サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

JUDY AND MARYのギタリストとして活躍していた当時から、TAKUYAほどサッカー好きとして知られるミュージシャンは珍しい。80年代から続く芸能人サッカーチーム「THE ミイラ」に所属し、ジュビロ磐田と稲本潤一の大ファンとしても知られる彼のサッカー遍歴を辿る。

マイ ヒーロー マラドーナ

サッカーを意識し始めたのは、マラドーナの5人抜きですね。子供ながらに衝撃でした。もうちょっと早く生まれていれば、巨人の長嶋さん世代だったんでしょうけれど、85年の阪神優勝ともズレて、スポーツのヒーローみたいなものがピンとこなかったときにマラドーナが登場したんです。一時期はスポーツ選手を夢みたこともあったんですが、ギターも始めていたので、音楽に成功して車を買えるようになるまで趣味をもたないようにしよう、成功したらサッカーをやるんだって決めました。それで実際にサッカーをやり始めたのは、21、22歳くらい。だから、20代はプレイヤーとして相当がんばりました。でも下地や基礎がないし、練習もしたことがなくて、いつもぶっつけ本番で試合をしていました(笑)。

京都という地元とサッカー

みんなサッカーを見る時は地元勝ってくれみたいな感じですよね。

FC西東京とかFC港区とかできたら応援しようかなと思っています(笑)。
京都出身なので、実は京都サンガF.C.があるんだけど、サンガの拠点が京都の中心部じゃないんです。京都って変っていて、都市全体が一丸にならないっていう特徴があるんです。一番わかりやすい例でいうと、四条通りと河原町通りが十字にありますよね。例えば、四条通りが京都サンガF.C.を応援するって旗を掲げたとすると、河原町通りはあえて応援しなくなる(笑)。 それが京都の土地性なんですね。だから、中心部で育った僕はサンガが好きになれなくて。それでJリーグ開幕当時、どこかは応援しようと思って、まだJFLだったジュビロの戦術が好きでサポーターになって、ハマっていったんですね。

「稲本潤一を励ます会」会長就任

最初に友達になったサッカー選手が、セレッソにいた元日本代表の柳本啓成で、イナはその後輩でライブを見にきてくれたりしていたんです。01年にジュディマリが解散して2年間くらいロンドンに行っていた時、ちょうどアーセナルに移籍した時期で、自分はその前からレコーディングでロンドンに来たりしていて知っていたので、一緒にご飯食べたり友達を紹介したり、面倒みていたという感じでした。それで、当時「I LOVE INAMOTO」のでっかい横断幕を作って応援しにいっていました。ある日これがパクられたりもしましたね(笑)。そうこうしている間に、後援はできないけど励ますことはできるよなと「稲本潤一を励ます会」ができて、会長に就任してくれってなったんです。

12番目のくじらと“ワンダーボーイ=ウチの子”

「くじら12号」という曲はサッカー日本代表の応援歌として作ったんです。今でこそ大会ごとに若いバンドが応援歌とか作りますけど、僕らの時代はなかった。“くじら”は日本が捕鯨の国だからで、“12号”は12番の選手という意味。

ちょうど仏W杯だったので、海を超えて荒波を超えていこうぜ、っていう気持ちでした。サッカーを見続けていて一番うれしかったのは、日韓W杯のとき、誰かいわゆる“ワンダーボーイ”がでてこないと日本も辛いだろうねって言いながらロシア戦を観ていたら、稲本がゴールを決めて、「うわぁー、(ワンダーボーイは)ウチの子だった!」って(笑)。家族ぐるみで仲良しでもあったので、ほんとにうちの子って感じで、その日のトップを飾った新聞買い占めて路上に敷いて一緒に寝ましたもん(笑)。日本であれだけフィジカルの強い選手はいないですよ。彼にはこれからの日本代表としても期待し続けています。

有終の美

やっぱり見るよりはやる方が面白いです。点をとるのがやっぱり面白いですよね。一番うれしかったのは、神戸ユニバー記念競技場での永島昭浩さんの引退試合で点を入れたことですね。有終の美として永島さんと一緒に辞めてもいいやと思いました(笑) 。そのときのサッカーマガジンにも載ったんですよ。このページにミュージシャンでは載れないよとも言われて、最高に嬉しかったですね。

TAKUYA プロフィール

TAKUYA(タクヤ)

TAKUYAプロフィール

ミュージシャン

ROBO+Sのヴォーカル&ギター。元JUDY AND MARYのギタリスト。現在はROBO+Sの他にも、ソロ活動やプロデュース活動を含め様々な活動を行っている。ミュージシャンとしても活躍する女子サッカー選手、石田ミホコのプロデュースも行う。9月9日、恒例のバースデイパーティーが「渋谷DUO」で催される。

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