サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

ミュージシャンにして無類のサッカー好きである浜崎貴司。90年代はフライングキッズのボーカルとして活躍。98年の解散後、個人の活動ではサッカーに関するプロジェクトも行い、広くサッカー好きとして知られることとなった。Jリーグ以後、20年近くサッカーを見続けてきた男は、落ち着き、冷静なまま熱く語りだす。

人生とリンクする、サッカーの喜びと深み

子どもの頃はずっと野球少年だったんですが、野球と比べてサッカーの方がスカッとするスポーツだなとは思っていました。野球って、ちっちゃい球をバットの小さな芯に当てるものじゃないですか。わりとスカッとする瞬間が少なくて、その点サッカーは思いっきり走ったり、蹴ったり、身体がぶつかったりするという意味で爽快感があった。それと、その当時は野球がスタンダードなスポーツで、サッカーをやる人は変わっていて、かっこいいみたいな雰囲気がありましたね(笑)。ただ、結局野球をずっとやっていて、サッカーをきちんとやったことはないんです。Jリーグができてすぐは地元の栃木にチームがなくて、同じ北関東ということで隣県の鹿島アントラーズを応援していました。大好きなジーコもいましたし。どこかで地域のチームを応援しようというスイッチが入った瞬間はありました。やっぱり北関東を応援しようよって。今だと栃木SCも気にかけてはいるんですけど、基本は鹿島ファンです。東京生活の方が長くなっちゃったので、本当はFC東京とかになるのかもしれないんですけどね。

僕は根っからのサッカーファンではなく、Jリーグ創設から日本サッカーの躍進に合わせてのめり込んでいった、熱にのみ込まれた気楽なファン(笑)。ただ、僕のサッカーキャリアも長くなりました。20年以上日本代表を見続けていると、今の新人選手が生まれる前からサッカーを観ているかもしれないわけですもんね。そうして歴史を積み上げてきた感じがおもしろくなってきたところはあります。人生とサッカーがリンクしてくるんですよね。自分の一生の中に、サッカーの試合がポイントとしてある。これは人がサッカーに夢中になっていくひとつの歓びだと思います。というか、その深さだと思います。サッカーと人との関わりの深さを感じて、不思議な気持ちになってきます。アントラーズの秋田とか相馬とか、観始めた頃の選手が監督になってきて一世代回ってきましたよね。

ジーコは観始めたときから大好き。日本がクラブチームになる前、社会人チーム時代から鹿島の選手兼コーチとしてやってきて、Jリーグの立ち上げに立会い、最終的には日本代表の監督までやった。自分の人生と置き換えて考えてみたとき、その決断は相当な冒険ですよね。知らない国に行って、町のチームから国の代表の監督までやるなんて。しかも世界のスターだった選手が就任していたブラジルのスポーツ大臣を辞めてまでですよ。ジーコに批判的な人もいますけど、日本サッカーの発展を確実に促進してくれましたよね。それ程サッカーの人気がなかった国にサッカーを根付かせ、サッカーがもつ文化の膨らみのようなものを、また色んな海外の情報や状況を味わう“状態”みたいなものを作ってくれた。要するに変えたってことですよね。革命を起こしたに近い。そういう意味でジーコってすごい人だなと思っています。

ごちゃごちゃ語らず、ゆっくりしっかり観る

国同士、頂点のチーム同士が戦うW杯は、100カ国以上という参加国の多さ、世界が舞台だというイベントの巨大さに魅力を感じました。しかもサッカーにあるゲーム性や戦略の進化はすごく興味深い。スターが戦略を生みだしていくこともあれば、指揮官が変化させていくこともある。サッカー自体が変化していく、そこがおもしろい。野球も変化はあるんですけど、サッカーほど如実じゃないですよね。サッカーはクリエイトしていく感覚がすごく強い。戦術のぶつかり合いで戦術が戦術を破るときもあるし、個人が戦術を凌駕する瞬間もある。戦略ばかりをすごく注目しているわけではないですけど、自然とサッカーの試合にはそうした要素が溢れでてくるし、そうした個人と団体のバランスを常に見続ける喜びもあって、どうしても味わっちゃうというか、観ざるをえない感じはしますよね。特に日本代表は、監督によって戦術や起用する選手が様々に変化していくじゃないですか。そこはいつもおもしろく観ています。

