サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

マンガ家望月三起也が日本のサッカー界に与えた影響は計り知れない。芸能人サッカーチーム「ミイラ」の選手兼監督ということに留まらず、日本サッカー黎明期から、中心選手たちと積極的に交わりサッカーの魅力を様々な手段で広めてきた。そんな実績を持ちながら、サッカーを始めたのはダイエットのためだった望月が見てきた、日本サッカーの来し方。

1日で4キロ痩せるダイエット?

中学校の頃から観るのは好きで、三十過ぎまでは観る方専門。やり始めたのは32歳です。遅咲きもいいところ(笑)。でも、未だに現役だからね。子どもの頃から絵を描くのが好きで、運動は無理だと思ってたの。32歳で始めたのは、太りすぎちゃったからなんだよね(笑)。仕事が忙しくて運動しなかったら90キロ近くまでいっちゃってた。それで、当時三菱の監督で、その後日本代表の監督にもなった二宮寛さんから、サッカーをやれば1試合で4キロは痩せるよって言われたの。それだけ動くものなんだって。それがそもそものきっかけ。三菱は杉山隆一さんが好きで、ずっとグラウンドへ練習を観に行っていたんだけど、仲良くなったのは『ザ・キッカー』というマンガを「週刊少年ジャンプ」で連載するとき、サッカーのセミドキュメンタリーものとして藤枝市とそこのサッカー選手を描きたくて、そのモデルとして藤枝出身の菊川凱夫さんに取材に行ってから。藤枝さんや杉山さんと仲良くなってきたら練習に誘ってくれて、最初は5分でゼイゼイしていたのが、次は10分、15分と延ばしていったら動けるようになって体重がどんどん減っていった。
楽しいわ、痩せるわの良い事だらけで、そこから自分のアシスタントと絵描き仲間でチームを作って、試合をするようになっていきました。ただ、プレーをするようになってサッカーマンガを描くのが難しくなったんです。難しいというかヒットしたこともない(笑)。マンガって極論を言えばデタラメなことなんだよね。でもサッカーはあんまりにも好きで、でたらめに描けない。『ザ・キッカー』を描いたときも苦労話とか指導者の大変さとか、余計な方向にいってしまった。地味で、ヒーローじゃなくなっちゃうわけ。だからサッカーものは何本か描いたけど、どれもウケなかったね。

人への親切がつながるように、パスはつながっていく。

もともとスポーツは個人スポーツがすごく好きだった。若い時ボクシングジムに取材に行ったら、親しくなって後楽園ホールの試合でセコンドをやったこともあるんだ。マンガ家って、描くために一般の人よりももうちょっとだけ色々なことを深く知っていないと描けないのね。だからサッカーも生で、自分で体感しないとわからないと思ったんだよ。サッカーをやってみて、「あー、できないなー」と感じたね。観るほど楽じゃないって。心臓がドキドキするし、肺があっぷあっぷした。目の前に星が出るなんてなかなか体験できないよ。でも、やっぱりシュートを決めた時は楽しかった。こんなに心地の良いことないんじゃないかなってくらい。こりゃ麻薬だと思った。

サッカーが自分にとって最初の団体スポーツで、初めてチームワークの意味がわかったのはいいことだった。自分が良いパスを出すと相手からも良いパスが出て、さらにその先に繋がる。人に親切にしたらその人がまた違う人に親切にして、世の中上手くいくみたいな。いい加減なパスを出すと相手が迷惑するんだ。杉山隆一という選手はパスに関して特にうるさかった。でも、そのことがサッカーを好きになれた根っこかもしれない。サッカーの良さはと聞かれたら、パスかなって気がする。人に親切なパスは自分に必ず帰ってきて、最後は自分がゴールできるわけだから。その後、元々ファンだった杉山とは仲良くなって、杉山がヤマハ(現ジュビロ磐田)の監督になったとき、ぼくの素人チームと試合させてくれたんだよね。そういう巡りあわせにも恵まれて、すごく良い環境でサッカーを続けてこられた。

