サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

なでしこジャパンの世界制覇で、脚光を浴びる女子サッカー界。日テレ・ベレーザの監督、野田朱美さんは、この競技の先駆者といっていい人物だ。現役時代、数々の大舞台で活躍した彼女は、引退後もサッカー協会の強化担当としてワールドカップ制覇に貢献。なでしこが大輪の花を咲かせたいまも、「これは始まり、ゴールではないんです」と、強い視線で明日を見据える。

初の大会で準優勝!「4チームですけど」

サッカーを始めたのは、小学5年生のとき。男子サッカー部の先生に、「女子の大会があるから、チームを作って出てみれば」と誘われたのがきっかけです。それまで、スポーツ自体興味がなかったんですが、身体が大きくて運動神経も悪くなかった。体育のサッカーでも、そこそこ活躍していました。先生は、そんなところを見てくれていたんです。その初出場した大会で、私たちの即席チームは準優勝に輝きました。準優勝ですよ、参加したのは4チームですけど(笑)。準優勝に輝いたことでチームは存続し、翌年、よみうりランドの大会に出ました。そこで「来年、中学生になるならウチに来ない?」と、読売クラブ(現東京ヴェルディ)のコーチに誘われたんです。ちょうど女子チームのベレーザが立ち上げられたばかり。とりあえず練習環境の下見に行くと、ピッチは憧れの人工芝!しかも夜になると幅広い年齢層の選手が大勢集まり、まるでサッカー村のよう。その光景に感動して、「ベレーザでがんばろう」と決意しました。

日本一幸運な女子選手

生まれたばかりのベレーザは、中学生は私ひとり。ほかの選手は、読売クラブを応援しているOLや女子大生のお姉さん方ばかりでした。お姉さん方は土曜日に練習に出てきて、日曜日に試合をする。つまり平日は来ないんです。私だけが毎日、よみうりランドに通っていました。平日練習が私だけということは、練習はいつもコーチとのマンツーマン。当時トップの監督をしていた相川さんが真剣に指導してくださり、しかも「ひとりじゃ寂しいだろう」とラモスさんや都並さんといった一流選手も顔を出してくれました。いま思うと、ありえない環境ですよね。ひとりの女子中学生が巡り合せに恵まれ、最高の環境でサッカー漬けに。私は中3のときに代表に選ばれましたが、それは日本屈指の強豪、読売クラブの選手やコーチが熱心に指導してくれた、あの濃密な一年があったからです。私は間違いなく、日本一幸運な女子サッカー選手でした。

「プロレス」さながらの北朝鮮戦

私が現役でプレーしていた80年代から90年代は、女子サッカーの黎明期。すべてに「初」がつくような時代でした。1990年にアジア大会で女子サッカーが始まり、91年には第1回ワールドカップが行なわれました。さらには96年アトランタ五輪で、女子サッカーが正式種目に――。たくさんの「初」に立ち会うことができました。Jリーグ以前は男子も女子も、代表チームの合宿地は千葉県検見川。合宿所は2段ベッドで、お世辞にもきれいとは言い難い。しかも遠征費は半分が自己負担。でも苦労しているというより、これが当たり前だと思っていました。頑張って結果が出ると合宿所が旅館になり、ホテルになり……。「自分たちはいま、草を分けながら道を造っているんだ」という、確かな手応えがありました。印象深いのは、第1回ワールドカップのアジア予選、北朝鮮との一戦ですね。どマイナーな女子サッカーを世間に知ってもらい、協会に女子サッカーを認めてもらうには、この第1回大会に出るしかない。「予選で負けたら女子サッカーの未来はない」、そのくらいの覚悟を持って予選に臨みました。予選通過には強敵、北朝鮮に勝つことが絶対条件。その大一番を、私は主将として迎えました。エースで主将だった木岡さんが予選前に負傷。重い空気が漂う中、20歳の私が突然、主将に指名されたんです。自信がなくて一度は断りましたが、監督の説得もあり、主将としてピッチに立ちました。あれは死闘の域を超えた、壮絶な一戦でした。目の前も見えないような大雨、パスがぬかるみで止まってしまう。そんな中でプロレスのような肉弾戦が繰り広げられました。この一戦に私たちは1対0で勝ち、ワールドカップへの道を切り拓きます。この勝利は、日本の女子サッカー史でも非常に価値があるものだと自負しています。

