サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

1970年のブラジル代表に憧れ、ポルトガル語の世界の門を叩いた学生は、やがて、留学の地・リスボンでポルトガルサッカーの虜になった。現在はポルトガル語圏文化・言語の専門家として多くの著作を発表する傍ら、日本におけるポルトガルサッカーの第一人者として活躍する大学教授のサッカー論。

研究休暇と2つの勲章

私、今、休暇中なんです。休暇と言っても、7年に1度、大学の教員が1年間大学の業務から解放されて自由に時間を使える「研究休暇」のことで、休暇だから日本にいても外国に行ってもかまいません。実はこの制度が整備されている大学は全国でもそう多くありません。これは私が長年勤めている上智大学のいいところですね(笑)。そういうわけで、私は8月から来年1月末までコインブラというポルトガルの大学街に滞在しています。ここはヨーロッパ最古の大学の1つであるコインブラ大学がある街で、世界中から留学生が集まってきます。この街にはコインブラ・アカデミカというポルトガルリーグ1部のチームがあり、今季は絶好調なんです。監督は往年の名CB、ジョルジュ・コスタです。なかなかいい監督っぷりで、将来はFCポルトの監督になるかもしれません。でも、約3万人収容のモダンなスタジアムには、いつも3000人くらいしか観客が入りません。ポルトガルリーグで観客を動員できるのは、ベンフィカとスポルティングとFCポルトくらい。その他は1万人も入れば大入りという具合です。私が住んでいるマンションからスタジアムまでは徒歩1分。少し前にはU2がコンサートをやっていたので、ボノの歌を二晩続けて聴いていました。もちろん無料で。「ボアノイテ(こんばんは)・コインブラ!」と言ってました(笑)。

今年は日本とポルトガルの修好通商条約締結から150年目に当たる記念の年で、「メリト(功労)勲章コメンダドール賞」を受勲するために一時的に帰国しました。先日はポルトガル大使公邸で、日本ポルトガル友好議員連盟会長を務める谷垣自民党総裁や、古くからポルトガル映画を日本に紹介してきた岩波ホール総支配人の高野悦子さん、日本におけるファド歌手の第一人者である月田秀子さんといった錚々たるメンバーと一緒に受勲してきました。今年5月には、昨年秋に出版した『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(上智大学出版)という本によって「ロドリゲス賞」というポルトガル大使館主催の賞をもらったので、これで2冠達成ということになりますね(笑)。

ポルトガルサッカーの原風景

そんな私がポルトガル語を学び始めたきっかけは、1970年メキシコW杯で優勝したブラジル代表でした。非常に素晴らしいチームだったんです。ペレがいて、トスタンがいて、ジャイルジーニョがいて、リベリーノがいて、ジェルソンがいて…。あの衝撃的なブラジル代表に憧れて、大学でポルトガル語を学びたいと思ったんです。当時はサッカー自体がマイナースポーツでしたから、そんな理由でポルトガル語を選ぶ学生はほとんどいませんでしたけれど。その後大学院に進み、1984年の10月にリスボン大学に留学しました。このときでしたね、ポルトガルサッカーをしっかり観るようになったのは。留学直前の夏にはフランスで欧州選手権が開催され、準決勝でプラティニのフランスとポルトガルが名勝負を演じています。これは20世紀のサッカーの名勝負の1つです。これを『ダイヤモンド・サッカー』で観て、高度なテクニックを持つポルトガル人選手に感動したんです。現地に行ったらすぐさまスタジアムに通うようになりました。お客さんは当時の方が今よりも入っていたように思います。テレビ中継なんてものがなかったから、サッカーが観たければスタジアムに行くしかなかった時代です。

