サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

日本のシューゲイザーロックを代表するバンドART-SCHOOLやストレイテナーなどで活躍する日向秀和とのユニットkilling boyで、ヴォーカル&ギターとして活躍する木下理樹。音楽はもちろん文学や映画も愛する彼は、熱心なマンチェスター・ユナイテッド・ファンでもあり、友人やバンド仲間たちと作ったフットサルチームFCマッコリでは監督兼選手を務めるほどサッカーを愛する男でもある。チーム内では、レジェンドという謎の名称を名乗る木下にとってサッカーとは?

あの日の戦いで、ぼくはユニフォームを脱いだ。

1978年生まれのぼくは、中高生時代がJリーグの発足やW杯予選で盛り上がった時期で、サッカーは自然と始めていました。同時にロックも好きで、同じようにのめり込んでいきました。同世代だと『キャプテン翼』の影響でサッカーを始めた人も多かったけど、その頃ぼくは同じジャンプのマンガでも『珍遊記』にはまっていて、そういう意味ではサッカーと違うところを向いていた(笑)。最初にサッカーをプレーしたのは、高校一年の時から、上京する19歳まで友達たちと作っていたチームで、いわゆるサッカー部から落ちこぼれたようなやつらの集まりでした。ぼくはもともとスポーツをやっていたわけではないので、運動が好きとか得意というよりサッカーが好きだった。

そのチームで練習していたある日、隣で小学生たちも練習をしていたんですね。ぼくらは9人しかいなかったんですが、逆にハンデとしてちょうどいいくらいだと思って対戦を申し込み、フルコートで試合をしました。そしたらですよ、なんと3対1で負けたんですよ。ガチ勝負で…。最後の方は負けたくなくて、小学生のユニフォームを思いっきり引っ張ったりしたにもかかわらず(笑)。プライドが崩れ落ち、ユニフォームを脱ぐ決意をしました。
でも、初めて見る側からやる側になったときは楽しかった。ぼく自身は点取り屋よりもパサーでいたくて、二人うまい選手がいたので、その選手たちをチームとしてどう活かすかをずっと考えていました。これは小さい頃から俯瞰的にものごとを見ちゃう自分の性格とも近いのかもしれない。サッカーとロックに同時にハマっていったのも、今となってはですけれど、ロックとフットボールが似ているからなんじゃないかな。大観衆の前に立つ前にはサッカー選手も地味に練習をしているし、ミュージシャンもリハーサルをやったり曲を作ったりしている。そして何よりそこから得られる高揚感がどちらもすごい。DFとMFとの駆け引きから、FWへの美しいラストパスが出る。点を決めるシーンより、決定的なパスがMFから出た瞬間がたまらない。この前のユーロのドイツ対イタリアで、バロテッリとモントリーヴォで決めたシーンはよかった。何の迷いもなく振り切ったシュート。モウリーニョが好きだったので、インテル時代のバロテッリも観ていたんですが、その頃からすげーやつだなと思わせる存在でした。モウリーニョでさえもバロテッリを可愛がりながらも扱えないって言ってましたけどね(笑)。

“レジェンド”という役割

上京してミュージシャン仲間と話しをしていると、彼らを中心に音楽誌「MUSICA」編集長の鹿野さんや何人かの音楽ライターさんとか、意外とサッカー好きが多いことに気づいたんです。みんなでやりたいねとなり、でもフルコートは体力的に厳しいし怪我したら事務所の人に怒られちゃうから(笑)、フットサルにしようと、FCマッコリという音楽業界者だけのチームができました。ぼくが初代監督兼選手に就任。ディスクガレージが主催する、年に一回の音楽業界者のフットサル大会「音蹴杯」を目指して1年間練習をしていました。

ただ、元々フルコートのサッカーをやってきて、ボランチ的なポジションでパスを出すスタイルが好きだったのに、フットサルは全員が走ってなんぼで、今までの自分のスタイルがまったく活きてこない…。監督時代の後半は試合には出ないで、裏方として人のいいところをうまく活かすための戦術指示に徹していました。フットサルとサッカーは戦術的な意味ではまったく別物なので、観てきた海外サッカーの蓄積と言うよりは、実際やりながら体で覚えたり、監督や指導者のメソッドみたいな本をめちゃくちゃ買ったりしていました。特にモウリーニョの本はいろいろ読んで勉強しました。
いまは監督の座を鹿野さんに譲り、ぼくは「レジェンド」という立場になりました。レジェンドがなにをするかというと、たまにみんなの様子を観に行く、だけ(笑)。そうなったのは、先ほど話したプレースタイルの問題もそうなんですが、それ以上に監督時代の仕事がものすごく面倒だった…。みんなのスケジュールをメールで聞いてコートを押さえるだけでも、ミュージシャンはどうも常識がなくて返事がなかなか来ない(笑)。でも、ピーク時はツアー中でもやっていました。機材車を待たせて、練習を2時間やってそのまま大阪に行く、みたいな。2011年、始めての公式戦だった「音蹴杯」でベスト8までいった上に、得点王(撃鉄の天野ジョージ)まで排出したのがうれしくて、モウリーニョばりに「(負けはしたけれど)君たちがナンバーワンだ」って監督らしく声をかけたんですけど、「さすが、和製モウリーニョ!」ってやんや野次言われたなー(笑)。

