サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

都内6つの大学でフランス文学やラップカルチャー、フットボールについての授業を持ちながら、様々な媒体への執筆活動も続ける陣野俊史。これまで『フットボール・エクスプロージョン』や『フットボール都市論』という二冊のフットボール本も刊行している彼が、極私的に語ってくれたサッカーへの愛はフランスとジダンとともにあった。

表紙に登場し続けたプラティニの姿

80年代にサッカーを見始めたとき、周りはプラティニの時代でした。週刊サッカーマガジンが隔月刊だった時代に、何ヶ月経っても表紙がプラティニという時期があり、なぜ毎号プラティニなんだという驚きからその付き合いは始まっています。それに、やはり僕らの世代はダイアモンドサッカーですね。現実にプレーを目にするよりもそういう情報として入ってくることばかりで想像するしかありませんでした。以前、大杉漣さんとサッカーについて対談した際、50年代のハンガリー代表、通称「マジック・マジャール」の話題になり、ハンガリー代表のキーパーは手をのばすと蜘蛛のようにゴールポストに届く、みたいなイメージを大杉さんがずっと信じていたと言っていました。そういう長閑な時代でした(笑)。

やっぱり、ジダンが好き

一時期あまり観ない時期を挟んで96年。その年のヨーロッパ選手権からジダンが登場しました。気付いたのは、つまるところ僕はジダンが好きなんですね。ジダンは今でも僕の中で特殊な選手。代表は96年から06年までの10年間ですが、その10年間はフランス代表を観ていて楽しかった。次は、ジダンの息子、エンゾ・ジダンが上のリーグに上がってくるのを待っています(笑)。レアル・ユースにいて、スペイン代表とフランス代表のどちらを選ぶのか。ぜひフランス代表の10番ジダンを観たいですね。とはいえ、そもそもなぜフランスサッカーが好きなのかというと、大学院時代にフランス文学を研究していたのですが、人と同じ道を歩くのが好きじゃないタイプで、興味がフランスのサッカーや音楽にシフトしていきました。そうしたらどんどんハマっていってしまったんです。あとはマルセイユですね。マルセイユは、今行くと何の変哲もない港町ですが、飛行機文化ができる前のマルセイユはフランスの交易の中心都市でした。かつてはマルセイユ経由で上陸してフランスに入っていたわけで、マルセイユはすごくおもしろい街なんです。ジダンの出身地でもあるし、『フットボール都市論』でも書きましたがオリンピック・ドゥ・マルセイユというチームも好き。パリ中心のフランス文化に対するオルタナティブな感じがある。でも、これもやっぱりジダン絡みですが(笑)。ジダンとかルイ・コスタのような10番の選手が好きなんですね。いわゆる10番でトップ下のゲームメイカー。古いサッカー感だとは思います。いま世界最強バルセロナのメッシが10番の動きかというと違う。なんでもできるけど、僕にとっての10番じゃない。いまじゃトップ下の10番というのが絶滅危惧種みたいになってますけど、それにこだわりたい。ジダンやルイ・コスタのような10番がいると、その人中心にチーム作りますよね。もう他の構想もへったくれもなく、その人中心。そういう人が好きです。

サッカーと音楽が一致する瞬間

文学やサッカーの他に『じゃがたら』や『渋さ知らズ』というバンドの本も書いているんですが、そういう音楽とサッカーって同じなんですよね。特定の時間にそこに行って、自分を忘れるくらいめちゃくちゃ盛り上がって、日常に戻っていく。
その数時間、サッカーでは90分という時間はいったい何なんだと。一種の瞬間的な共同体がたくさんできるのだけれど、その正体を掴むためにずっと考えている気がします。じゃがたらの江戸さんという人がライブ後に観客と話すのが好きで、5時間ずっとファンと話していたりするんです。今ああいう人っていないんじゃないかな。祝祭的なライブだけじゃなく、ライブに来てくれた人たちの悩みをずっと聞くということまで含めて自分たちのパフォーマンスにしている。全部ひっくるめて引き受けるみたいな。それを支えているものを知りたいと思って、本を書いたりしています。サッカーと音楽が、自分の中ではそういう現場として一貫している気がします。ただ不幸なことなのですが、音楽と違ってサッカーでサポーターになっているクラブはありません。Jリーグの始まる90年代前半にあまりサッカーを観れていなかったというのもあって、帰属したい気持ちはあるのですが帰属しきれない。最近考えているのは、僕が長崎の生まれで、原爆で一度何もかもなくなったせいなのかなと。実際は、原爆が落ちたところから少し離れたところで育ったのですが、一回ゼロになって復興しているというイメージがやはりあるんでしょうね。要するに、帰属すべき場所を見つけたとしても、ひょっとしたらふとしたはずみでゼロになる瞬間が来るかもしれないとどこかでずっと思っている。そんな帰属への危機感がどこかであるのかもしれません。

