いま、Andy Livingstone Fieldにいます。

竹田聡一郎コラム 日々是蹴球

カメラ/FinePix HS50EXR 提供/FUJIFILM

竹田聡一郎(たけだそういちろう)

Profile

第四百四十一試合

バンクーバーのボール

カーリングの取材でカナダに来たが、カーリングのボンスピル(大会)はローカルな街で開催されることも多い。スウィフトカレントとか、バーノンとか、レッドディアとか、どこやねん的な街に行く。それはそれで楽しくはあるのだが、僕のような神奈川県秦野市出身のシティボーイは時に都市が恋しくなってしまう。なので今回はバンクーバーにも2泊することにした。
 
バンクーバー滞在は2度目だが、実質、初めてと言っていい。9年前、それこそカーリング取材を始めた時に飛行機のディレイで1泊を余儀なくされた。到着が夜だったので大した記憶がない。
 
今回、改めて昼間に街を巡ると、水が豊富で美しい街だなと感じた。太平洋を臨みながらも、ちょっと郊外に行けばコースト・マウンテンズの山々が連なる。豊かだ。
 
とりあえずスタジアムをチェックしに行く。スカイトレインのエキスポラインに乗ると車中から青く浮かび上がるBCプレイス・スタジアムが見えた。2015年の女子W杯決勝が行われた会場だ。あの時のアメリカは本当に強かった。内部モメが続くどっかのJクラブくらいだったら楽に勝つのではないか。
 
スカイトレインの車窓、BCプレイス・スタジアムの逆側にはフィールドが見えたのでStadium-Chinatown駅で降りてみる。エクスポブルバードを逆走するように歩くと3分でAndy Livingstone Fieldに着いた。オープンな公園なのだろうか。少年サッカー団と思しき集団や、シュート練習をする親子が散らばっている。キーファー通りとキャロル・ストリートが交わるコーナー付近にはピックアップゲームを展開する団体もいたので、もちろん声をかける。海外での草サッカーは久しぶりだ。7対7と人数もちょうどいい。
 
さっそく言い訳をするわけではないが、僕はスニーカーだったのでたいしたプレーはできなかった。最終ラインのボール回しを狙われて失点を食らってしまった。その後も立て続けに失点し、我が軍は3点のビハインドを担うが、白人のニコール君が「大丈夫。バルサは0-4からでも逆転するから」と手を叩いてチームを鼓舞する。
 
ピッチは、Rain coverと呼ばれる都市特有の午後の雨にさらされて少し滑るが、球足が早くて緊張感がある。慣れてきた僕はワイドに張り出してボールを呼び、中央にラストパスを送る役割を志願した。それならプレッシャーが少なくスニーカーでもできそうだったからだ。まあまあ、いいボールを出せたと思う。
 
ただ、季節は冬の初めで、タッチラインには大ぶりなメイプルリーフの落ち葉が積もっていて、それに足を取られる。「カナダの洗礼だぜ」とみんな笑った。
 
北米最大の中華街がそばにある関係で中華系の選手もいる。韓国も中東もアフリカもいる。でもみんなサッカーが好きで勝ちたいと思っていて、吐く息は白い。ここがどの大陸で自分が誰だか分からなくなって、オリジナルなんてどうでも良くなってこのシンプルなボールゲームにみんなが同化してゆく。
 
ゲームはニコール君の宣言通り、一度は4-4まで追いついたのだが、相手のトップにはイーサンという足元に長けたストライカーがいて、彼に決勝点を許し僕らは惜しくもルーザーとなった。
 
20時、全員と握手して別れる。「また来いよ。なんだお前、旅行なのか。日本からの留学生は時々来るけど旅行者は珍しいな」とのことだ。彼らだけではなく、だいたいの日ここではサッカーしているらしい。
 
またすぐ来れそうだし、次はちゃんとシューズと水とタオルを揃えてフル装備で挑みたい。終わったら中華街でうまいメシを食うのもいい。週末は工藤壮人も走ったホワイトキャップスのゲームも観たい。バンクーバー、いい街だった。
 

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竹田聡一郎(たけだそういちろう)

1979年神奈川県生まれ。同い年の小野伸二にヒールで股抜きされたことを妙な自慢としながら、フリーランスのスポーツライターとして活動。戦術やシステムを度外視した「アンチフットボールジャーナリズム宣言」をして以来、執筆依頼が激減したのが近年の悩み。著書に蹴球麦酒偏愛清貧紀行『BBB』(ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅/講談社文庫)と、このコラムを書籍化した『日々是蹴球』(講談社)がある。

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