サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

20代半ばまで、プロサッカー選手の夢を追いかけた。何度かの挫折を経て、青年はマジックの世界に新たな夢を見つけた。「三度の飯よりサッカー好き」と語るマギー司郎の九番弟子が、サッカーとマジックをつなぐマジカルな体験を明かしてくれた。

彼のやること、すべてが“マジック”

僕の舞台のテーマは、師匠のようにお客さんと一緒に楽しむこと。よくお客さんにステージに上がってもらうので、きれいな女性はトランプに名前と電話番号を書いてくださいね(笑)。デビュー以来、僕はたくさん失敗をやらかしてきましたが、1年前に出たローカルテレビ局の生番組での失敗は見事でした。アナウンサーの方もフォローできず、会場は水を打ったようにシーン…となりました。番組終了後に師匠から電話がかかってきたときは、怒られることを覚悟したのですが、「失敗しちゃったね、アハハハ(笑)」って爆笑しているんですよ、あの師匠(笑)。でも、「それも経験だよ」と。その言葉には本当に救われました。そんなふうに場の空気を一瞬で和ませるのが、師匠の“マジック”なわけですが、実はそこにはちょっとしたトリックがあるんです。師匠は出番の初めに、縦じまのスカーフを持ち替えて「横じまになっちゃったね」なんておバカなマジックを見せますよね。あれで最初にお客さんの心のハードルを下げておくんですよ。そして最後に普通のマジックを見せて、お客さんにすごいと思わせる(笑)。そんな師匠のもとで、僕ものびのび芸を磨かせてもらっています。

25歳であきらめたプロサッカー選手の夢

一流(?)マジシャンを目指して日々精進している僕ですが、25歳まではプロサッカー選手になるという夢を持っていました。高校卒業後は九州にあったサッカー専門学校に入学して、サッカー漬けの寮生活。ところが僕が2年に上がるとき、いきなり専門学校が破産したんです。実は、学校から学生たちの親に「早めに来年の授業料を払ってください」と連絡が、1年の後期にきていたらしんです。親たちが言うとおりに授業料を払ってしばらくして、学校はなくなりました。申し訳ない気持ちで実家に帰った僕は、サッカーを忘れるためにバイトと就職活動をしながら2年間過ごしました。でも、どうしてもサッカーをあきらめきれなかった僕は、大分トリニティ(現大分トリニータ)や鳥栖フューチャーズ(当時)の入団テストを受けたり、ニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ北九州)で練習生をしたりしていました。そのときは「すごいな」と思う選手が周りにたくさんいて、自分の実力のなさを痛感しましたね。それにGKの入団テストは年齢制限のほか、身長180cm以上という規定があるところも多いんです。身長が180cmに少し届かないことや、指の古傷が悪化したことも重なって、未練たらたら僕は25歳で夢を、今度は本当に諦めました。

人生を変えた出会い

何もやる気がおきない時期は1年ほど続きました。ある日何気なくテレビをつけると、後に僕の兄弟子となるマギー審司さんがテレビ番組のインタビューに答えています。マギー一門に弟子入りしたきっかけを聞かれた審司さんは、師匠に弟子入り希望の手紙を送ったら、後日本人から電話をもらった、というエピソードを話していました。マジックには興味のない僕でしたが、審司さんの言葉を通して、マギー司郎という人の人柄に何か感じるものがあったんですね。早速僕も審司さんを真似て師匠に手紙を書き、ポストに投函しました。半信半疑の気持ちで1週間とちょっと過ぎたころです。外出先から家に戻った僕を父が呼び止め、「マギー司郎って人から電話がかかってきたんだけど…」と言うんです。「いたずら電話だと思うけど、すごく声が似てた」って(笑)。その後師匠と連絡がつき、「明日九州で仕事があるから、よかったら遊びにおいで」と電話をもらい、師匠の舞台を観に行きました。師匠は僕を楽屋に呼び「なんで弟子入りしたいの?」、「芸能界はそんなに甘くないよ」という話をご自分の出番の直前まで聞かせてくれました。師匠の舞台は舞台袖から見ました。初めての経験だったので、無茶苦茶緊張したのを覚えています。でも、ステージの上でお客さんを喜ばせている師匠の姿を見て、僕は一瞬にして、師匠の“マジック”に取り込まれたんです。

テレビより生の師匠はもっと優しい

「本気でやりたいなら東京に出ておいで」。師匠はそう言いました。上京資金を貯めるためにアルバイトを掛け持ちする傍ら、僕は独学でマジックの勉強を始め、地元の直方駅前で覚えたてのマジックを実演していました。しばらくすると、僕はちょっとした地元の有名人になっていたんです(笑)。それで調子に乗ったんですね。東京に行くのは正直怖かったのですが、もっと大勢の前でやりたいと思う気持ちが強くなってきたんです。僕の評判を耳にした両親が喜んでくれたことも、東京行きの追い風になりました。東京行きを告げると、両親は「東京は危ないから戸締りだけはしっかりやれ」と一言。だから、部屋探しの条件にオートロックは外せませんでした(笑)。東京に出て、家が見つかるまでの1か月はカプセルホテル暮らしで、代々木公園でいろいろなパフォーマーのパフォーマンスを見て過ごしました。師匠が東京に帰ってきたときはご飯をご馳走になるのですが、師匠は必ず「デザート食べなくていいの?」って聞いてくれるんです(笑)。普段の師匠はテレビで見るよりもっと優しい人なんですね。一門の弟子はみんな師匠を尊敬しています。でも、僕はふとした時に、「この人はただの優しい親戚のおじさんなんじゃないか?」って気がするんです。それくらい相手を和ませるオーラを出してるんですね、師匠は。

マジシャンはGKからFWを一人でこなす

マジックの舞台ではGKからFWまで、すべてのポジションを一人でこなしているような感覚があります。マジックをしている自分と、それをGKのように後ろから見ている自分がいるんです。僕の舞台を見ていただいた師匠から「落ち着いてるね」とほめられたのですが、それも僕がGKだったおかげかもしれません。これから先の僕の目標は、師匠のようにみんなを楽しませるマジシャンになることです。でも、ダントツで好きなのはやっぱりサッカー。いつかは加藤浩次さんや矢部浩之さんのように、サッカー番組の司会をやりたいですね。もちろん、本業もおろそかにしませんよ(笑)。

マギー憲司が選んだベスト11

南アフリカW杯を戦いたかったベスト11

もしマギー一門でベストイレブンを作ったら、たぶんGKの僕はイライラすると思うんです。みんなあんまり運動が得意じゃないし、師匠の指示以外は聞かないので。そんなわけで、僕がもしプロサッカーの世界に入れて、さらに代表にまで選ばれて、一緒にW杯を戦うメンバーを選べるなら、なんて幸せな想像が生んだベストイレブンを発表します。

マギー憲司 プロフィール

マギー憲司(マギーケンジ)

マギー憲司プロフィール

1979年8月7日生まれ、福岡県直方市出身。小学生でサッカーを始め、『キャプテン翼』の若林くんに憧れてGKを選ぶが、プレースタイルは若島津くんに近かった。25歳のときにプロサッカー選手の夢を断念。2005年にマギー司郎に師事、マジシャンとして活動を開始する。趣味は92年のキリンカップ、日本vsアルゼンチン戦から録りためている国内外の試合をビデオ観戦すること。

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