女子サッカーが社会に根づくには

なでしこジャパンの世界制覇、ほんとうに素晴らしいことです。私はサッカー協会で女子の強化を担当していて、「世界一になるために」という言葉を掲げて様々な施策を打ち出していました。その目標が現実のものになり、これほど嬉しいことはありません。でも、世界一はゴールではなく、始まりだと思います。ワールドカップが行なわれたドイツには、素晴らしいスポーツ文化があり、女子サッカーが社会に根づいています。ワールドカップで代表チームが準々決勝で敗退しても、準決勝、決勝にはたくさんのお客さんが入りました。この大会の早期敗退によってドイツはロンドン五輪も逃しましたが、女子サッカーが廃れることはないでしょう。というのもドイツには、女子サッカーを楽しむ人々の広大な裾野があるからです。その裾野に支えられて、代表チームがハイレベルな実力を誇っている。理想的なピラミッドの形だと思います。日本は、まだまだドイツに及びません。頂点は高いですが、底辺が細い。このバランスでは、代表チームが結果を出せなかったりすると、人気に陰りが出てくるでしょう。3万5000人前後しかいない競技人口をいかにして増やすか、これが最大の課題だと思います。老若男女を問わず、たくさんの人々が女子サッカーを見て語ってプレーして楽しむ。そういう光景を、いつか日本でも見たいですね。そうなれば仮になでしこジャパンが負けたり、人気者がいなくなったとしても、競技そのものが揺らぐことはないはず。理想が高いかもしれませんが、女子サッカーが健全な文化として社会に根づくために、ベレーザでいいサッカーを追及していこうと思います。

野田朱美が選んだベスト11

私が一緒にプレーしたかったベスト11

国際大会、L・リーグ(現なでしこリーグ)で戦った相手やチームメイトの中から、印象に強く残っている選手を選びました。リンダ・メダレンや温利蓉などはL・リーグでも活躍しました。
 
GK:小野寺志保(日本) 抜群の瞬発力を誇る守護神。
右SB:温利蓉(中国) 正確なフィードとスピードが持ち味。
CB:シャーメン・フーパー(カナダ) 点取り屋の印象が強いが、CBもこなす。フィジカルが強い。
CB:ミッシェル・エーカー(アメリカ) 心技体のすべてを兼ね備えたリーダー。186センチの長身。
左SB:リリー(アメリカ) 無尽蔵な体力でサイドを行き来する。
MF:アンカー 野田朱美(日本) 私です。
左MF:デベロ(ブラジル) 群を抜くテクニックは圧巻。
右MF:周台英(台湾) 技術の高いファイター。
右FW:ミア・ハム(アメリカ) いわずと知れた女子サッカー界のスーバースター。
CF:リンダ・メダレン(ノルウェー) 天才的な得点感覚を備えたエンターテイナー。
左FW:孫慶梅(中国) スピード、テクニックを誇る縦のスペシャリスト。

野田朱美 プロフィール

野田朱美(ノダアケミ)

野田朱美プロフィール

1969年10月13日。東京都出身。1986年から96年まで、女子日本代表の主力として活躍。得点力、守備力を兼ね備えたプレイヤーとして、代表76試合出場24ゴールという素晴らしい実績を残した。読売ベレーザ(現在の日テレ・ベレーザ)黄金期の中心選手でもあり、リーグ4連覇に貢献。得点王、MVPなど、数々の個人タイトルも手中にした。2010年11月、古巣日テレ・ベレーザの監督に就任。

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