サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

福田健二が日本を飛び出してからすでに4年半が過ぎようとしている。ピッチではフォワードとしてゴールへの飽くなき執着心を剥き出しにする福田だが、スパイクを脱いだ彼の素顔は驚くほど純朴で穏やかだ。

サッカーをはじめたきっかけ

サッカーを始めたのは、小学校のときに『キャプテン翼』を見ていた兄がオーバーヘッドをやりたいって言いだしたのがきっかけです。2人ともフォワードでしたけど、僕はいつもセンタリングを上げる役。ちょっとでもコースが悪いと『取ってこい!』とか言われていました(笑)。兄にはけっこう鍛えられましたね。当時の日本にはまだプロがなかったのですけど、親戚のおじさんとか母が『海外では1点取ったら家が建つ』とか話しているのを聞いて、小さかった僕はそれを鵜呑みにしていました。日本には、まだプロリーグがなかったですから、サッカーでプロになるには、当然海外にいかなければならない。それで海外を意識し始めたのです。『ブラジルでブラジル人になる』とか言ってましたから(笑)。

Jリーグから海外リーグへ

高校生の時に、Jリーグができました。Jリーグではレギュラー入りやオリンピック代表を目標にやっていましたけど、いつもその先には海外を意識していました。ここで結果を出すことが海外につながると思っていたのです。だけど年間20ゴール近く決めるようになっても、移籍金や契約期間の関係でなかなか海外には行けなかった。モチベーションを見失ったというわけではないですが、徐々に結果を残せなくなってきました。そんなとき当時ポルトガルでプレーしていた親友の廣山望(現:東京ヴェルディ所属)に国際電話をかけて『もう俺辞めるかもしれない』って話したところ『ちょっと待て』と彼の代理人を紹介してくれたのです。それが南米パラグアイに移籍するきっかけとなりました。

サッカーをはじめたころの夢であった、海外でのプロサッカー選手としての生活では、まずコミュニケーションの大切さを痛感しました。特に挨拶は大事ですね。日本にいるときはそんなに意識したことなかったのですけど、挨拶って『僕にはなんのわだかまりもないよ』と相手に伝えるサインなのです。だから、会う人、会う人、選手だけではなく、スタッフにも、とにかく挨拶をしていました。なんであいつ挨拶ばっかりしてるんだって思われたかもしれないですけど(笑)、僕はそれで良かったと思っています。子供の頃夢見ていた海外で、サッカー選手として毎日サッカーができるという環境には、恵まれているとは思います。そういう意味では満足していますが、一方で同時にまだまだだと言っている自分もいます。そのバランスが大事だと思います。満足だけだと成長が止まってしまうし、逆に焦ってばかりいたら息が詰まっちゃいますから。

サッカー選手としての夢

ひとつはスペインの1部リーグでプレーすること、そしてもうひとつは2年後のワールドカップでピッチに立つことです。僕の場合、夢というのはボンヤリと頭の片隅に描くぐらいにしておいて、目の前の目標に集中するようにしているのです。サッカーは毎日の練習の動きが試合で無意識に出てくるスポーツですけど、きっと夢もそれと一緒で、日々の積み重ねが夢の実現に自然につながっていくのだと思っています。

福田健二 プロフィール

福田健二(フクダケンジ)

福田健二プロフィール

1977年生まれ。Jリーグ名古屋グランパス、FC東京、ベガルタ仙台の後、2004年にパラグアイ1部リーググアラニに移籍その後、メキシコ2部リーグのパチューカ、イラプアトでプレー。2006年にスペイン2部リーグのカステリョンに移籍。ヌマンシアを経て2007年はラス・パルマスでフォワードとして活躍。

ページの先頭へ