スタジアムにもよく通っていたんですよ。日本代表の試合はよく行きましたね。国立に行ったり、埼玉に行ったり、横浜に行ったり。ドイツW杯も、ドルトムントまで日本対ブラジル戦を観に行きましたよ。それとユーロ2004で、ポルトガルにも行ったな。大きな試合は友達の家に集まって、みんなで「勝つ」がらみのカツサンドとかを食べて、げん担ぎをしながら観ています。ただ最近はテレビを見ながらあれこれ言うこともなくなってきましたね。別にサッカー熱が冷めてきているわけではないんですよ。例えば90年代初頭のサッカーってイライラしながら観ていることが多かったわけです。特に海外のチームと比較しだすとあからさまに。それが徐々に距離が縮まってきて、日本の文化や風土みたいなものをベースにどう世界で勝負していくか、そのギアチェンジみたいなものが少しずつ切磋琢磨されてきましたよね。もはや素人が文句を言えるレベルじゃなくなってきている。最近はすごいなーと素直に思うことの方が多いんじゃないかな。強くなりましたもんね、単純に。ただそれでも、例えば2012年前半のオリンピック代表の若さ故のミスに、ああ、昔ドーハの悲劇でやらかしたミスと似てない?みたいなつっこみを入れることはあります(笑)。

覚えているのは、負けた試合

昔、家で試合を見ていたら興奮しすぎちゃって、思わず壁に穴を空けたことが…。ドーハの悲劇のときで、最後の瞬間じゃなかった気がするんですけど、気がついたら壁に穴が空いていました。わーって騒いだときに壁に手が当たったみたいでびっくり。何と言っても人の家でしたから(笑)。ドイツW杯、ドルトムントで観た日本対ブラジルの試合も印象に残っています。惨敗でしたけど、途方に暮れて帰るドイツの夜はすごかった。こんなとこまで一人で何をしに来たのかなって。

「YELL FROM NIPPON」プロジェクト

ビクターから、2006年W杯イヤーにサッカーがらみで何かやりましょうという話があり、どうせやるんだったら、皆で日本代表を応援するような歌が歌いたいと思ったんです。知り合いのアーティストたちに声をかけていったら、たくさんの人が協力してくれて、こんなに集まるんだったらチャリティーとしてやってみたらどうだろうという話になり、ピースボートがやっていたサッカーボールを恵まれない国の子供たちにプレゼントする「ピースボールプロジェクト」と連動して、コラボレーションというかたちでやらせてもらいました。「YELL FROM NIPPON」というプロジェクト名のもと、「友情のエール」っていう曲を作って、その成果であるボールを受け渡す代表としてエリトリアというアフリカの国に行き、U-17ぐらいのチームと試合をしたんです。僕はボールを渡して終わりの予定だったんですけど、FWとして試合に出ることになって出ました。1回もボール触れませんでしたが…。

長く生きて、サッカーを観ていたい

日本サッカー協会が2050年、自国単独開催で優勝という目標を掲げていますよね。夢というか、そこまで生きていたい。40年後は87歳。具体的にいつとかはわからないけど、いつか自分の人生は終わっちゃうじゃないですか。でもサッカーの歴史は僕が死んでも永遠に続いていきますよね。大げさに言えば、世の中が繋がっていくということだと思うんですけど、特に去年は地震があって、今でも続いている放射能の問題がある。そういうときにぼんやりと、というより単純に熱狂して楽しめる幸せがただただ繋がっていくことの期待と喜びをサッカーには感じますね。

浜崎貴司が選んだベスト11

歴代日本代表ベスト11

僕なりの、今まで観てきた日本代表ベストメンバーです。歴代の日本代表から選りすぐって、全員現役だったらという布陣。酒井はまだまだ発展途上ですけど、これは観客動員がよさそうですね(笑)。

浜崎貴司 プロフィール

浜崎貴司(ハマザキ タカシ)

浜崎貴司プロフィール

1965年6月11日、栃木県宇都宮市出身。90年、 FLYING KIDSでデビュー。98年2月12日に解散。98年12月にはソロ活動開始。07年8月、約9年の歳月を経て、RISING SUN ROCK FESTIVALにてFLYING KIDS再集結。現在FLYING KIDS、そしてソロを平行して活動中。
http://hamazaki.org/

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