サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

現役時代に南米屈指のビッグクラブ、ボカ・ジュニオルスとプロ契約を結び、アルゼンチンサッカーに挑戦する日本人選手の先駆けとして知られる亘崇詞。数多くのアルゼンチン代表選手に“幸運をもたらす男”として慕われる日本人が、ありのままの南米を語ってくれた。

お菓子の国とサッカーの国

今回は、僕が南米(主にアルゼンチン)で体験したエピソードをいくつかお話ししましょう。1991年、プロサッカー選手になるためにアルゼンチンに渡った僕がまず知ったのは、この国では、あらゆる点においてサッカーが“メイン”だということ。僕は後にブラジルにも行きましたが、あの国って人気スポーツがいくつもあるんですよ。バレーボールやモータースポーツなんかもそう。その分サッカーへの情熱が分散してしまっている感じがするんですよね。その点、アルゼンチン人の頭の中はサッカーばかり。“お菓子の国”がどこかにあるなら、“サッカーの国”は間違いなくアルゼンチンですよ。

ビッグスター、テベスのサナギ時代

アルゼンチン時代には、多くのチームメイトと友人になりました。僕の場合、たまたま仲良くしていた選手が後にビッグになるケースが多いんです。例えばテベス。彼は、ボカでは6番手ぐらいのFWでした。そのときの監督のビアンチさんはテベスを使う気がまったくなくて、紅白戦では彼がピッチの外に残されて、僕が出ていたくらい。もう完全に蚊帳の外ですよ。僕もそれを気にしていて、「お前は絶対にポテンシャルあるぞ」とか、よくそんな話をしていました。
テベスとのエピソードなら、こんなのもあります。90年、94年、98年のW杯アルゼンチン代表メンバーで、ローマで大活躍したあのバルボが、ヨーロッパでのキャリアを終えて、ボカに来ていた時期があったんです。全然活躍できなかったんですけど、ただシュートはめちゃくちゃうまかった。そのバルボが練習しているのを、いつもテベスと並んで体育座りして見ていたんですよ。「この人すげーな」って(笑)。テベスにもサナギの時期ってものがあったんですよね。その後、若手の抜擢に定評のあるタバレスというウルグアイ人監督に変わった途端にテベスが使われ出して、あんな選手になっちゃったんです。タバレスがテベスを使ったのは、リケルメとの衝突があったからなんですけどね。だから人生って、わからないものなんです、ほんとに(笑)。

苦労人の坊ちゃん、サンターナ

当時の知り合いとの再会は、それはうれしいものですよ。テベスはあいつが15歳のときから知っているけど、会うたびに人間がランクアップしているし、リケルメにビジャレアルで会ったときもうれしかった。最近再会した選手でいえば、アルゼンチンから帰化したパラグアイ代表のサンターナ。W杯も2回出ていて、日本戦にも出てますよ。彼はアルゼンチンの2部チームで知り合ったのですが、合宿のときなどはルームメイトでした。彼はお坊ちゃんのわりに苦労人という変わったやつでした。どこに行っても「親のコネでチームに入ってきたんだろ?」なんて言われてしまうやつで、足先の技術的には日本人選手よりも低かったですね。ただ、彼が普通のお坊ちゃんと違うのは、とにかくがんばること(笑)。がんばって、そのチームで半分くらい試合に出て、次はうまくアルゼンチンの1部のチームに行きました。そこでも“親ネタ”で冷やかされながらがんばって、そこそこ試合に出て、今度はリーベルというビッグクラブに行くんです。そのころはもう、態度なんかもシャキっとしちゃってましたね。そしたら今度はドイツのボルフスブルクに入っちゃうわ、パラグアイに帰化してW杯に出ちゃうわ。
で、そのサンターナに久々に会ったんです。でも、人間的には当時と全然変わっていませんでした。チャリティショーで僕と一緒に女装を披露したあいつが、W杯に2回も出ちゃうなんてね(笑)。南米って、そんなシンデレラストーリーがゴロゴロしてるところなんですよ。

チームメイト、マラドーナの凄味

30代も半ばを迎えた僕は、“この年でも入団テストを受けられる南米”というものを日本の皆さんにお伝えしたくて、2006年にペルーで入団テストを受けました。どこかのクラブに入れたらいいなと思っていたら、運よくスポルティング・クリスタルというビッグクラブに入ることができたんです。ところが、本物の幸運はその後やってきます。クラブの記念試合にゲスト参加したマラドーナと、同じチームでプレーできたんです。マラドーナは絶対にボールを奪われないし、プレーでも魅せる。CKのときにボールをプレゼントするといったファンサービスまでうまい。それでいて集中が途切れない。格が違うなって思いましたね。彼がチームをまとめる存在感、あれは本当にすごいんです。この試合の控え室でも、親、兄弟、いとこ全員からサインをねだられているメンバーのリクエストに一つひとつ対応するし、他でもきっちりサービスする。「これで最後ね」と切り替えた瞬間に、気が抜けているチームメイトに声をかけたり。マラドーナって、なんかこう、武将みたいな感じなんです。うまいだけじゃない、モノが違うんです。ちゃらんぽらんに見えるじゃないですか。監督としてはやさしい面が出すぎたとも言われてます。でも選手としては、とてつもない人なんですよ。

