サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

94年W杯以来、主要な国際サッカー大会を取材し続けるスポーツカメラマン、岸本勉。夏季・冬季五輪など世界的なスポーツイベントを取材することで身につけた撮影技術を駆使し、独自のアングルでスポーツを見つめる彼が、ファインダーを通して見えるサッカーの風景を語る。

カンプノウが写真の学校

僕は小学生のときにサッカーを始めたのですが、中学校にサッカー部がなく、高校進学と同時にサッカーに戻りました。ただ、同級生には特待生も多く、どうあがいてもレギュラーにはなれない。そのうえ走らされてばっかりで、練習試合にも出られず、結局、まる1年で退部しました。高校卒業後は、1年余りのカナダ遊学を経てバルセロナに移り、バルセロナ五輪開催前の現地の情報を、スポーツ専門のフォトエージェンシーを営む父の会社に送ったりしていました。自分で写真を撮り始めたのもこの時期でした。よく練習しに行ったのはバルセロナの試合。スペイン人カメラマンのおじさんたちとスペイン語でコミュニケーションしながら、独学で写真の勉強を始めたんです。当時はいまほど規制が強くなかったので、FAX1枚で簡単に取材ができたんですね(笑)。選手の入場時には、選手にくっついてピッチの真ん中まで入って行けたし、そこで至近距離から選手の写真を撮ることもできました。お客さんが入ったカンプノウのど真ん中に初めて立ったときは、さすがに鳥肌が立ちましたよ。当時はクライフ監督の時代で、選手にはチキ・ベギリスタイン、クーマン、バケーロ、サリーナスあたりがいました。あのころはレアルにもブトラゲーニョやウーゴ・サンチェス、ミッチェル、バスケスなんかがいて、なかなか面白い時代でした。

他競技で身につけた撮影技術の生かし方

バルセロナで3年半暮らした後は、ドイツに拠点を移し、毎週ヨーロッパのどこかで開催されているスポーツイベントを取材して回りました。僕にとって衝撃だったイベントはツール・ド・フランスでしたね。とにかく写真を撮ることが楽しかった。世界一のスポーツイベントと言われる理由が、ファインダー越しにわかったような気がしました。そんなふうに、いろんなスポーツを取材し、周りのカメラマンの動きを見ながら、見よう見真似で仕事のイロハを覚えていきました。現在の仕事のバランスは、サッカーが半分程度、あとは陸上やフィギュアスケートなどのほか、体操や水泳なども取材します。他競技の撮影経験はサッカーの現場でも生きていますよ。陸上であれば、人間の体の基本的な動きを知ることができるし、それを押さえる技術とタイミングを身につければ、様々な競技の撮影に応用できます。不確実性の強いサッカーに関して言えば、そこに予測の要素が加わりますね。選手の特徴を把握して、次に起こるプレーを予測しながら、狙ったタイミングでシャッターを切る。とにかくこの繰り返しです。会社に所属しているときは“押さえる”ことを最優先してきましたが、03年に独立した後は、他とは違うものを撮ることを心がけるようになりました。南アフリカW杯のカメルーン戦では、あえてスタンドからの撮影を申請して、本田のゴール後のセレブレーションを真正面から撮りました。あそこには僕しかいなかったので、うまくスポーツ誌の表紙を飾ることができました。前年にコンフェデ杯を取材して、会場を知っていたことも大きかった。ガチガチに気合が入った初戦なら、ゴールした選手がベンチに駆け寄って来るという読みも当たりました。それに、人ごみが嫌いという、あまのじゃく的な性格も幸いしましたね(笑)。でも、カメラマンは作品を人に見てもらってナンボ。世の中に出なければ評価もされず、ただの自己満足で終わってしまいます。それは取材のたびに意識しています。

93年、ドーハの原風景

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これまでに取材した国際大会で最も印象に残っているのは、ドーハで開催されたアメリカW杯アジア最終予選。当時、あの大会を取材していたカメラマンの中で、僕は一番の若手の部類でした。1試合終わるごとに180度変わる展開には、本当にハラハラさせられましたよね。当時は徐々にメディア規制が強くなってきましたが、練習前にアップシューズからスパイクに履き替えるカズに記者が話しかけ、カメラマンが至近距離から写真を撮る、そんなことも普通にできた時代です。それをうるさがるような選手もいませんでした。日本サッカーが初めて大きな盛り上がりを見せた時代です。その空気を現場で吸っていることに、駆け出し時代の僕は高揚感を感じていました。あのとき日本がW杯に行けなかったことは残念だったけど、この仕事をしている限り、この先もいろんな競技でこんなドラマを体験するんだろうなと、漠然と考えていたことを覚えています。あの感覚を一度味わってしまうと、もうやめられませんよ、この仕事は(笑)。今後の目標は個展を開くことです。僕の写真を見てくれた人から感想を直接聞いてみたいんです。それから、自由に発信できるメディアを仲間と一緒に作りたいとも思っています。既存のメディアに依存せず、伝えたいこと、見せたいものを、社会に発信できたら素晴らしいですよね。

