サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

Jリーグ開幕時、その明るい性格とユニークなパフォーマンスで、所属クラブの浦和をはじめ、全国のサッカーファンに愛された水内猛。現在はスポーツキャスターとして活躍中の彼に、Jリーグ時代の話、将来のゆめの話を聞いた。

Jリーグ元年を振り返って

「Jリーグの開幕はテレビで見ていました。オープニングセレモニーは、「まるでオリンピックじゃないのか」ってびっくりしました(笑)。お客さんがあれだけスタジアムに入っていることが信じられなかったですね。どこでもラッパが鳴っていましたし。当時自分は、まだプロ選手ではなくて、三菱の社員選手でした。僕が三菱に入る年にJリーグが出来ることは決まっていました。当時の監督が「サラリーマンをやりながら、あとでプロになっていけばいいんじゃないか?」って言ってくれたのです。大きな会社だし、正直プロでやっていく自信もなかったから(笑)。そのころは学生の部活のような感じでした。午前に会社に行って、午後から練習をするのですが、ボールに空気を入れたり、ラインを引いたり、スポーツ飲料を作ったり、ユニフォームを洗っていました。自分の練習着も洗って干すんですけど、洗濯機が4つしかない。練習が終わるとまず先輩たちが使うから、なかなか使えなくて。だから、その間に若手5人くらいで練習をして結構遅くまで残って、インサイドキックの練習をみっちりやっていました。日産でプロ経験があった柱谷幸一さんが浦和に来てからは、「サラリーマンでも選手なんだから、そういうことはしなくていい」と言ってくれてからは楽になりました。この人、神様だって思いましたね。

印象に残るように、パフォーマンスを

開幕以来、なかなかチームが勝てなくて、僕にも出番が回ってきました。試合では、何点か取れて、結構メディアからも注目されてきたのですけど、チームが外国人のFWを探しているという噂を聞いて、自分は絶対に必要なFWというわけではないんだなと思いました。そういうこともあって、点を取ったときに印象に残るよう何かをやろうと、いろいろパフォーマンスをやりましたね。当時は全国放送のゴールデンで試合を放送されていて影響力も大きかったようです。後で浦和に入ってきた小野伸二に聞いたら、「水内さんのプレーは覚えていないけど、パフォーマンスは覚えている」って(笑)。記憶に残るようなことをしないといけないんですよ。今の選手はなんでやらないのかな。

海外への挑戦、引退

引退は25歳です。実は、引退する前に海外に挑戦しているんです。「スペインの2部なら受けられるかも」と人づてに話をもらい、すぐ仙台のテレビ局で自分の得点シーンを集めた映像を作ってもらいました。2年間で挙げた24得点全部を編集してくれたから、それだけ見るとすごくいい選手みたいに映っていました。真剣にテストまで受けさせてくれて、結構いい評価をしてくれたのですけど、結局そのクラブはアルゼンチン人のFWを獲得するって決まって。その後も熱心に誘ってくれる日本のクラブはあったのですが、テレビの仕事をしたいと考えていたこともあり、また、自分よりうまい選手が下からドンドン出てきていたこともあって、自分のなかで線引きをした部分もありました。テレビに出るなら辞めるのは早いほうがいいなと。もう引退して12年ですけど、サッカー人口が減っているという話もあり、このままだと日本のサッカーのレベルが下がってしまうかもしれない。

サッカー界に貢献できることは、なんでもやっていきたいですね。例えば、サッカースクールとか。個人的な夢としては、将来的にお店を出したいです。1階の路面店で24時間営業、昼間は喫茶店、夜はレストランにして、オールナイトでやれれば最高かな。そういう場所でいろんな人と出会っていければ、楽しいだろうなって。奥さんも手伝ってくれると言ってくれているし。もともと人と関わっていくのは好きだし、ずっと家にいるのは耐えられないほうですし。今は好きなワインばかりを飲んでいるから、ソムリエの勉強でもしようかな。料理ですか?作りますよ。シチューとかカレーとか、煮込み限定ですけど(笑)。

水内猛 プロフィール

水内猛(ミズウチタケシ)

水内猛プロフィール

スポーツキャスター。1972年生まれ。三菱自動車を経て、Jリーグ浦和レッズに加入。浦和で最後のサラリーマン選手として、チームが低迷するなか、FWとしてチーム最高の7得点を記録。1996年からブランメル仙台(当時・JFL)に移籍。25歳で現役引退後、スポーツキャスターとして、数々のテレビ番組に出演。テレビ埼玉が放送するGGR(浦和レッズ応援番組)ではメインキャスターとして10年目を迎えている。

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