マンチェスター・ユナイテッドファン歴は8年

上京直後は、ミュージシャンとしてご飯を食べられる状況になっていなかったので、まずはそこからだろうと思っていたのもあって、しばらくサッカーから遠ざかっていました。プロになってしばらくしたとき、友だちが最近いい選手がいるんだよって不意にビデオを貸してくれたんです。その映像でルーニーを観てからです、マンUファンになったのは。当時ルーニーは10代、“何だコイツ! 超おもしろい”と。ルーニーにはどこかロックを感じました。そこからカントナまで一気に遡ってマンUを見まくり、「エリックを探して」という映画も初日に観に行きましたし、2008-2009年のCL、マンUが負けたバルサとの決勝戦をスポーツバーで観た時は、みんなで観ていたにも関わらず、ひとりで帰らせてくれって言って泣きながら帰った思い出があります(笑)。マンUファン歴8年になるんですが、まだ現地には行ったことがないので、オールド・トラッフォードはどうにかして行きたい。今年は香川も入りましたしね、チャンスかも。その他の補強が正直不安ではあるんですが…(笑)。

でもいちばん印象に残っている試合はマンU以外の試合だったりします。2、3年前のCL準決勝、チェルシー対バルサ。勝っていたチェルシーのヒディング監督(当時)はガッチガチに守っていて、当時敵なしだったバルサがついに敗退かと思っていたロスタイム。イニエスタが奇跡のゴールを決めます。あのイニエスタがユニフォームを脱ぎ捨てて走り回って、冷静なベップ(グアルディオラ)も駆け回っていました(笑)。もう一つは試合じゃないんですが、モウリーニョがインテルを去るときのマセラッツィとの最後のお別れシーン。マセラッツィはほとんど試合に出させてもらえなかったのにも関わらず、モウリーニョをずっと信頼していて、最後の抱擁で二人が泣いているシーンに思わずもらい泣きしちゃいました。

文化としてのサッカーを。

最近読んだ『レ・ブルー黒書』という本がほんとにおもしろかった。サッカー本で久々にヒットでした。南アフリカW杯で仏代表が練習をボイコットしたときの事の顛末が書かれているのですが、こういう話し大好きです(笑)。この前のユーロではフランス代表はだいぶ良くなってきましたよね。この本に書かれていたような泥沼の状態からよく持ち直したなと。本の中にも登場しますが、サルコジ大統領がサッカー好きだったり、チームのオーナーが首相だったり、ヨーロッパサッカーには政治や経済がつきものですけど、日本もそうなったらおもしろそうですよね。香川が点を決めた試合の客席で小沢一郎がニヤっとするシーンがテレビで放映されるとか(笑)。

ヨーロッパだと、政治経済との繋がりもそうですが、サッカーがそこに暮らす人たちの生活と共にあるものでもあります。仕事が終わってパブに行って、飲みながらみんなで試合を観るみたいな。Jリーグはまだまだそこまでいけてない。サッカーがもっと文化として根付いていってほしいと思います。それは音楽もそうなんですけどね。文化を大切にする文化が、日本にはあまりないと思うんです。フランスは国がサッカー選手の養成所にお金を出しているし、ドイツは音楽、クラブミュージックに投資をし、韓国は映画産業のために投資をしている。国が文化として守り、根付かせていくことができると、何年、何十年か先に間違いなくおもしろいことになると思うんです。サッカーは人生を楽しませるし、外交的にも役立つことも多いんじゃないかな。日本は経済のほうに偏り過ぎで、文化とか人生の楽しみ方とかを忘れてしまって空洞ができてしまう。その空洞にこそ、人を楽しませるようなサッカーであり、音楽であり芸術があると思うんです。

優勝が夢

今年FCマッコリが決勝トーナメント一回戦止まりだったので、来年以降の「音蹴杯」で優勝することがいまの夢ですね。そして、いま言ったようにサッカーが文化として根付くこと。これを願っています。

木下理樹が選んだベスト11

マンUがベストイレブン

クリスチアーノ・ロナウドがいたときのマンUが自分にとってのベストイレブンです。監督は愛するモウリーニョで!


フォーメーション:4−4−2
監督:ジョゼ・モウリーニョ
FW:ルーニー/テベス
MF:クリスチアーノ・ロナウド/パク・チソン/スコールズ/ハーグリーブス
DF:エヴラ/ファーディナンド/ヴィディッチ/オシェイ(ブラン)
GK:ファン・デル・サール

木下理樹 プロフィール

木下理樹(キノシタ リキ)

木下理樹プロフィール

1978年大阪生まれ。2000年、櫻井雄一、日向秀和(現ストレイテナー)、大山純(現ストレイテナー)とART-SCHOOLを結成。2003年「DIVA」でメジャーデビュー。現在は戸高賢史と二人で活動。2012年8月に「BABY ACID BABY」をリリース。日向秀和とのユニットkilling boyでも、6月に「Destroying Beauty」を発表するなど、精力的に活動している。文学や映画への造詣も深く、小説や詩、映画評なども手がけている。マンチェスターUファン歴8年。FCマッコリの“レジェンド”。
http://www.art-school.net/

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