サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

海外文学の翻訳本を数多く手がける老舗出版社・白水社が、サッカーにまつわる良質なノンフィクション本をいくつも出していることは、あまり知られていないかもしれない。デニス・ジョンソンをはじめ、現代の海外文学の翻訳本を編集しながら、サッカー本を送り出してきた編集者、藤波健にとってのサッカーを聞いた。藤波が編集した、チャック・コール、マービン・クローズ著『サッカーが勝ち取った自由 アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち』(実川元子訳)は南アフリカW杯前の必読書。

サッカー・ノンフィクションが伝えるプレー以外のサッカー

僕の地元は静岡の清水なんです。だから小中学校時代は、ごく自然にサッカーをやっていました。ユニフォームがかっこいいとか、モテたいとかそんな程度の動機でしたね。大学を卒業して白水社に入社し、自分のバックグラウンドでもあるサッカーにまつわる翻訳本を出したら評判がよかったんです。サッカーはプレーするもの、観るものだったところから、サッカーファンはしっかりした本を出せば読んでもくれるんだなっていう感触を得ました。編集者であるビル・ビュフォードが書いた『フーリガン戦記』という、タイトル通りイングランドのフーリガンを追いかけたノンフィクションが最初の本でした。次に出したのが『サッカーの敵』という、いまでは有名になったサイモン・クーパーというジャーナリストが世界各国をまわって、サッカーの背後にある政治、経済、宗教、格差社会に蠢く裏事情を生々しく描いた本です。政治家やマフィア、警察などなど、サッカーをうまく利用して儲けてやろうとか、偉くなってやろうとか、言葉は悪いですが俗物根性のかたまりみたいな人たちばかりが出てきます。

群がるだけの魅力がサッカーにあるってことの裏返しでもあるわけなんですけれど、善悪だけで分けきれないごちゃごちゃしたおもしろさがありますよね。どちらもよく売れて、良質なサッカー・ノンフィクションにある一定の読者がいるという確信が得られました。これは個人的な考えですが、サッカー好きには読書好きが多いんじゃないかと思っています。だって、3,000円近いコアな内容の本を買ってくれるわけですからね。それじゃあと、ペレやジダンなんかの有名選手の本も作りましたが、これは意外とだめでした(笑)。編集者としては、海外サッカーの厚みある歴史や文化を紹介して、翻って自分たちのサッカーはどうなんだというのを考えるきっかけになってくれればと思っています。世界には多様なサッカーがあり、多様な人々がそれに熱中していることを伝えていきたいと思っています。スポーツチャンネルやインターネットが成熟してきたいま、マスメディアが中心になる時代ではないのかもしれませんが、いろいろな発言の場所を作っておくということも含め、出版社にできることはたくさんあるんじゃないかと思います。

なんだかんだ言って、ゴールの瞬間はなにものにも代え難い

小難しいようなサッカー本を作っていますが、サッカーで一番好きな瞬間というか、大切なことは、ボールがゴールネットをゆらす瞬間に起こる独特の震えるような感覚だと思っています。プレミアリーグは特にそうした喜びや震えが大きい。スタジアム全体が揺れて、見ていてこっちまで泣けてきてしまうような爆発感があります。理想や理念を語ることも重要ですが、ボールを蹴ることの楽しさと喜び、快感を何より大事にしたいんです。ゴールが決まったときの快感ですよね。それに勝るものはないんじゃないかと。世界をつなぐとか、夢や希望を与えるということも欠かせないことだと思うのですが、プレーするにせよ、観るにせよ、ボールを蹴って枠に入れるという単純な喜びや感動を、何より強く感じるのが、サッカーの魅力です。

そうしたごく普通の言葉で、感情や気持ちよさみたいなものを語り合いたい。でも実は、記憶に残る試合やプレーというと、ゴールやシュートではなく、02年日韓W杯を通して不調に終わったジダンなんです。フランスは98年仏大会チャンピオンとして自信満々で来たはずが、大不調。大好きだったジダンの不調ぶりは今でも思い出すといろいろなシーンが脳裏をよぎり、悲しくなってしまいます。

今の南アフリカは刑務所でのサッカー体験を抜きには語れない

今回南アフリカでW杯が開催されるという意義は極めて大きいと思うんです。アパルトヘイトがあった国、マンデラ大統領がいた国くらいの漠然とした印象しかないかもしれませんが、アパルトヘイト時代から現状に至るまでにサッカーが果たした役割はかなり大きいんです。『サッカーが勝ち取った自由』を読んで、「サッカーの力」の大きさを改めて認識しましたし、読者にとっても、これでサッカーの見方がちょっと変わるかもしれません。刑務所のなかで政治的な考えの違いを超えて団結し、ボールなりユニフォームなりピッチなり、サッカーをする環境を交渉し整えていくなかで、交渉術や一致団結することの必要性を学び、釈放後、南アフリカの発展に大きく寄与した人物たちを数多く排出します。イーストウッド監督の『インビクタス』がラグビーで、これはそのサッカー版ですね。マンデラは映画ほど関係していませんが、現南アフリカのズマ大統領はしっかり出てきますし、南アフリカの政財界を代表する人々が、刑務所でのサッカーから多くを学んできたということが、よくわかると思います。W杯観戦のお供にぜひお読みください。

W杯と近々の夢

日本代表は、清水の岡崎の宣言どおり3点を取ってほしいですね。驚きの選出でもあった川口は清水商業時代から注目していて、いまも好きな選手です。今回は第三のゴールキーパーということで、ベテランの力がチームをいかに助けるのか、期待しています。出場は難しいと思うんですが、選ばれたことは嬉しかったですね。あとは、本田に存分に暴れてほしい。とはいえ、清水が今シーズン優勝すること。まずは、それが夢です!

藤波健が選んだベスト11

小説家/小説がサッカー選手だったら

海外作家でベストイレブンを作るとどうなるかというのを考えてみました。これは紀伊國屋書店さんの文学好きな店員さんたちが集まってやっている団体「ピクウィック・クラブ」の企画「ワールド文学カップ」の取材のときに考えたものです。例えば、ゼーバルトは作品がどっしりと重厚で、ゴールキーパーだろう、ミルハウザー『ナイフ投げ師』なんて聞くと、サイドをグッと駆け上がるだろうという感覚に近いですね。だから、この作家のこの作品というセットで、このポジションだろうということです。サリンジャーはもちろんセンターフォワードですね。駆け抜けて、突破!という感じです。極めて感覚的なものなので、言葉にするのが難しい部分もあるのですが・・・。

実際の選手でベストイレブンを選ぶとすれば、98年W杯の決勝戦スタメンのフランス代表です。ジダンが好きということは大きいのですが、決勝にいくまで紆余曲折があったり、波乱があったり様々なドラマがあって、それに魅せられましたね。たしか、前大会に出場できなくて、開催国としての意地や自信みたいなものもあったのでしょう。苦しいなかをなんとか優勝できたことに心を打たれました。

藤波健 プロフィール

藤波健(フジナミケン)

藤波健プロフィール

1962年生まれ。白水社編集部勤務。海外小説シリーズ《エクス・リブリス》で、ジョンソン『ジーザス・サン』、ジョーンズ『ミスター・ピップ』、キーガン『青い野を歩く』、現代史・ノンフィクション分野で、ライト『倒壊する巨塔』、モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』など、翻訳書籍の編集を担当している。

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