サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

2006年10月に創刊した日本初の海外サッカー週刊誌『フットボリスタ』。スペイン・セビージャを活動の拠点とする名物編集長・木村浩嗣は現在、現地少年サッカーチームの監督としても忙しい日々を送る。そんな彼が自身のライフ・ワーク・バランスと、人気コラム「『フットボリスタ』主義」の執筆スタンスを語る。

セビージャで二足のわらじ

私がセビージャにやって来てから、あっという間に2年半が経ちました。スペインにいながら日本の週刊誌の編集長をしているわけですから、私の生活は毎週ジェットラグの中にいるようなものです。私はこちらで少年サッカークラブの監督としても活動しているので、二つの仕事の両立はそれなりにハードな作業ではあります。ただ、東京で雑誌を作っていたときより生活面は充実してますね。きっちり昼寝もしてますし(笑)。元気がないと、いい雑誌は作れません。それに、友人たちからもらう刺激も大切。いま特に仲良くしているのは10人ほどですが、様々な国籍の友人たちと日替わりで会い、いろんな話をし、食事をして、ちゃんと夜遊びもしています。

少年サッカー監督を続ける理由

今シーズンは10、11歳のチームの監督を任されているので、私の生活に占める監督業の比重はかなり大きいです。セビージャが負けたときよりも、自分のチームの負けの方がガックリ来ますよ。それはもう、比較にならないくらいに。私は、私の好きなパスサッカーが通用するはずだ、という信念で監督をやっています。それが子供たちのためにもなると信じているのですが、育てるサッカーと勝つサッカーはやはり別物。負けてばかりの今シーズンはチームのモラルが崩壊して、立て直すのに途方もないエネルギーを使いました。親とクラブからのプレッシャーもきつかったですね(笑)。それでも、監督をしていなければスペイン生活に魅力はない。それは断言できます。グラウンドの上で経験もせず、試合だけを観ていても、私はものを書けるようにはならないし、監督の心理について話すこともできない。監督業も編集業も互いが互いを支え合い、質が上がっていくわけです。子供たちや親との交流だってためになりますよ。子供の親たちは、ソーシャルネットワークで知り合う友だちとは、世代も違えば考え方も違う。子供は子供で正直にいろんなことをぶつけてきます。まあ、それが悩みの種なのですが。今回セビージャという街で指導していることは、私にとってすごく勉強になっています。今シーズンは監督としてもちょっと良くなったかな。来シーズンはもっとうまくできると思います。サッカーは結果が出ますから。指導の質が上がれば子供は上手くなるし、チームも勝つ可能性が高くなりますから。

『フットボリスタ』主義

『フットボリスタ』の名物コーナー(?)と言われている、巻頭言「『フットボリスタ』主義」についてお話ししましょうか。あのコラムでは、世の中や自分の身に起こる、サッカーに関係していることを書いています。例えば、先日は震災のことを書きましたが(2011年3月23日号・第205号)、当然私は震災を経験していません。ですから、あの出来事が起こった後、私の周りの人々がどう反応したか、どんなふうに優しさを見せてくれたか、ということをコラムのテーマに選んだわけです。実際友人たちは私にいろんなことをしてくれました。あるいは無神経な意見に腹を立てもしました。それはすべて私の身に起こったこと。それを表現することが、ものを書く人の仕事だと思うんです。

「このたびの震災で……申し上げます」と書くのは物書きの仕事じゃない。そんな通り一遍のことを書くのではなく、それを自分がどう思い、どう影響を与えたか。それが大事なんです。あくまでも、自分の生活の中で起こる物事、社会的な物事が、自分に影響を与え、それによって私はこう考えた。そういう書き方になっているはずです。あのコラムは、創刊以来4年半ずっと、すべて同じスタンスで書いてきました。生活にやりきれなさや不満を抱えネガティブな話題が続いた時期も(特にそれは東京時代に顕著でしたが…)何も言わずに黙って書かせてくれた会社には感謝していますね。自己批判もするし、ときには自分の雑誌の悪口だって言う。昨年末には、同棲していた恋人がアパートを出て行ったときのエピソードを、去り際の台詞込みで書きました(2011年1月12・19日合併号・第196号)。でも、あれは日記ではない。あの出来事を通して、私は「仕事がない」という状況がもたらすやりがいのなさが、私生活までをも壊してしまうということを、サッカーに落とし込んで書きたかったのです。そんなことまで書いてしまうのだから、あのコラムに関して「執筆秘話」などと呼べるものはありません。だって、なんにも隠すものがないんですから(笑)。

幸せと美しい勝利の追求

私の人生の目標は幸せになること。いまも幸せですが、もっともっとね。いろんな人と知り合いたいし、仕事もうまく行かせたい。仕事がうまく行かないと、私は幸せになれない。自分が認められる場として仕事はきちんとやらなければいけないし、雑誌は売れなきゃいけない。雑誌が売れないと編集部の仲間も幸せになれないし、彼らが幸せになれないと、いい雑誌はできません。雑誌が売れて仕事がうまく行けば、私は魅力的な人になるから、この先も魅力的な人と知り合える。それはスペインでも日本でも同じです。毎日機嫌もいいですよ。私がサッカー雑誌編集者、あるいはサッカーライターとして成長すれば、監督業の方も同じく成長するでしょう。つなぐサッカーでいいチームを作って、ロングボールを蹴るサッカーが横行している、セビージャの少年サッカー界を見返してやりたいんです。リーグ戦でGKが蹴らずに投げるのは、うちのチームだけですから(笑)。いいサッカーをして、美しく勝つチームを作りたい。美しく勝つチームの子供たちには、技術があって戦術眼もある。そんな子供たちを、楽しいサッカーを通じて育てたい。それができれば、私は監督として幸せだし、子供は幸せになるし、子供の親も幸せだろうと。もっといいサッカーしようよ、っていう提案でもありますよね。サッカーの本場スペインに対する。私はそれをやりたいと思っているし、いま実際にやっています。来シーズンは、このためにやっていたんだ、と思ってもらえるように、信じてやっています。子供にも親にも、クラブの人にもね。

