サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

毎年150以上のサッカー大会の運営を手がけるスポーツマネジメント株式会社、通称“スポマネ”の名物社長、脇田英人。お笑いコンビ、ペナルティのワッキーを実の弟に持ち、日本サッカーの草の根に太陽のような愛情を注いできた彼が、サッカーと家族への思いを明かしてくれた。

25歳の挫折と人生最大の出会い

私が社長を務めるスポーツマネジメント株式会社の理念は、「アマチュアサッカーの環境整備」。サッカー大会の企画・運営や、サッカー合宿の斡旋など、事業の9割がサッカーに集中しています。また、関東トレセンリーグや、プリンスリーグ四国など、サッカー協会から委託されたオフィシャルの事務局業務、任意団体の事務局業務のほか、企業が主催するイベントの運営なども請け負っています。この仕事を始めたきっかけは1994年、当時名古屋銀行サッカー部に所属していた私は愛知国体の愛知県代表に選出され、そのときに膝の前十字靭帯を断裂してしまいました。25歳で選手としての将来を断念しましたが、心の靭帯は切れていなかった(笑)。何かサッカーに関わる仕事がしたいと考えて、まずは指導者を目指したのですが、当時の私には指導力も人脈も知識もなかった。そういうものを得る方法はないものかと『サッカーダイジェスト』を探したときに、「サッカー大会運営スタッフ募集」という広告が目に入ったんです。その求人に応募して面接を受けたのが、その後の人生の恩師となる横山周一という人物でした。彼は茨城県の波崎に「サッカータウン」を作った人物で、今の僕の仕事のやり方はほとんどが彼から盗んだものだと思っています。

そこで彼とともに5年間仕事をし、新たな第一歩を踏み出すときに、彼は病で他界しました。その彼の思いを受け継ぎ、2000年に我われはスポーツマネジメントとしてさらなる飛躍を目指して動き始めたわけです。

少年が大人になるまでそばにいる

この仕事はとにかくすべてが楽しいですよ(笑)。我われの大会でMVPに選んだ小学生が、中学生になってまた我われの大会に参加して、「おお、久しぶりだな!」。高校生になって我われの大会に出て、「おお、久しぶりだな!」。大学生になって「自分でサークルを作りました」と言って「おお、久しぶりだな!」。そして社会人になってもまだつながっているという具合です。一人のサッカー少年が大人になるまで、我われがずっとそばにいる。こんな素敵なことってないですよね。大変なことだってもちろんあります。大学サークルを集めた真夏の大会で、必要な審判の数を集めることができず、その責任を取って一人で1日7試合の笛を吹いたこともありました。見かねた参加チームの選手が1試合代役を務めてくれてどうにか倒れずに済みました(笑)。現場一筋でもう16年が経ちましたが、どんな形であれ、この先も僕は現場に立ち続けていると思います。サッカーって、やっぱり現場に答えがあると思っていますから。

最高の弟“ワッキー”

お笑い芸人をやっている弟との仲は最高ですね。小さな頃は、僕が遊びに出かけると後をついてくるあいつが疎ましくて、よく意地悪をしていたんです。向こうは向こうで、「あの頃はお兄ちゃんのこと、ぶっ殺してやりたいと思ってた」と。そんな兄弟の関係が近づいたのは、あいつがお笑い芸人になる前のこと。大学時代にケガでサッカーができなくなって途方に暮れていたあいつが、名古屋の僕の家に遊びに来ました。

外に飲み出て腹を割って話をしたときに、「中学、高校と僕が一番そばにいてほしいときに、お兄ちゃんはいてくれなかった」って言われたんですよね。父が転勤族だった関係で、僕は16歳から一人家族と離れて暮らしていたんです。だから多感な時期の弟が、友だちとの関係や、サッカーのことで悩んでもがいていたときに、僕はそばにいてやれなかった。それを言われた瞬間、「こいつのためなら何でもやってやろう」と決めたんです。それ以来、僕らはお互いがお互いを尊敬し合う兄弟になったというわけです。これは市船出身者なら分かると思うんですが、市船にはチャンピオン社製の“A-FOOTBALL(通称:エーフット)”というジャージがあります。それは弟の二つ下の代までしか作られなかった伝説(?)のジャージなのですが、それを僕がせがむと、弟は「これだけは渡せない」と。でも、僕が仕事から家に帰ると、テーブルの上に「僕はもうサッカーあきらめたから、お兄ちゃんに渡します。その代わりずっと捨てないでください」という書置きと一緒に、ジャージが置いてあったんです。エーフットはいまだに僕の宝物です。

日本を強くするためのオリジナルプラン

まずは、少なくともこの先10年は消えることのないであろう形。つまり学校の部活と、Jクラブ、町クラブという環境の中で、残すべきものと変えるべきものを明確にすることでしょうか。学校の部活動は選手が人格を形成する教育の場でもありますが、いまは全体的にサッカーのレベルとスキルがすごく向上した一方で、サッカー的な部分だけを伸ばそうとする傾向が強まっている気もします。既存のシステムの中にある日本の古き良きものを残す意味では、部活とクラブがお互いを否定し合うのではなく、人を育てる機能とサッカーのスキルを高める機能を、何らかの仕組みの中で融合させ、進化させていくことが必要なんだと思います。

では、その具体策とは何か?我われはずっとその問題に直面してきました。部活とクラブ、どちらからも情報が入ってくる立場にいる者として、それらを整理し、民間レベルでできることは何なのか。それを模索し続けて早10年。これはもう、近い将来に答えが出るような問題ではないです。ただ、この環境が変わらない以上、何かを仕掛ける立場にあるとは考えています。我われスポマネの理念はアマチュアサッカーの環境整備ですからね。

脇田英人が選んだベスト11

1982年スペインW杯ベスト11

僕は「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」の『ダイヤモンドサッカー』で海外サッカーと出会った世代なので、少年時代のアイドルといえば、ポーランドのボニエク、デンマークのイェスパー・オルセン、西ドイツのリトバルスキーあたりでしょうか。でも、「後半、また来週」なんて、いまじゃ考えられませんよね(笑)。本当に衝撃的な番組でした。あの当時を思い起こしながら、僕が始めてW杯というものを知った1982年スペイン大会のお気に入りベストイレブンを作ってみました。中学生のときに友だちが持っていたスペインW杯のゴール集、確かタイトルは『栄光の146ゴール』だったかな。あの映像は何度も何度も食いつくように見ていましたね。

脇田英人 プロフィール

脇田英人(ワキタヒデト)

脇田英人プロフィール

1969年5月16日生まれ。高校2年次に中西哲生(元名古屋)らとともに愛知県ユース代表に選出。1994年愛知国体で前十字靭帯を断裂し、現役を引退。以来アマチュアサッカーの環境整備に第二の人生を見出し、現在はスポーツマネジメント株式会社・代表取締役社長を務める。好きな言葉は「感謝の気持ちを忘れない」。最近読んで面白かった本は『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社)。

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