サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

8月にメジャーデビューを果たし、今では2足の草蛙を上手に履きこなすサッカー選手でありミュージシャンである石田ミホコ。これまで何度なくその2つのバランスを模索しながら、自分らしさを追い求めてきた。そんな彼女をどうやって今の自分を見つけたのだろうか。

サッカーによって変わった子供

とても人見知りで、親と離れて1人になるのが恐くてしょうがない子でした。だから幼稚園がいやでいやで。そんな時、校庭で男子がやっているサッカーに出会ったんです。もういつの間にかです。気づかないうちに、自然にその輪に入っていました。そこからサッカー人生が始まりましたね。サッカーを始めてからは、社交的になって友達も増えました。サッカーが私を変えてくれた感じですね。

女子サッカーとの出会い。 2度の挫折。

小学校5年生になって、ルール上、女子が公式戦に出れないってことを知り愕然としました。そうしたら、お母さんがその落胆ぶりを見て、女子サッカーチームを探してくれたんです。その後、小学生の神奈川県女子選抜に選ばれたんですが、みんなの上手さに驚きました。でも、わくわくしてしょうがなかったです。自分の一歩先を常に動いているような、すごい女の子ばっかり。それからです、本気でわたしのやることはサッカーなんだ!って思い始めたのは。だったのに、中学2年生で入団した日テレメニーナ(日テレベレーザユース)で、自分の自信はどこかにいってしまいました。なでしこジャパンのメンバーが何人もいるわけですからね。試合に出れない時は、今代表にいる丸山とグチグチ文句云ってました(笑)。日本代表の戦う女性を知ったのもその時ですね。17歳の時、やっと評価されてベレーザに呼ばれ、あぁ、これでちゃんとやっていける!と思った矢先、高校の文化祭でバンド活動に出会ってしまうんです。

音楽かサッカーか。

高校の文化祭で友達のバンドがボーカルを探していて、参加してしまったんです。それから音楽にはまりました。当時は、どっちか一つにしなきゃという思い詰めてしまって、1年間サッカーを辞めてしまうんです。にも関わらず、女子ユースの全国大会のセレクションで声がかかって、受けたら受かってしまったんですね。今のうちしか体を動かせないと思ってやることにしました。音楽は後でもできると。それが変わったのが、短大時代の遠征で出会ったイギリスのアーセナルレディースへの入団と1年間の渡英でした。イギリスで知り合った人たちに「歌をやっているなら、サッカーとどっちもやればいいじゃない」って言われたんです。あっちではそういう2足の草蛙が普通にあるんですね。学校の先生やりながらバーテンダーとか。日本ではどっちかを趣味でというようなことしか言われなかったから、その言葉が嬉しくて。帰国後1年を経って、今いるジェフに入団しました。

サッカーと音楽の関係

サッカーをやっていると自然に視野が広くなっていて、ライブでステージに立っても妙にみんな見えちゃうんですよね。端っこに事務所の社長が来てるなーとか(笑)。サッカーで教わった喜びや、悲しみ、悔しさとかいろいろな感情を言葉で伝えるのが、自分の音楽です。音楽を誰かのために歌うように、サッカーでは誰かのために走ります。自分のプレースタイルはトップ下で人を活かすことです。プレーでも普段でも、独りよがりは絶対にダメです。みんながいるからいろんなことが出来ていると感謝しなければと思っています。サッカーができていることへの感謝の気持ちを忘れないようにしています。

プロがない世界で。なでしこジャパンと女子サッカーへの思い。

北京オリンピックは、みんなすごかったです。感動しました。日本はすごく強くなったなと。でも、見ていてピッチの上にいれない悔しさはなかったですね。もちろん出ているみんなの実力も人となりも知っているからということもありますが、彼女たちが女子サッカー界という未だマイナーな苦しい世界のために、そして私を含めた選ばれない選手たちのためにという思いをひしひしと感じました。プロがない女子サッカーの世界で、女子サッカー界のためにという思いをみんな持っているんです。

石田ミホコ プロフィール

石田ミホコ(イシダミホコ)

石田ミホコプロフィール

1982年生まれ。サッカー選手/ミュージシャン。
高校在学中、日テレベレーザユースの日テレメニーナに所属。同時にバンド活動を開始。サッカーと音楽活動を並行して行っていく。武蔵短期大学在学中、英国遠征でアーセナルレディースとの試合が認められ、同チームに1年間所属。帰国後、1年間の音楽活動に専念。2006年ジェフユナイテッド市原・千葉レディースに入団。2008年7月に石田ミホコ名義でメジャーデビュー。

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