まるで事故のようなプレーを目撃したい

フランス代表に関しては、チームとして好きかどうかという以前に、フランス人のナショナリストよりも応援している感じです。とはいえ、フランス人はナショナリストが少ないんですが(笑)。最近、フランス代表から黒人系とアラブ系の二重国籍者を30%以下にするという計画が表にでて、ブラン監督が責任とって辞めると言い始めています。この制限計画は問題だと思います。W杯南アフリカ大会の惨敗も含めて、おそらくフランスサッカーはいま端境期で、個人的にはジダンの息子エンゾがでてくる時期を楽しみに待っています。ジダンのプレーはたくさん覚えています。一番覚えているのは、何度も授業で生徒に見せているからもあるのですが、フランスvsノルウェー戦で、ジョルカエフのふわっと浮かせた長いパスを背中越しにジダンが右足のアウトでトラップをし、左足に持ちかえるようにみせて胸で落として、さらに右足のアウトでドリブル。最後もそのまま右のアウトで流し込む。このプレーはおかしいですよ。普通そんなことできません。何かが起こってるんですよね。ジャズにおける即興での演奏というのがありますが、あれは“あらかじめ即興を想定している即興”をやるわけです。それは即興なんだけど、即興じゃない。あらかじめ範囲が想定された中で動いているものなのです。でも、そういう時に事故みたいなことが時々起きる。即興という名の事故。サッカーでも同じようなことがあります。選手が起こしたいと思って起こすこともあれば、本当の事故もある。そういうプレーを観れたときはサッカーを観ていてよかったと思います。例えば、2002年の日本対ベルギー戦での鈴木隆行。右足の先端がちょっとだけボールにふれて入ったゴール。ああいうプレーは普段練習している訳でもなくて、事故なんですよね。華麗なパスワークとかはどうでもいい。ジダンのレッドカードも事故だったと思っていますが、そういう事故みたいな瞬間をもっと観てみたい。

101歳でもスタンドにいること

日本がW杯で優勝するまで生きていたい、は言い過ぎなので、とりあえずもう一回日本でのW杯が開催されるまで生きていたいですね。フランス大会は1回目が38年にあり次が98年なので、60年スパンと考えると、次の日本大会は2062年。101歳なっていますが頑張りたい(笑)。ジダンの息子がFIFA会長になっているかもしれないくらいですね(笑)。2002年はスタジアムで試合を観れたのが、なにより楽しかった。鈴木隆行の右足トウキックを生で観れましたしね。あと51年、101歳でもスタンドにいることが夢ですね。

陣野俊史が選んだベスト11

何者にも代えがたい98年フランス代表

前にも何かの雑誌でベスト11を聞かれたことがあって、その時は当時高校二年生だった平山を入れた国見高校出身者で固めました。今回は、やっぱり98年フランス代表ですね。これに代わるチームは僕にはいません。なにが起こっても。ドリームチームというか、僕のなかでは98年のチームがすべて。監督はエメ・ジャケではなく、現監督のブランをプレーイング・マネージャーとして迎えたいですね。

陣野俊史 プロフィール

陣野俊史(ジンノ トシフミ)

陣野俊史プロフィール

1961年長崎生まれ。文芸評論家、フランス文学者。ロック、ラップなどの音楽・文化論、現代日本文学をめぐる批評活動を行う。最新作に『戦争へ、文学へ 「その後」の戦争小説論』(集英社)。その他の著書に『フランス暴動 - 移民法とラップ・フランセ』『じゃがたら』(共に河出書房新社)、『フットボール・エクスプロージョン』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)など。

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