるのが一番好きな近藤は、サッカーの試合中に猛ダッシュを繰り返し、心臓麻痺か何かで死ねたらいいなと思っているらしい。ボールピープルを追いかける彼が、端から見たらいちばんボールピープルなのかもしれない。

フットボール百景

宇都宮徹壱(東邦出版)

自らをフットボールの“犬”と称して、日本はもちろん世界中のマイナーなサッカーを嗅ぎつけ、追いかける、写真家でサッカージャーナリストの宇都宮徹壱。『幻のサッカー王国』では、ユーゴスラヴィアの解体とサッカーを、『ディナモ・フットボール』では国家権力とロシア・東欧のサッカーを取材し、『股旅フットボール』では日本の各地方の4部リーグのチームを追っている。そして本書は、「週刊サッカーダイジェスト」で連載していた、サッカーにまつわる何でもありの風景と言葉の記事をまとめたもの。どこまでマイナーが好きなんだと突っ込まれる宇都宮は、ユーモアと真摯さでもって、マイナーと呼ばれる領域だからこそのサッカーへの純粋な想いと熱を愛し、ボトムアップによるサッカー文化の成熟を期待しているのだ。
アンプティサッカーと呼ばれる、足を切断した選手たちのためのW杯で、23歳の日系三世のエンヒッキ・松茂良・ジアスを知り、日本にこのサッカーを伝えた彼をアンプティサッカー界の“セルジオ越後”だと賞賛。不思議なイントネーションの関西弁を操るJFLガイナーレ鳥取のタイ人監督ヴィタヤ・ラオハクルは、本国からの帰国オファーを断り、ガイナーレをJに昇格させるべく、チームと一体となる決意を笑顔でしたと伝える。ここには宇都宮自身が取材を通して始めて知ったこともたくさん書かれている。彼が新しいことを知ることは、私たちが新しいことを知れるチャンスでもある。この本には、そうした新しい事実に出会うチャンスがたくさん埋まっている。

フットボール・デイズ

カイ・サワベ(双葉社)

近藤篤や宇都宮徹壱と同じように、世界を旅しながらサッカーのある風景を撮り続ける写真家カイ・サワベの視線は、ふたりのそれよりもずっと静かで、冷静であり、より“普通”もしくは“日常的”だ。世界のある都市とそこのサッカーチームについて、地元の人々の声を掬い上げた本書。日本にプロサッカーができて20年、私たちは、世界各国のリーグやチーム、一部の有名選手の存在は知っていても、そのチームが地元の人々にとってどんな意味を持ち、どう愛され、そのチームでなくてはならないのかについて全くといっていいほど知らないのだ。そもそもその存在すら知らないリーグやサッカー文化がたくさんあるという、当たり前の事実に気付かされる。
例えば人口わずか5万人、デンマークのフェロー諸島。この地域は、1942年にリーグはできていたものの、デンマーク自治領であるため92年までFIFA加盟が許されていなかった。5万人の人口で6000人超のリーグ登録選手がいるこの島にとって、独自の代表チームは「やっと自分たちが心をこめて応援できる」存在であり、同時に「負け続けることが、どんなにストレスになるのか」も教えてくれるものでもあった。言ってしまえば、“地元”の代表チームがどれだけその土地の人々にとって大切なものか、ただひたすらそれを書き、撮った本だ。積み重なった歴史をひとりひとりの個人史から紐解く、人に根ざしたサッカー紀行。

マグナムサッカー

(ファイドン)

ここに掲載されている写真家たちの多くは、おそらくサッカーを撮るために世界を廻っていたわけではない(スタジアムに出向いている人もいる)。ところが、そのアーカイブを紐解いてみると、驚くほど彼らのフィルムにはサッカーが記録されていたのだ。世界的な写真家集団であるマグナムは、ジャーナリスティックな作品を中心にしながら、それぞれの写真家の目線は実に多様で多彩。サッカー好きな人もいれば、スポーツとしてのサッカーには興味がなく、社会や文化としてのスポーツに興味がある人もいる。ただひとつ間違いないのは、サッカーが、マグナムの写真家たちが撮る、もしくは撮りたいと願ってきた、土地や歴史に根ざした人間の営みが顕著に現れるスポーツだということ。
そこに写されているのはハイレベルなプレーや美しい戦術ではない。プレーする人はもちろんなのだが、それ以上にどこでプレーしているのか、どんな状況でサッカーを楽しんでいるのかということに興味は引かれていく。綺麗な芝生の上のスポーツではない、ある程度の空間と丸い何かがあれば、そこはサッカー場になるような遊び。その場所と住む人の関係性、人と人との関係性は様々だけれど、与えられたどんな社会や生き方の中でもサッカーは誰もが平等に楽しむこと、夢見ることができる特別なスポーツだということを、この写真集は訴え続けている。

MORE THAN A MATCH

Stuart Clarke(Ebury Press)

写真家スチュアート・クラークが撮り続ける、「Homes of Football」と名付けられたプレミアリーグの風景。イギリス人にとってサッカーは、見ること、プレーすることだけのものではない、生きること=生活と同じような存在であることを、この写真集は教えてくれる。91年から続くコレクションと展覧会は、「The National Football Museum」の収蔵作品となりながら、今なお継続的に行われている。20年以上続けられ、10万枚を超える記録となった「Homes of Football」の目的について、"(「Homes of Football」を撮ることは)たとえ人々が語り、行うことの多くが美しくないとしても、国家(民族)の美しさを示すため。常に世界との勝負であるサッカーの美しさを示すため。そしてそれを示し続けるため"なのだとクラーク本人は語る。
雑誌「TIME」は、『ぼくのプレミア・ライフ』でアーセナルファンの狂気と悲哀を描いたニック・ホーンビィと並べて、クラークの写真を、"もしニック・ホーンビィが、90代のファンに声(言葉)をあてがったとすれば、クラークはファンに顔をあてがったのだ”と評した。試合そのものよりも試合を見つめる人を、スタジアムの周囲の環境を、生きることとサッカーが悲しいほどに地続きである人々を、彼は撮り続けている。

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幅 允孝(はばよしたか)

BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。
国立新美術館ミュージアムショップのスーベニアフロムトーキョーやTSUTAYA TOKYO ROPPONGI、LOVELESSなどにおける本のディレクションや、d-labo(スルガ銀行ミッドタウン支店内)などのライブラリー・ディレクションを手掛ける。ほか、編集、執筆、ディストリビューション等、本周りのあらゆる分野で活動中。最近では、渋谷のSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS、銀座のHANDS BOOKSがオープンしました。
BACH : http://www.bach-inc.com

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