サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

独創的なフラワーアレンジやインスタレーションで注目のフラワーアートユニット「Plantica(プランティカ)」。そのメンバーとして活動する全智誠は、在日韓国人として、かつてサッカー在日韓国代表にも選出されていた。クリエイティブとサッカーの関わりから、李忠成や鄭大世らも活躍する在日のサッカー観まで。

日本を飛び越えたいと思っていた

小中学校は埼玉の朝鮮学校に通っていたんですが、朝鮮学校では、小学校1年生からサッカーをやるのが男の子として当たり前なことでした。だから、2年生から始めた僕は遅いほうです。朝鮮学校だけの全国大会で地元埼玉の朝鮮学校が優勝したこともあって、盛んだったというのもあったんですが。僕は当時、将来的に日本でサッカーをやる気がなかったんです。というのも、ずっと現役でやれる仕事じゃないし、やるんだったら海外だと思っていて、日本を飛び越えたかった。それで実力を試してみたくて、中学生になって、レッズユースを受けたりもしていました。レッズは合格したんですが、結局は小学校から行っていた韓FCというクラブチームを続けました。キム・グァンホさんとかと、在日初の北朝鮮代表だったハン・ジェヌンさんが監督で、今では埼玉でレッズ、アルディージャ、韓というくらいの大きなチームなりました。当時僕はレッズで学ぶことよりも、韓さんのもとでやるほうが大切だったんです。韓さんは僕の一生の恩師だと思っています。サッカーだけじゃなく、人としてもどうあるべきかを教えてくれたのも韓さんでした。設立当初はメンバーも7,8人くらいでしたけど、在日は僕だけ。よい師に出会えたことは大きいですね。一生頭が上がらないと思います(笑)。

中途半端にやるサッカーはできない

中学校3年生の時、日韓W杯を記念してソウル選抜と埼玉県のU-15選抜、そして僕ら在日韓国人、朝鮮人の選抜で大会があったんです。その時に僕が10番をつけさせてもらって、1点入れたのを覚えてます。どこが優勝したかは覚えてないんですが(笑)。その後いろいろお誘いをいただき、大宮東高校に入りました。高校三年間は、2年生の時に関東大会とインターハイ、3年生の時もインターハイに出場させてもらったんですが、2004年のインターハイは、その年優勝した鹿児島実業にPKで負けたのを思い出します。僕が行っていた時の大宮東高校は、ほんとはもっと上にいけただろうし、プロになる選手もいてよかったと思うんです。というのも、二年生まで指導してくれていた中村監督が定年されて、いなくなってしまったのが大きかった。僕もその時はサッカーのおもしろさを見失ってしまったのが、正直なところです。そんな中でも、うれしいことに高校卒業時もいろいろとオファーをいただいて、ホン・ミョンボさんなどのエージェントをしていた知人に会ったり、韓国で海外向けのエージェントに会ったりもしました。ちょうど中田浩二選手がマルセイユにいたころで、さらに人材を探していたみたいですごく推してくれたんですが、その頃から音楽とか服飾、デザインなどの、いわゆるクリエイティブな方向に興味が湧いてきていた時期で、職業としてのサッカーへの意識からは離れ始めたんです。結局は、大学に行きながら21歳までいろいろな経験をして、22歳の時に「Plantica」でお花、フラワーアートに出会いました。最初は一緒にやっている大栗忠久と知り合って手伝うようになり、だんだんと花が愉しくなって今に至ります。ずっとFWとしてサッカーをやってきて、普通にシュートを決めるのではなく、人を驚かしたり魅了したりするようなプレーができた時の喜びは、今でも何ものにも変えられません。あの時の快感は、仕事で大成功して大きなお金が入るというのでも得られないんです。僕はそれを味わうためにずっとサッカーをやってきたと思うし、FWというポジションじゃなかったら、中学校までも続けてなかったと思います。

いまはプレーするサッカーからはすっかり離れてしまいました。未練を残したくないという部分と、中途半端なサッカーはできないという気持ちがどうしてもあるんです。中高とすごくシビアな環境でサッカーをやってきて、勝つか負けるかの戦いしかなくて、レクリエーション的にやるサッカーがあんまり頭に浮かばないんです。