指導も解説も、たくさんの情報を

指導の仕事もテレビの仕事も、僕はまったく同じ気持ちでやっています。日本人は過剰なほど“世界”を意識しますが、僕は実はそれ自体がナンセンスで、もっと世界をフラットに考えたほうがいいと思っているんです。サッカーを教えている子供たちには「こうしなさい!」じゃなく、「こんなサッカーもあるよ」ってプレーで見せてあげたり、いろんな話や、僕が持っている映像を見せてあげて、その中から子供が勝手に選んでくれればいいと思っているんです。解説の仕事でも、たくさんの情報を提供するというスタンスは変わりません。選手の性格や、スタジアムの雰囲気、スタジアムのある街のこと、その国の気候…、いろんなものがあって、「こんなサッカーになってるのかな」といったものを感じてくれるようになったら、日本のサッカーを観る感覚が変わってくるんじゃないかと思っています。そして、いつか僕を育ててくれたアルゼンチンに小学生や中学生を連れて行き、あの国のいろんなものを見せたい。日本の子供たちの良さも見てもらいたいですしね。それが今の僕の夢ですね。

亘崇詞が選んだベスト11

86年メキシコW杯アルゼンチン代表

ベストイレブンを選んで、と言われたら、マラドーナ、リケルメ、アイマール、テベス、メッシみたいな選手を集めてみたくなりますが、そのチームが勝てるかどうかはわかりません。というわけで、僕が選ぶベストイレブンは、W杯を獲るためだけに選ばれた86年メキシコW杯のアルゼンチン代表です。当時のアルゼンチンはもっとすごいメンバーを組めたんです。でも、ビラルド監督はマラドーナをチームの核に据え、ファンのものすごい批判にさらされながら、その他のメンバーをすべてマラドーナの“黒子”で固めてしまったんです。選ばれたメンバーはメンバーで、マラドーナに賭けたんですね。だけど、本当はマラドーナのことが好きじゃないとわかったのは、あの人が代表監督になったとき。マラドーナは当時のみんなにスタッフ陣に入ってくれと声をかけたけど、みんなに断られてしまいました(笑)。だから、あのとき彼らは、勝つために黒子に徹してたんですよ。「しょうがねぇ、我慢してこいつについてくか」って(笑)。


 

・GKプンピード
指折る、足折るで有名な人ですが、監督としてはオリンピア(パラグアイ)で監督としてトヨタカップにも出場した、意外と戦術家。
 
・右SBクチューフォ
僕のボカの先輩で、とにかく上下運動で生きてる人。“カルリレイロ”(飛脚)って呼ばれてます。南米で、ものを運ぶ人のことですね。
 
・右CBルジェリ
マラドーナも認める勝ち運の持ち主。トヨタカップもCLも獲ってます。ヘディング以外の能力的には世界的に見るとほどほどな選手ですが、マラドーナは「俺の持ってないカップを全部持っている!」と(笑)。
 
・左CBブラウン
脱臼した肩をユニフォームに空けた穴に指を通して固定して、W杯を戦い抜いた選手です。W杯中は誰も気が付きませんでした。
 
・左SBオラルティコエチア
本当はトップ下やボランチの人だけど、このチームではSBでプレー。何でもできちゃうすごい才能の持ち主で、アクロバティックなクリアでも魅せました。
 
・右DMFジュスティー
アルヘンティノスJRSやインデペンディエンテで活躍したSBもこなせるMF。豊富な運動量で攻守に貢献した男前!
 
・左DMFバティスタ
言わずと知れた、現アルゼンチン代表監督。日本では福岡でもプレーしましたね。このチームの“おへそ”は彼のポジションでした。
 
・右MFエンリケ
当時の所属クラブではベンチを温めていたこともありましたが、ビラルドに抜擢され、マラドーナの“6人抜き”を生むパスを出しました。愛称は“ロコ”(クレイジー)。
 
・左MFブルチャガ
この人も所属クラブでは得点王を獲るほどの中心選手。いまで言うトップ下の選手でしたが、この代表ではマラドーナの女房役に徹します。ただ、マラドーナにマークが集中したときは、彼がゲームを作りました。決勝の3点目はこの人のスルーパスから生まれています。
 
・トップ下 マラドーナ
多くのアルゼンチン人が命を落としたフォークランド紛争後の、イギリスに対する激しい国民感情を一身に背負った男が、“敵国”を相手に“神の手ゴール”と“6人抜きゴール”を決めてしまいます。もう、それだけで神の域。
 
・FWバルダーノ
マラドーナの“6人抜き”では、常にバルダーノが隣にいて、マラドーナのドリブルしやすいスペースを作っているんです。だから捕まえにくかったんですね。
 
・監督ビラルド
24時間サッカーのことを考えて、いつも奇策を練っている監督です。W杯を獲って自分の選択の正しさを証明した後には、アルゼンチン中の「ごめんなさい」に迎えられて凱旋しました。

亘崇詞 プロフィール

亘崇詞(ワタリタカシ)

亘崇詞プロフィール

1972年3月8日、岡山県出身。高校卒業後、三菱石油水島(現新日本石油精製水島)に入社し、サッカー部の社員選手として活躍。91年に同社を退社し、プロサッカー選手を目指して単身アルゼンチンへ。持ち前の技術と行動力でボカ・ジュニオルス(アルゼンチン)などとプロ契約を結び、現アルゼンチン代表の主力クラスをはじめ、数多くの選手と“アミーゴ”になる。現在はジュニアユース年代のサッカー指導者、解説者として活動中。

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