サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

「近くて遠い」韓国は、いつしか親しみやすいお隣さんに。韓流ドラマやKポップは完全に市民権を得た。この変化、実はサッカーをきっかけに生み出されたといってもいい。2002年のワールドカップ共催が、両国を大きく近づけたのだ。精力的に韓国サッカーを取材してきた慎武宏さんが、在日3世ならではの視点から自らのキャリアと日韓サッカーを語る。

朝鮮学校でサッカーに明け暮れた青春の日々

ぼくが少年時代を過ごした70年代から80年代、日本ではサッカーはまだマイナーでした。街で見かけるのは野球少年ばかり。もちろん、Jリーグなんて影も形もありません。しかし在日3世のぼくとその仲間たちは、すでにサッカーにハマっていました。これには訳があります。ぼくが小中高と12年を過ごした朝鮮学校では、サッカーが校技のようになっていたからです。小学校では4年生になると部活に入るのが決まり。でも、サッカー部しかないので、全生徒が半強制的にサッカーを始めます。昼休みも放課後もサッカーばかり。先生たちは1966年のワールドカップで北朝鮮がベスト8に進出したことを話してくれて、「サッカーは朝鮮半島伝統のスポーツ。がんばれば世界に道が開けるんだぞ」なんて言っていました。78年や82年には先生が視聴覚室でワールドカップの映像を見せてくれたので、世界のスーパースターが大好きに。アルゼンチンのケンぺス、西ドイツのシュティーリケにフィッシャー、フランスのプラティニにティガナ……。サッカー雑誌を買ってきては彼らの写真を切り抜いて、財布に入れていました。朝鮮学校に通っていたことで自然とサッカーに親しんだ少年時代、思えば恵まれた環境だったと思います。

就活に敗れてスポーツライターに

12年間、朝鮮学校で学んだぼくは、大学生になって初めて日本社会に飛び込みました。最初は「日本人はぼくらとは違うんだ」「友達なんかできないだろうな」と思っていましたが、ラグビー部でがんばったこともあり、たくさん友達ができました。「日本人も在日も同じなんだ」と思えるようになり、自信もつきました。でも、就職活動はさっぱり。周りはどんどん決まっていくのに、ぼくだけ最後まで決まらなかったんです。やっと日本社会に溶け込めたって思ったのに、「キミは在日だからいらないよ」と言われたようで物凄くへこみました。そんなときに親戚から「キミはスポーツとメディアに興味があるんだろ?それならスポーツライターという選択肢もあるぞ」と言われたんです。それがこの仕事を始めたきっかけ。就活が上手くいっていたら、スポーツライターになっていなかったと思います。

生きがいを見つけたチェンマイの夜

スポーツライターになったものの、仕事が軌道に乗るまでには時間がかかりました。「韓国代表選手を取材しました」なんて売り込んでも、どこも原稿を買ってくれない。でも96年5月30日、ワールドカップの日韓共催が決定。これがターニングポイントになりました。「チャンスが来た!」と思ったぼくは、何のツテもないのに韓国サッカー協会(以下KFA)に電話、「ぼくは在日コリアンです。日本に韓国のサッカーを紹介したいです!」なんて熱烈に売り込んだんです。それからです、少しずつ道が開けてきたのは。98年10月、アジアユース選手権を取材しにタイのチェンマイに行きましたが、忘れられない体験ができました。決勝で韓国が日本を下した夜、ホテルで監督を取材して帰ろうとしたら顔見知りになった李東国がいて、「部屋に来てください」なんて言う。部屋に入るとびっくりですよ。決勝で戦った日本の選手、播戸選手や小笠原選手が一緒にいるんですから。日韓の選手同士、大会中に仲良くなって親交を深めていたんです。でも、肝心の言葉が通じない。そんなところに偶然、ぼくが通りかかったんですね。「通訳」の登場で場は盛り上がり始めました。日本の選手が「韓国人は日本人にムカついてるんでしょ?」なんて聞くと、韓国の選手が「そんなことないよ。日本のゲームやアニメは大人気だよ」なんて。互いが互いの印象を率直に話したり、気になることを尋ねたり。気がついたら誤解も消えて、物凄く仲良くなっていました。そのとき確信したんです、「ぼくがやりたいのはこれだ!」と。自分の仕事によって日韓が少しでも仲良くなれたら、どんなに素晴らしいだろう、とにかく2002年まで走り続けよう。仕方なく始めたスポーツライター、それが天職に変わった夜でした。

