サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

創刊から4年が過ぎ、日本のサッカー文化の一端を担うまでに成長した日本唯一のサッカー専門新聞”エルゴラッソ”。 新しい媒体を立ち上げること、日本のサッカーの将来について、エルゴラッソを立ち上げた山田泰氏に話を聞いた。

サッカー新聞の創刊

エルゴラッソの創刊は2004年の10月ですが、最初の企画書を作ったのは2002年の8月です。ご存知の通り、2002年というのは、日本のサッカー界にとって大きなターニングポイントとなった年です。日韓ワールドカップの時には、副業でライターをしていました。ワールドカップが終わった時は、充実感というよりも、中途半端な感じがありました。「自分とサッカーの関わりをどの方向に向けるか」また「日本のサッカーはどこに向かって行くのか」その辺を考えているうちにサッカー新聞のアイデアが出て来たのです。当時の日本にはサッカー文化がないと良く言われていました。サッカー文化のもっともプリミティブな媒体はやはり新聞だと思います。中田選手のイタリアでの活躍があったこともあって、本場ヨーロッパにサッカーを観戦に行って、現地の新聞を買い漁り、本場のサッカーファンの気分に浸っていた人は多いのではないでしょうか。サッカーを文化として根付けるためには”新聞”というものが必要だと思いました。ライターとしてWEB媒体で仕事をしていたこともあり、インターネットの限界も分かってきました。

メディアというのは、世の中にリアルに存在するかというのがとても重要だと思うようになったのです。最初の企画書から創刊までは結局2年かかりました。その間「今度サッカー新聞が出るらしい」って噂が広がったようです。でも、誰もそれが実現するとは思っていなかった(笑)。新しい事業を起こす時は、あまりその業界に詳しくないほうがいいのかもしれませんね。先入観がないからこそ新聞が創刊できたかと思います。新しい商品を出すということは、時代の1歩先、もしくは半歩先を行くことだと言われることがあります。自分も生意気にもそう思っていた時期がありましたが、実際は時代の方が先に行っているんですよ。日本にも代表よりもクラブが大事というようなサッカー文化が出来つつあった時期。後、サッカーの文化があるかどうかの一つの基準、あくまで一つの基準ですけど、0-0の試合を楽しめるかというのがあるかと思います。エルゴラッソを創刊してすぐに浦和vs横浜FMの試合が埼玉スタジアムでありました。スコアは0-0。スコアレスでしたが、試合も面白かったし、紙面にもハマった、そして新聞自身も売れた。これは行けるなと思ったのを覚えています。既にあるものをいち早く顕在化できたのが良かったのかと今では思っています。

黄金世代は輪廻する

これは以前知り合いの編集者が担当していた世界の代表チーム特集企画を手伝っていて出た考えなのですが、いわゆる黄金世代というのは、ある周期性を持っている、輪廻するというのでしょうか。1986年のワールドカップでマラドーナの活躍を少年時代に見た世代というのが、ベロンやクレスポの世代、その活躍を見て育って来たのがメッシやアグエロ。日本でも、98年、02年のワールドカップを感受性が高い時代に過ごした世代から、沢山の才能の原石が出て来ています。G大阪の宇佐見選手や京都の宮吉選手は9歳くらいの時に2002年の日韓ワールドカップを体験している。

サッカー人口が増え、裾野が広がったので、才能ある選手が出てくる確率が高くなっていく。2002年以降で考えると、サッカーの裾野が広がり、下のレベルは上がりましたが、トップクラスのレベルはそんなに上がっていない。この世代は日本のサッカーの上のレベルを引き上げてくれる可能性を持っていると思います。楽しみです。

新聞を変えたい

僕自身は、サッカーのメディアに何が必要かということを創刊から常に考え、突き詰めてきました。その中で紙、新聞の可能性にも色々気づいたこともあります。サッカーも含めてですけど、事実やオピニオンって一つではなく多様性が重要だと思うんです。サッカーにせよ社会問題にせよ多様で的確な言論のサンプルを組み立ててゆくことがメディアの役割ではないでしょうか。「夢の話を」ということですので、ここは大きく将来の夢は「新聞の復興」であると言わせてください。サッカー関連で言うと、もう一度日本で開催されるワールドカップを見たいです。2010年の代替開催はあり得ないですかね(笑)。

山田泰 プロフィール

山田泰(ヤマダヒロシ)

山田泰プロフィール

1969年東京生まれ。リクルートなどでインターネット媒体の仕事を手がけた後、2004年7月(株)スクワッドを設立し同社代表取締役社長に就任。サッカー専門新聞「EL GOLAZO」を創刊、その後も欧米型の専門誌の創刊を続けている。

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