スタジアムに行かない人は、トランジスタラジオ。ベレー帽をかぶった町行くおじさんが一生懸命ラジオを耳に当てている姿は、私にとってはポルトガルサッカーの原風景です。今ではサッカーのチケットはずいぶん高価なものになってしまいましたが、当時は一番いい席でも1000円くらい。ほかにすることもなかったので、サッカーばかり観ていましたね。そして、気がついたらベンフィカに心酔していたというわけです。「全国600万人のベンフィキスタが!」というフレーズをどこに行っても聞かされるほど、当時も今もポルトガルのベンフィカ人気はかなりのものがあります。コインブラで世話になっているマンションの大家さんに、「ベンフィキスタなんです」と言うと、「おお!それじゃいいやつだな」という世界ですよね(笑)。昨季は久しぶりにベンフィカがリーグ優勝して、個人的には最高のシーズンでした。確かに、アイマールとサビオラ、ディ・マリアまでそろえて負けたら、もう目も当てられない。今季は開幕から躓いて、「史上最悪のシーズン開幕」だそうです。CLでもイマイチだし、もうあきらめましたよ(苦笑)。

信じられないことが4度も起きた

私の本業は大学で学生に教えることですが、サッカーについて書くことは書き手としての自分の可能性の幅を広げる機会だと思っています。サッカーを通じてアカデミックの世界の外の人とも交流できるし、あわよくば私の原稿で上智の受験生が増えてくれればありがたいですね(笑)。たまにいるんですよ、「高校生のときに先生の原稿を読んでいました」という学生は。そんなときは「10点足してやろうか」と思うくらい、素直にうれしいです(笑)。サッカーの原稿なんて…、と思う人がいるかもしれないけど、僕は機会があれば喜んでやりたい。原稿依頼が来るというのは、自分が書いているものが評価されているってことですから。これからももっと書いてもいいくらいです(笑)。

一人のファンとしては、以前は「死ぬまでに一度でいいから日本がW杯に出てくれ」と思っていたけど、意外と早く実現しちゃったんですよね。もう4度もW杯に出場しているなんて、信じられないです。昔はW杯なんて夢のまた夢、別世界のイベントだったのに。この先の夢は、準決勝でポルトガルに勝ち、決勝でブラジルに勝ち、日本がW杯で優勝すること。生きているうちにあるのかな。

市之瀬敦が選んだベスト11

ポルトガル代表歴代ベスト11

GKのマヌエル・ベントは、若くして亡くなった70年代~80年代のベンフィカのGK。小柄ですが反射神経が良くて、安定感は抜群でした。86年のメキシコW杯では正GKだったんですが、2試合目以降はケガで欠場。そのときの悔し涙が印象的でした。ボジングワは間違いなくポルトガル最高の右SBです。彼の不在がポルトガルに南アフリカでの苦しみをもたらしたと思っています。CBコンビのエウリコとリマ・ペレイラは80年代FCポルトの鉄壁CBコンビ。彼らは2人で1セットなんです。ファビオ・コエントランはポルトガルが長い間待ち望んできたワールドクラスの左SBです。現在ベンフィカファンの中でもとりわけ期待値が高い。ボランチのパウロ・ソーザは、選手としての実績ではポルトガル屈指です。引退後はサッカー協会で仕事をしたり、イングランドの2部のチームの監督をやりましたけど、どうもうまく行かないみたいですね。右ウイングのフィーゴについては説明不要でしょう。司令塔はポルトガル最高の10番ルイ・コスタ。彼以降、ポルトガルからこのポジションの名手が出てこないのが心配な点かな。フェルナンド・シャラーナは84年の欧州選手権でフランスと死闘を演じた左利きのウインガーです。ベンフィカで活躍した選手で、技術的にはフィーゴ以上だったとも評されています。トップはポルトガル代表歴代得点王のパウレタではなく、決定的な仕事をしてくれるクリスティアーノ・ロナウド。さらに、ご意見番としてエウゼビオを入れないわけにはいきません。監督はブラジル人ですが、ポルトガル代表に最高の成績を残したスコラーリでしょうね。

市之瀬敦 プロフィール

市之瀬敦(イチノセアツシ)

市之瀬敦プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』の洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガルサッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニフォームを着るクラブが多い。2001年8月『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)を出版。近著に『出会いが生む言葉 クレオール語に恋して』(現代書館)。

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