在日韓国人としてのサッカー観

父親が朝鮮籍、母親が韓国籍、母方のおばあちゃんが日本人で、ぼくは3つの中から国籍を選べる状態だったんです。日本代表を目指すというのは、特には考えていませんでした。韓FCでも高校時代でも、一緒にやってきたのは日本人なんですね。僕は、その日本のサッカーの中で一役遂げることを常に考えていました。だから日本代表になるというよりも、代表になるのであれば韓国以外でスポットを浴びて、韓国代表になるのが一番だと考えていたはずです。アジアカップ準決勝の日韓戦を見ていた時は、どっちも応援していました。というのも、国籍は韓国なんですけど、僕にとっての母国は日本。僕は日本で生れて育って日本の環境で自分を形にしてきているので、どっちも応援するし、どっちが勝ってもうれしい。反面、どっちが負けても悲しい。だから複雑ですね(笑)。周りの在日の人は朝鮮籍の人も韓国籍も、多くは朝鮮小学校から大学まで通うから、日本の人と触れ合うことがないので、やっぱり日本じゃない方を応援すると思います。日韓W杯の時は、韓国で韓国対ポルトガルを観に行きました。韓国がポルトガルに勝ったあの試合です。すごいと思ったのは、韓国がポルトガルに勝った日は電車から警察から全員が勝利の雄叫びをあげて、お祭り状態なんです。電車のブザー音みたいなので、韓国のテハミングのメロディを鳴らしてるんですね。しかも、警察も(笑)。これを見て、韓国は愛国心が強いんだなって。同じ同胞が“武器を持たない戦争”であるW杯で、みんなの代表として戦っているのを応援するんだ、っていうのをすごく感じる。日本は勝ってもやっぱりどこか礼儀正しい。自分はどっちの感覚もありました。冷静だけど、心のなかでは興奮しているみたいな(笑)。

夢のあるサッカー教育を

日本は、サッカー教育をもうちょっとよくできるんじゃないかと思うんです。例えばフランスって小さい頃から代表選手のためだけの施設があって、そこは学校の教育も受けられるシステムがあるじゃないですか。そういう仕組みがあるからこそ、選手が育ってくると思うんです。フランスは例ですが、他の国にもそういうのはあると思うんですね。日本もそこにもうちょっとだけでも力を入れていいんじゃないかなって。一部エリートの力をより伸ばす意味もありますけど、まだそこに至らない小学生たちもモチベーションが変わってくると思うんです。夢も増えるし、もっともっといろんなことに繋がってくるんじゃないかと。

芝生という植物

今でこそ僕の人生は花ですが、そこに到るまでの僕をかたちにしたのは間違いなくサッカーです。だからサッカー自体、芝生という植物の上でやっているスポーツでもあるわけで、花と絡めたいですよね。花由来の華やかって言葉があるように、国際Aマッチは憧れであるという意味でも華やかであるべきで、入場するところに大きなオブジェを作るのもいいですよね。

全 智誠が選んだベスト11

単刀直入。98年のフランス代表

単刀直入に言うと、98年のフランス代表です(笑)。僕は、いまのスペインみたいなパスサッカーがあんまり好きじゃないんです。好きなのは、各ポジションごと何かに秀でた選手がいるサッカー。だから98年W杯のフランス代表が一番大好きで、どこにパスがいっても驚きがある。圧倒的な力で勝つような、完全試合を期待します。どこを見ても穴がないですからね。僕は監督に拘ったことないので、監督はどうせなら伝説の三人にお願いしたいですね。監督クライフ、ヘッドコーチがプラティニ、テクニカルコーチにベッケンバウアーの三人にぜひ(笑)。

全 智誠 プロフィール

全 智誠(ゼン・チソン)

全 智誠プロフィール

1986年、埼玉生まれ。在日韓国3世。

小学校時代からハン・ジェヌンが指導する韓FCに所属、中学3年時には在日韓国代表に選出される。現在は、花や植物などの自然素材を使った独創的なインスタレーションで注目され、広告やショップディスプレイを中心に活躍する
「Plantica」のメンバーとして活動している。

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