サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

2004年10月に創刊し、いまではサポーター必携の観戦ツールとして認知されたサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』。創刊以来6年にわたり、おなじみのピンク色の紙面にサッカー文化を紡いできたデザイナーが、記念の1000号を目前に自身の仕事観を語った。

落書き帳に描き続ける感覚で

「『エル・ゴラッソ』は日本のサポーター文化に根付いたね?」なんてたまに言われますけど、創刊から6年経ったいまも、正直その実感がないんですよ。電車の中やスタジアムで読んでくれている読者の方が増えているのは目に見えてわかるのですが、根付いたかと聞かれると僕にはまだわからない。編集者や記者と違い、僕らデザイナーは基本的に制作部屋の中にこもって作業をしていますから、余計にそう感じるのかもしれません。ただ、目の前の1号を作るために部屋にこもって作業することは、僕にとって苦痛ではないんです。僕は子供のころ、親に買ってもらった落書き帳に絵を描くのが好きで、1冊を2週間くらいで真っ黒にしていました。すると、また1冊買ってもらえる。いま『エル・ゴラッソ』を作っているのも、大好きな絵を描き続ける感覚とまったく同じなんです。普通はモチベーションを保つために外に出て新鮮な空気を吸って…、と考えるんでしょうが、僕にはそれが必要ない。どちらかと言えば、職人気質なんだと思います。1つの仕事をやり続ける職人には、“ここまで”っていうゴールはありませんよね。それと同じでデザインも毎回が挑戦なんだと思います。

モニターの前に座ってモチベーションが湧かなくなったら、そのときはもう商売を変えるしかないでしょうね。

サッカーをデザインするということ

僕の場合は、新しいデザインを血眼になって探しているというよりは、生活の中から自然に入ってくるものを、自然な形でアウトプットしている感じですよね。僕は昔から海外のサッカーが好きだったので、サッカーを被写体にした媒体をデザインする上で、向こうのスポーツ新聞やスポーツ雑誌のテイストを生かしたいという気持ちが前提にあります。10代のころの僕が「かっこいい」と思った『マルカ』や『フランスフットボール』は、少なくとも15年くらい前のデザインだから、いまそれをそのまま出すわけにはいきません。だから、いま僕がやっているのは、僕の記憶の中にある当時の海外スポーツ紙のテイストに現在をブレンドして表現することなんだと思っています。かつての僕がマルカを見て「かっこいい」と思ったあの感覚を、いまの読者が感じてくれたら幸せですよね。ただ、いま作ってるものがゴールじゃないし、完成形だとは思わない。いまの『エル・ゴラッソ』を「いいな」と思ってくれる読者もきっといるとは思いますが、ゴールはもっとずっと先にある。かっこよさって、見てくれだけじゃなくて、背景にある文化だと思うんです。『レキップ』や『ガゼッタ』、『キッカー』をファンが日常生活の一部として受け入れている。そういうものを、いまの日本のファンに味わってほしいと思っているんです。

記念すべき1000号も道の途中

読者の皆さんのおかげで、『エル・ゴラッソ』は間もなく1000号を迎えます。でも、自分が作った1面で「これは傑作だ」と思うものは、正直1つもないんですよね(笑)。僕らが作っているのは新聞なので、制作時間がかなり限られているということも1つの理由ではあります。もっと作り込みたい気持ちをこらえて、入稿時間に滑り込ませることもしばしばです。でも、僕はそこにも魅力を感じています。このサイクルの中で、いいものを作る。年月を重ねて、良くなっている部分もある。そこに挑戦している感じはありますね。

最近の号で印象に残った表紙ということなら、アジアカップ優勝レポート号でしょうか。オフシーズンに始動した日本代表だから、初戦のヨルダン戦(1-1)を観たときにはグループリーグ敗退もあるかな、と思ったけど、大会を通してザッケローニ監督への信頼感が高まり、チームがまとまっていくのがよくわかりましたよね。この代表チームには、真面目な日本人気質がわかりやすいくらいよく表れていた。ファンもそこに引き込まれていったんだと思います。格下と言われる国に苦しめられても、最後はきっちり勝ち点もぎ取るあたりは、往年のイタリアみたいな強さがありましたよね。2-1でリードしていた韓国との準決勝の後半ロスタイムに、敵陣のコーナーフラッグ近辺で本田圭佑と長友が平然とキープを繰り返していたシーンを見たときは、思わず目頭が熱くなってしまいました。小学生のときに観た日本リーグとか、そこに集まっていた数は少ないけど本物のサッカー好きのおじさんたちとか、そんな情景がオーバーラップしたんです。日本が強いチームに「惜敗」する時代は終わって、「カズ」や「中田」、「俊輔」といった個人ばかりを見ていたファンが「チーム」を語るようになって、本田圭佑と長友の時間稼ぎを解説者の説明なしに理解している。そのことがたまらなくうれしかったんです。

山内卓也が選んだベスト11

世界のスタジアムベスト11

町の中に建つたたずまいがテレビの画面を通じて観られるような、雰囲気のあるスタジアムでベストイレブンを選んでみました。だから当然イングランドのウェンブリーは改修前のトタン屋根みたいなウェンブリー。雨が降ると音がうるさくて、もう試合どころじゃない(笑)。こうして並べてみるとマラドーナが活躍したスタジアムが多いですね。コムナーレは、プラティニやミカエル・ラウドルップ、シレアなどを擁するユベントス黄金期を象徴するスタジアムです。郊外にありすぎて非難轟々のデッレ・アルピに思い入れはありません。

角にでっかい4本柱を持つサンプドリアのルイジ・フェラリスは、角度によっては付近の席から試合が観られないという不便さがたまらなく好きですね。数多の伝説を生んだミュンヘン五輪競技場は、ドイツに遊びに行ったときに、試合日以外は自由に入れる雰囲気だったので、勝手に入らせていただきました。スタンドに座って、ユーロ1988のオランダ対ソ連の決勝でファン・バステンが“あのボレー”を決めたエリアをずっと眺めていましたね。あまりに何度も映像を見てきたもので、目を閉じるとあのプレーが浮かんで見えちゃうわけです。そこに座って一人で勝手に感動しているんですから、ただのサッカーマニアですよ(笑)。監督は無条件に国立競技場。小学生時代からW杯や海外のサッカーファンの文化を象徴するスタジアム、横断幕といったものに憧れていた僕にとって、唯一対抗できそうな武器が国立だったのですが、当時そこが観客で埋まることは決してないわけです。ところが、Jリーグ開幕前年に行われたナビスコカップの決勝で、初めて満員の国立を見ました。実況が「ここはスペインのカンプ・ノウか、イタリアのサン・シーロか!?」と言ったときに感じたゾクゾク感は、死ぬまで忘れないでしょうね。

山内卓也 プロフィール

山内卓也(ヤマウチタクヤ)

山内卓也プロフィール

1978年4月5日神奈川県出身。物心ついたときから近所の空き地でボールを蹴りはじめ、家に帰ると絵に没頭した。小・中学生時代はサッカー部で活躍しながら、絵本作家になることを夢に見る。高校卒業後はデザイン専門学校で絵本創作コースを専攻。その後デザイン会社勤務を経て株式会社スクワッドに入社。『エル・ゴラッソ』の誕生から現在までを支える。

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