いま、雄踏総合公園球技場にいます。

竹田聡一郎コラム 日々是蹴球

カメラ/FinePix HS50EXR 提供/FUJIFILM

竹田聡一郎(たけだそういちろう)

Profile

第四百四十試合

応援歌とボール

草野球の全国大会があったので浜松に行ってきた。僕は堅守巧打で、チームを力強く2回戦負けに導き、鰻の入ったチラシ弁当を食べたら暇になったので、プラプラしていたらすぐ横の球技場で少年サッカーのリーグ戦をしていた。浜名湖から風が吹いてきて、キリンの「静岡に乾杯」が美味しい。
 
ゲームはさすが王国、といった具合でほとんどの選手はボール扱いに長けていた。アウトサイドやインサイド、インフロント、ヒールなどは当然として、今の子はつま先や足裏、人によっては脛なども駆使してボールコントロールする。ほええと間抜けな声を出して「静岡に乾杯」をお代わりだ。
 
そのうち、懐かしい歌が聞こえてきた。アルプス一万尺の旋律だ。
 
「俺たち浜名湖(仮名)炎のイレブン、勝利を目指してさあ行こう」
 
僕も少年団時代、よく歌った。同じく「よく歌ったなあ、懐かしいなあ」という方はベンチを温めていたご同輩と察する。ただ、割と強かった僕らのチームの歌詞はもっとひどいというか、傲慢だった。
 
「これから始まる大根(おおね)の攻撃、何点入るか分からない」
 
と始まり「ランラララー」のところで早口になって「1点2点3点4点5点6点7点8点9点10点11点、まだ入る」という、相手チームが聞いたら怒りそうなシロモノだ。
 
記憶が繋がってくる。他にもリゲインの歌とか鉄骨飲料のテーマソングをモジって応援歌にしていた。相手のセットプレーでは「こっこ、集中ー」と永遠とシャウトし続ける応援もあった。原曲が何だか分からないけど、やたらとウェイウェイと騒ぐ歌もあった。ひょっとして大根ラディッシュの補欠軍団は早すぎたパーリーピーポーだったのかもしれない。
 
試合には出たかったけど、あれはあれで楽しかったなあと思う。僕は小さい頃から身体と声だけは大きかったし、そういう意味ではチームに貢献していたのではないかと自負する。
 
逆に試合に出るようになって応援歌を歌われて奮い立たされたかというと、あんまりそんな記憶はない。むしろ、コーチングが聞こえなくなってうるせえなと思ったような気もする。勝手な言い分かもしれないけれど、応援というのは観客の特権だと僕は思っている。プロの興行に限ってはなおさらだ。応援するもしないも、お金を払っているのだから自由だろう。
 
昔、アジア予選のアウェイゲームを座って観ていたら、いわゆるコアサポと呼ばれる人に「おい、声出せよ」と詰め寄られたことがある。夜なのにサングラスをかけた金髪の人だった。「僕、じっくり試合を観るのが好きなんですよ」と伝えると「そんなヤツは家でテレビ観てろよ」と返されてすごい嫌だった。こんなことならメインスタンドで観れば良かったと思ったが、代表やACLのアウェイでは、日本人はゴール裏のチケットしか買えないこともある。
 
そんなことがあっても僕はサッカーを観る旅が好きだから、まだスタジアムに通っているが、同じような経験でスタジアムに行くのをやめてしまった人もいるかもしれない。そう思うと、何だか気持ちが重くなる。「特に歌わない日本代表観戦ツアー」みたいなのがあったら意外と需要は伸びるかもしれない。ロシアW杯に向けて旅行代理店はやったらいかがだろうか。
 
ところでアルプス一万尺は松本山雅が勝利した後に「勝利を信じてガンガン行こうぜ! 山雅の勢いは止められない」と歌うなど、多くのチームが凱歌として使うようだが、日本代表サポーターもバモバモおーおーオイオイばっか言ってないで、クールな凱歌を作ったらどうだろう。もちろん、それを歌うのは金を払っている観客個人個人の自由だ。僕は今、応援歌はあんまり歌わないけれど、凱歌なら歌ってみたいなと思う。ロシアで歌えたら最高じゃないですか。
 

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竹田聡一郎(たけだそういちろう)

1979年神奈川県生まれ。同い年の小野伸二にヒールで股抜きされたことを妙な自慢としながら、フリーランスのスポーツライターとして活動。戦術やシステムを度外視した「アンチフットボールジャーナリズム宣言」をして以来、執筆依頼が激減したのが近年の悩み。著書に蹴球麦酒偏愛清貧紀行『BBB』(ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅/講談社文庫)と、このコラムを書籍化した『日々是蹴球』(講談社)がある。

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