サッカーなら壁を跳び越えられる

ぼくの少年時代、在日の多くの人々はハングルの名前を隠すようにして暮らしていました。そんな人々も、いまでは減りつつあります。在日はいまや4世、5世が活躍する時代。距離を置くのではなく、日本社会にどう貢献するかが問われる時代が来ています。その中でスポーツ、特にサッカーには在日と日本社会を隔てる壁を跳び越える力がある。Jリーグで鄭大世や梁勇基、安英学といった在日選手が活躍するようになり、日本代表で李忠成が活躍するようになりました。そういうことも、いまでは当たり前になってきました。アジアカップ決勝のボレーは、在日の子どもたちに大きな勇気を与えたはずです。ぼくは07年から、KFAのホームページで日本語版の制作に携わっていますが、これには3つの理由があります。まずは日韓の交流を活発にするため、次にハングルが読めない若い在日に韓国サッカーをもっと知ってほしいということ。スポーツライターを目指す在日の若者にチャンスを与えたい、ということもあります。でも何より大きいのは、自分を育ててくれた韓国サッカー界への恩返しですね。日本と韓国が手を取り合って強くなっていけたら、これほど嬉しいことはありません。

慎武宏が選んだベスト11

Jリーグを沸かせた韓国人ベスト11

韓国といえば3バックが伝統の布陣。しかし、思い出深い選手を選んでいったら4バックになってしまいました。それにしても錚々たる顔ぶれ。素晴らしい実力の持ち主が来日していたことを、改めて実感します。個性豊かな彼らを束ねるのは、やはり洪明甫。Jリーグの良き理解者であり、強烈なカリスマ性の持ち主。彼の言うことなら、みんなが従うはずです。

GK
キム・ジンヒョン(現C大阪)
来日4年目ですが日本語ペラペラ。 

右SB
イ・ジョンス(京都ー鹿島ー現アル・サッド)
礼儀正しいナイスガイ。
 
CB
柳想鐵(横浜FM-柏)
困ったときの柳さん。GK以外、すべてのポジションをこなす。
 
CB
パク・ドンヒョク(G大阪ー柏ー現大連)
和韓洋中と旨い店を知り尽くすグルメ博士。
 
左SB
河錫舟(C大阪ー神戸)
左足のスペシャリスト。
 
右MF
キム・ボギョン(現C大阪)
「朴智星2世」の呼び声高いスター候補。
 
ボランチ
金南一(神戸)
奥さんは女子アナ。
 
ボランチ
盧廷潤(広島ーC大阪ー福岡)
パイオニア。韓国人Jリーガー第1号。
 
左MF
朴智星(京都ー現マンチェスター・U)
ご存知、出世頭。
 
FW
黄善洪(C大阪ー柏)
韓国人唯一のJリーグ得点王。
 
FW
安貞桓(清水ー横浜FM)
プロになった彼を初めて取材した記者、実はぼくなんです。

慎武宏 プロフィール

慎武宏(シン・ムガン)

慎武宏プロフィール

1971年4月16日生まれ、東京は浅草生まれ、向島育ちの在日コリアン3世。大学卒業後、スポーツライターとしての活動を始め、「サッカーダイジェスト」、「ナンバー」などに寄稿。韓国サッカーの取材では他の追随を許さない。近年はゴルフなど、精力的に活躍の場を広げている。著書に『ヒディンク・コリアの真実』、『祖国と母国とフットボール』など。韓国サッカー協会ホームページの日本語版も担当する。誕生日がリトバルスキーと同じで、子どものころに自慢していた。

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