木村浩嗣が選んだベスト11

サラマンカのゴール裏から見たイレブン

1994年にスペインに渡り、サラマンカという街で12年を過ごした私ですが、初めはそれほどサッカーに興味はありませんでした。が、UDサラマンカという地元のクラブの試合に通ううちに、この世界に魅了され、監督の学校に通ってライセンスを取得。地元の少年サッカーチームを指導するようになりました。その経験があったからこそ、サッカーライター、サッカー雑誌編集者としてのいまの自分がある。今回は当時の私をサッカーの世界に誘ってくれた、サラマンカのゴール裏から見た、凄かったイレブンです。(※所属は感動した当時)

・GK ボグダン・ステレア(サラマンカ) 
元ルーマニア代表で、我がチームから98年フランスW杯に選ばれた唯一の選手。ムラのあるセーブと、最も人目を引くマジョール広場のカフェに皆勤という目立ちたがり具合が好きだった。
 
・左SB カルボーニ(バレンシア)
職人の仕事ぶりとともに、プライドが高いイタリア人でありながら、スペインで大成し愛されたほとんど唯一の例。笑顔を絶やさず、コメントも率直。「一番汚いのは唾を吐く選手」と、暗にある超人気選手を批判したことで好感を抱く。
 
・左右のCB マウロ・シルバ(デポルティーボ)、マジーニョ(セルタ)
サッカー初心者だったので守備には目が行かなかった。「この2人くらい上手ければCBだって軽いはず」とブラジル代表の守備的MFコンビを抜擢。大きなお尻を使いボールを遠くに置き、ロストしないマウロ。プレッシャーのきついところで、平気でソンブレロ(ボールを頭上に浮かせて相手をかわす)するマジーニョの意外性は、スペイン人にはないものでした。
 
・右SB ミチェル・サルガド(サラマンカ)
セルタからの入団テストで見て以来のファン。一度サラマンカのチーム全体と記念撮影した時に「ここへ来い!」としゃがんだ股の間に入れてくれた。シュートはよく外したが、めげずに何度もサイドを駆け上がるひたむきさ。若さっていい。
 
・右ボランチ ジューレン・ゲレーロ(ビルバオ) 
金髪の貴公子の全盛時代は、女性ファンの数でいまのメッシやロナウドなど問題にならないほど。体型もスマートですっと伸びた背筋から、強烈なミドルシュートを放つ。あんな美しい選手は見たことがない。
 
・左 ボランチ ジェラール(バルセロナB)
2部時代に対戦。“グアルディオラ2世”と言われていたが、スタイルはずっと攻撃的だった。ワンタッチパスをはたいて密集から抜け出してシュートが得意技。作れる、回せる、点が取れるという万能ぶりに驚く。
 
・左サイド MF バレリー・カルピン(レアル・ソシエダ)
金髪刈り上げ頭時代の奴は、何でも一人でやっていた。中盤でパスをもらい、直線的なドリブルで3、4人抜いて強烈なシュートを叩き込んだ。「なんだありゃ」と思ったあの雨の午後は忘れられない。
 
・トップ下 ミヤトビッチ(バレンシア)
レアル・マドリーに行って、シュートを打つだけのFWになってしまったが、バレンシア時代の彼はこれぞ攻撃的MF。足裏でターンしながらマーカーを外し、もう1人抜いてスルーパス。スローモーションで見たい優雅さだった。
 
・右サイド MF シュケル(セビージャ)
凄い、凄いという前評判で見に行ったが、ワンタッチかツータッチでどこでもいつでもシュートを打ってしまう本能は、レアル・マドリーのお膳立てがないと開花しなかった。尖った鼻とアゴ、柔和な視線、甘く曖昧なスペイン語で女たちをメロメロにするのも速かった。
 
・ワントップ パウレタ(サラマンカ)
最も大成したサラマンカ所属選手だろう。彼のスペインデビューゴール、左から中央へ切り込んで放って突き刺したミドルを目撃した、が私の孫にも聞かせられる自慢である。前述の記念撮影時には、両目をビヨーンと引っ張る東洋人の顔真似も披露してくれたが、許す。
 
・監督 ファン・マヌエル・リージョ(サラマンカ)
彼がサラマンカを1部昇格させず、スタジアムに通うことでサッカーにほれ込まなければいまの俺はなかった大恩人。グアルディオラに匹敵するパスサッカーの伝道師で、解任されてばっかりという点にも共感を覚える。

木村浩嗣 プロフィール

木村浩嗣(キムラヒロツグ)

木村浩嗣プロフィール

1962年2月22日生まれ、愛媛県出身。編集者、コピーライターを経て1994年からスペイン・サラマンカへ。98年と99年にスペインサッカー連盟のコーチライセンスを取得し指導の道へ。06年9月に帰国し、『footballista』編集長に就任。08年12月からスペイン・セビージャに拠点を移し、特派員兼編集長となる。そのかたわら「美しく勝利する」を目標に地元少年チームを指導中。ヘルマン・ヘッセ、赤ワイン、ウッディ・アレン、ジャズを愛し、映画と料理が趣味。(海外サッカー週刊誌『フットボリスタ』毎週水曜発行・300円)

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