サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

サッカー界におけるスチールカメラマンのパイオニアである六川則夫が、サッカーボールを蹴る思いを語る。サッカーとの出会いは、1964年の東京オリンピックにさかのぼる。それが彼の夢の始まりだった。

夢かなう?

東京オリンピックでサッカーに興味を持って、メキシコオリンピックで日本が銅メダルを取った後に日本リーグができた。でも、最初の年だけが盛況で、あとはずーっと泣かず飛ばず。そんな折にプロリーグができるという。長年観客席にいた人間としては、『これでお金が取れるのかな』って疑問に思っていた。でも、蓋を開けてみたら、Jリーグが大ブレイク。東京オリンピックで本物のサッカーを見てから、日本にプロリーグなんて絶対にできないって思っていたのに。その次の夢だった日本がW杯に出場することは、自分が生きているうちはないと思っていたのに、98年に行けた。あとは日本でW杯を開催することだけ。でも、これも02年に叶ってしまった。アラジンの魔法のランプではないけど、もう自分の人生でランプを3つ使った気分(笑)。だから夢はもうおしまいかな。

草サッカーで世界とコミュニケーション

今、所属しているチームは4チーム。それくらいのチームに入っていないと、毎週はサッカーができない。シニアの選手として協会にも登録しているし、芝生のホームグラウンドがあるチームでボールを蹴れるのもとても恵まれていると思う。週末はJリーグの取材があるからなかなか難しいけど、サッカーをする環境に身を置いて楽しんでいる。今は骨折しているけど(笑)。

楽しさには代償があるもの。けがは20代のやつにやられた。本気でやってきてくれているからやりがいがある。向こうも最初は『この親父だったら、簡単にボールを取れるだろう』とつっかかってくるけど、意外とそうはいかないから、本気を出してくれる。草サッカーにこだわるのはもちろん理由がある。海外のいろんな国に行ったときに、言葉ができなくても、サッカーをやっているグループがいれば、一緒に楽しめるから。サッカーをすると、ヒューマンな気持ちになれる。サッカーって本当に万国共通のコミュニケーションツールだと思う。それが自分の原点としてあるから、言葉が通じない世界でもサッカーで信頼関係ができると、仕事がスムーズになる。その国の人たちとボールを蹴って、その土地のうまいものを食べることで、僕のなかで完結する。それがベースにあるからいつでもサッカーに対して新鮮でいられる。一番忘れられないのはアンデス。20代のときに、まだそのときはスチールカメラマンではなく映画を仕事にしているときだった。4000mの高地。外の文化を受け入れていない特殊な部族の取材で、お土産に何を持っていくかというと、鎌を持っていった。これは生活の道具だから。あとはユニフォームとボールを持っていく。山に住んでいる人でチームを作って、試合をした。プレーは下手だったけど、コミュニケーションを確認する儀式のようだった。彼らは自給自足しているから、外的な交流は必要としない。でもサッカーは素直に受け入れてくれた。ロシアでは雪を踏みしめてボールが出ないように枠を作って、長靴を履いてサッカーをした。サウジアラビアの土漠でも、大きな石をゴールに見立ててボールを蹴った。ブラジルには至るところにフットサルコートがあった。狭いスペースで攻守の切り替えの速いサッカー。朝、大人たちが仕事前にフットサルをやっている声で目が覚めた。日中は子供たちがやって、夜はまた大人がやる。ブラジルはいつでも『やらせてくれ』って言えば、入れてくれる。日本は人工芝のピッチを増やそうとしているけど、手入れも必要ないし、プレーコストのかからないコンクリートのフットサルコートを増やしたほうがいいよ、絶対に。

サッカーを題材に映画を?

今はスチールのカメラがメインだけど、もともと写真は好きじゃなかった。映画が好きだった。理由は単純。動いているものを撮影できるから。でも、だんだん映画の世界でキャリアを積んでいくと、いろいろできるようになって、フラストレーションが溜まってきた。まずは『映画でサッカーの仕事をしたい』と思うようになった。サッカーの映画を撮ること?それが、何よりも一番難しいことをよく分かっているから、ちゃんと考えたことはないけど、じゃあ、次の夢はそれにしようかな。今は仮想現実でゲームがリアリティーを持っているし、何よりサッカーはサッカーに語らせればいい。やるとしたら、あるサポーターのサイドストーリーみたいなものがいいかな。サッカーの出ないサッカー映画を、現実のサッカーをしのぐフィクションのサッカーを撮りたい。これまでも、これからも『サッカー』と、大上段に構えるのではなく、例えばある場所に少し人がいたらそこでボール回しをしようっていう感覚でいたい。どこでもいい。女の子とでもいい。ボールを蹴るっていうことで精神が高揚する。それが僕の精神安定剤だから。

六川則夫 プロフィール

六川則夫(ロクカワノリオ)

六川則夫プロフィール

スチールカメラマン

1951年東京生まれ。1964年東京五輪でサッカーと出会う。決勝戦を国立で観戦。1973年早稲田大学第2文学部卒業。1982年スペインW杯を皮切りに2006年ドイツ大会まで連続取材、現在に至る。

ページの先頭へ