サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

1994年アメリカ大会からワールドカップを撮り続けるカメラマン岸本剛は、実はピッチに存在しない。同業者がゴール裏でボールの行方に目を凝らすとき、彼はスタジアムの外や下町や原っぱで、サッカーとともに暮らす市井の人々を撮っているのだ。この独自の視点は、10代の若さで移り住んだバルセロナで育まれたという。

飲み友達はバルサ創設者の息子さん!

父がスポーツカメラマンをやっていたこともあり、高校卒業後の90年、バルセロナで暮らし始めました。2年後のバルセロナ五輪を見据えて、息子を現地に派遣したんです。入学した語学学校にはさぼってばかり。生来の勉強嫌いで、5分と座っていられないんです。その時間、何をしていたかというと、「エル・カナリ」というバルに入り浸っていました。ウェイターと友達になり、やがて家族ぐるみの付き合いに。お客さんなのに閉店後の掃除をしていたんですよ。つまりぼくにとってのスペイン語はバルが教室、ウェイターや常連客が先生で、バルサ偏愛紙として知られるスポルトが教科書代わりだったんです。

そのバルでは、80代の爺さんと仲良くなりました。何もせず飲んでいるだけのぼくに、「よお、働きもん!」って大声で呼びかけてくる。あるとき、親友のウェイターが尋ねてきました。「お前、あの爺さんだれか知ってるか?」、「ああ、ガンペールさんだろ?」、「お前、ジョアン・ガンペールって聞いたことないか?」、「いいや」。最後にウェイターは言いました。「あの爺さんはな、バルサ創始者の息子さんなんだぞ!」。びっくりして、身震いしてきました。たしかにシーズン前、創設者を讃えて「ジョアン・ガンペール杯」というのが行なわれているけど、まさかその息子さんだったとは…。以来、爺さんはバルサの秘密や裏事情なんかも教えてくれるようになりました。あのバルで、ぼくはスペイン語だけでなく、バルサやカタルーニャの何たるかを学んだんです。

選手のいない写真集

2006年、ぼくはワールドカップ・ドイツ大会の写真集を出しました。これにはひとつのテーマがあり、ピッチ上で撮った選手のプレー写真は一点も収められていません。被写体はスタジアムへ急ぐ親子だったり、仕事前に球蹴りに興じる救護班の人々だったり、戦いが終わり、虚脱したメキシコ男だったり。こうした作品を撮るために、ガーナ人が集うパブに潜り込んだり、ドイツ人の家庭にお邪魔したり、様々な場所に足を運びました。サッカーそのものも面白いですが、こうした生活の中にこそ、ありのままの人間の姿が立ち上ると思うんです。

バルセロナでの修業時代も、ぼくはバルサとともに生きる地元の人々の生き様に魅了されていました。とりわけ好きだったのが、カンプノウに向かう人々と家路に着く人々の光景です。幼い子どもが、父やお爺さんの手を夢中で引っ張りながらカンプノウに向かう。逸る気持ちが体中からあふれ出ているようで、とても微笑ましくなるんですね。「さあ、待ちに待ったバルサの試合だ!」とカンプノウに馳せ参じた人々が、2時間後、今度はすべてを出し尽くし、放心状態になってスタジアムから吐き出されてくる。時間が止まったような不思議な空間の中、人々がまだ夢の中にいるかのような表情で、家庭という現実の世界へと帰っていくんです。それはもう、映画を見るかのような美しい光景でした。

ドイツ大会でも心に残る場面がありました。イングランドの試合が行われている時間、電車に乗っていると、なぜかデュイスブルクという駅のプラットフォームで、イングランド人の親子が互いに写真を撮り合っている。勢い勇んでスタジアムに駆けつけたけど、チケットを買えなかったんでしょうね。でも、ふたりの間にはとても幸福そうな空気が流れていました。試合は観戦できなかったけど、こんなに贅沢な時間もないでしょう。一生の思い出になると思います。こうした物語のある光景を、ぼくはいつまでも撮り続けていきたい。

サッカーを文化として育てていく

いままでの活動を振り返ると、ぼくは人間が物凄く人間らしく振る舞っている瞬間に居合わせるのが好きでこの仕事を続けてきたような気がします。つまり、ぼくはサッカー以上に人間そのものが好きなんですね。日本にもJリーグができたことで、サッカーが人々の日常により根づいてきました。週末になると、日本全国津々浦々で親子が手を取り合って幸せそうにスタジアムに向かう。そんな光景が、当たり前のように見られます。道中に買った焼きそばの美味しさとか、電車を乗り継いで知らない街までやって来たときの感覚とか、スタジアムを取り巻くなんともいえない匂いや響き、ああいった独特の空気感はいつまでも心の中に残るんですよね。特に子どもにとっては。そういう世代を超えて共有するもの、地域ぐるみで育んでいくものが、いまの日本中に存在する。そんなふうに考えると、改めてJリーグは日本の財産だなあと思います。これは大事にしていかないといけないですね。ぼくはサッカーを文化として捉え、撮り続けることをライフワークにしていこうと思っています。まずは10年南アフリカ大会の写真集を出すのが現実的な目標。まだ形にできていないんです。これをドイツ、南アフリカ、ブラジルと地道に続けていったら、やがてはワールドカップという枠組みを超えた、民族や国の形を映し出す作品になるような気がするんです。

岸本剛が選んだベスト11

ぼくの原点となった90年版バルサ

バルセロナに渡ったとき、バルサはこんな顔ぶれで戦っていました。ちょっと地味ですが、とても思い出深い選手たちです。当時のバルサは必死にマドリーを追いかけていましたが、地元密着という点ではすでに素晴らしいものがありました。スビサレータ、ゴイコエチェア、バケーロ、チキ・ベギリスタイン、フリオ・サリナスといったバスク人も、下手くそでもカタラン語を一生懸命話そうと努力していたし、12万人を飲み込んだカンプノウには、いまより多くのカタルーニャ州旗がたなびいていて圧巻だった。その12万人のひとりがぼく、いつもいちばん安い最上階で試合を見ていました。あそこはやんちゃな若者も多く、周りに教わってオレンジを投げたり、発煙筒を焚いたりしたものです。若者の通過儀礼みたいなものですね。思えばいろんなところに入り込んで、だれとでも仲良くやるという気質は当時からあったんです。

岸本剛 プロフィール

岸本剛(キシモト ツヨシ)

岸本剛プロフィール

1972年生まれのフリーランス・カメラマン。1990年から2004年までスペイン、カナダ、オーストラリア、コスタリカ、ベルギーと海外で暮らし、表現者としての感性を磨く。ワールドカップは94年アメリカ大会から10年南アフリカ大会まで5大会を取材しているが、撮影ジャンルはサッカーに限らず、スポーツ全般、紀行、人物と多岐に及ぶ。2006年ドイツ大会後に、「選手のいない写真集 06GERMANY」を発表。世界中で精力的にサッカーの風景を撮り続けている。「ゆめのはなし」11年6月号に登場した岸本勉氏は兄。

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