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岸本勉が選んだベスト11

フォトジェニック・ベスト11

右とか左とかよく覚えてない選手もいますが、以下撮影したことのあるフォトジェニックなベストイレブンです。意外とベタなメンバーになりました。

 
・GK イギータ(コロンビア) 
94年のW杯で初めて見たときの衝撃が忘れられません。1つのチームにこんな風貌の男が2人(もう1人はバルデラマ)もいるんだから、コロンビアは撮影し甲斐のあるチームでした。
 
・DF ロベルト・カルロス(ブラジル)
すごいスピードで上がってきて、シュートするときも、センタリングを上げるときも、小さな体にみなぎる力が伝わってくる。試合中に笑顔が出るので、撮っていて楽しい選手。
 
・DF マルディーニ(イタリア)
目の色がいいし、文句なしに格好いい。フランスW杯のときに彼の背中の写真を撮りましたが、あの背中に太刀打ちできる存在感を持つ選手はいませんでした。すべてが画になる男。
 
・DF テュラム(フランス)
一流アスリートの体は、それ自体が魅力的な被写体。その点、彼の足の筋肉は惚れ惚れするほどでした。その褐色の肌がナイターの照明で照らされたときには、震えるほどきれいな画ができました。
 
・DMF バルデラマ(コロンビア) 
逆光で撮影すると、アフロのシルエットのエッジから金色の後光が差してくるんです。あの金髪アフロは邪魔じゃないかと思うけど、日本代表にもこういう選手が1人くらい欲しいですね。
 
・DMF プティ(フランス) 
ベッカムが目立った98年だって、ベッカムより格好良かった。プレー時の姿勢がとりわけ良くて、アップの写真をたくさん撮りましたね。プレースタイルも嫌いじゃありません。
 
・MF ロナウジーニョ(ブラジル) 
トリッキーで目が離せません。真剣勝負の最中に見せる笑顔も余裕を感じさせていい。バルセロナ時代の同僚、メッシのテクニックもすごいですが、撮影して面白いのはロナウジーニョの方なんですね。
 
・MF マラドーナ(アルゼンチン)
撮影したのはセビージャ移籍後。その頃はもうぶくぶくに太っていたし、背が低いので会見場のテーブルのマイクに顔が隠れてしまったけど、それでもオーラはしっかりと伝わってきた。MVPを選ぶならこの人。
 
・MF バッジョ(イタリア)
髪型は好きじゃないのですが、あの目には吸い込まれてしまいます。94年アメリカW杯の決勝では、「PKを外したのがバッジョで良かった」と思うほど、ドラマチックな後ろ姿を見せてくれました。
 
・FW ミド(エジプト) 
アヤックスに行ったときに初めて見て、一度撮っただけで虜になりました。バスケット選手みたいにユニフォームのパンツを下げて、本当に悪そうだった。実際に悪かったんですが(笑)。
 
・FW ストイチコフ(ブルガリア) 
クライフでなければ扱えなかった、我慢を知らないバルセロナの“じゃじゃ馬”。でもどこかお茶目で憎めませんでした。何もしなくてもアクションを起こしているので、いつでもシャッターチャンス。
 
・監督 クライフ(オランダ) 
試合前のカメラを嫌がる監督もいますが、クライフほどの大物になれば目にも入りません。バルサ時代はベンチでキャンディを舐める姿にすら風格がありました。練習場に取材に行くと、ストイチコフやロマーリオよりうまかった。
 
サブ:髪の毛の長いラーション(スウェーデン)、イブラヒモビッチ(スウェーデン)、ゾーラ(イタリア)、ブローリン(スウェーデン)、ネドベド(チェコ)、シュスター(西ドイツ)、ロマーリオ(ブラジル)、ラウール(スペイン)、パパン(フランス)、フリット(オランダ)

岸本勉 プロフィール

岸本勉(キシモト ツトム)

岸本勉プロフィール

1969年1月3日生まれ、東京都出身。10年あまりスポーツ・フォトエージェンシーでスタッフカメラマンとして活動。03年にフリーランスとなり、世界的なスポーツイベントを撮影する。サッカーW杯は94年のアメリカ大会から、夏季・冬季五輪はともに92年アルベールビル、バルセロナ大会より連続取材。98年フランスW杯の日本対ジャマイカ戦ではFIFA公式フォトグラファーを務めた。

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