「ぼくが、レッズの社長を初めて銀座に連れていった」

結局サッカーは40年、50年間観てることになるのかな。日本のサッカーは折れ線グラフでいえば当然右上がりで来ているけど、サッカーの魅力って技術的なことだけじゃない。ぼく、一生懸命って言葉が好きなの。今だと本田圭佑がテクニックがすごいと言われるけど、ぼくはまず何より一生懸命さを感じる。長友もそう。一生懸命さは、人にメッセージを伝えると思うんだ。サッカー選手がアマチュアだった頃は皆が一生懸命だった。給料なんてサラリーマンと同じ給料しかもらってないのに誰一人さぼる奴がいなくて、みな俺たちはプロだって意識でやっていて、当時のメキシコ五輪組は特に意識の高い人たちだった。それを観ているから、Jリーグになって技術は上がり、ゲーム性も上がって試合の展開はすごく楽しくなっているんだけど、さぼる奴もでてきたりしている。どれだけテクニシャンだとしても、ぼくは一生懸命さがやっぱり好きなんだよね。
昨シーズンはJリーグの試合をあまり観なかったの。ちょっとJの魅力が薄れていた気がする。自分の忙しさもあったんだけど、忙しくても何を押しても観にいきたくなるような試合が少なかった。レッズファンだけど、観にいっても勝てそうな試合をやってくれない。それまでは必ず月に1、2度は埼玉まで観に行っていたのに、もう負けを観にいくのは辛いよって。常時4万人くらい入れていたのが、昨年後半は2万ぐらいになったでしょ。サポーターも正直だよね。大事なのは勝つ前に、魅力的なサッカーをやること。とはいえ、そもそもぼくは自分をサポーターと言っていいのかもわからないんだ。
昔から応援しているチームがダメだと最後まで観ていられなくて途中で帰っちゃう。サポーターといえるのはそこまでいかないと違うんじゃないかっていう持論があるから、一般的なサポーター像とはズレてるかもしれないんだよね。
三菱からレッズになっても、当時の選手が役員や監督になっていくわけ。だからそのままの付き合いになって、当時の選手がいまのレッズの社長さんになったりするのね。いまのレッズの社長を初めて銀座に連れていったのはぼくだったりするんだよ(笑)。

女子サッカーの圧倒的な成長

なでしこジャパンというか女子サッカーもずっと観てきたけど、躓いて転んじゃったり、正面衝突しちゃったりするようなレベルから始まって、それは大変だった。女子サッカーを応援していた仲間たちで協力して盛り上げようとして、元サッカー協会の人がこの仕事は俺がやるよ、じゃあ俺はこれをとか、どんどん広まっていった。自慢じゃないけど、当時の女子日本代表にボレーキックを教えたのはぼくなんだよ。というか、まぁ、このレベルでも教えられたってことだよね(笑)。女子代表のためにデンマーク代表を呼ぶこともやったな。当時は日本代表といっても、関東と関西のちょっとできのいい選手を集めただけみたいな時代だったけど、それが今や世界一だから、本当急激な変化に驚かされっぱなしだよ。

サッカーに対する夢

いままで夢見たことは現実になってきたんだ。杖をついてヨロヨロになる頃じゃないとムリだろうなと思っていたW杯で日章旗を振る夢も叶った。まさか元気なうちにW杯に行けるなんて思わなかったよ。Jリーグ設立以後の進化がものすごく早かったってことだよね。W杯優勝までと願ったら杖じゃ済まないだろうね。片足は棺桶かな(笑)。今はもう考えてないんだけど、前は国立競技場で死にたいなと思っていたんだよね。国立競技場の控え室から階段で5段上がって、ピッチの芝生を踏んだ瞬間に心臓麻痺で倒れるとか幸せな一生だろうなって(笑)。

望月三起也が選んだベスト11

「ザ・ミイラ」ベスト11

ザ・ミイラに参加していた選手から選んだベストイレブンです。どの方も今の年齢でということではなく、一番コンディションのよかった時のものになります。

望月三起也 プロフィール

望月三起也(モチヅキ ミキヤ)

望月三起也プロフィール

60年「少年クラブ」増刊号でデビュー。69年から「少年キング」にて代表作『ワイルド7』を11年の長期にわたり連載。ドラマ化やOVA化、そして今年の瑛太主演による映画化など今なお大人気の作品となる。漫画界きってのサッカー通としても有名で、芸能人サッカーチーム『ザ・ミイラ』では監督兼プレーヤーとして活躍。現在、「ウェブマガジンKATANA」において、『ワイルド7』の続編『W(ダブル)7』をオールカラーで連載中。最新刊に『ワイルド7R』(実業之日本社)。

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