サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

かつてJ2の愛媛FCに所属したサッカー選手であり、それ以前にはドイツのブンデスリーガの4部でプレーもしていた前参議院議員、友近聡朗。惜しくも2012年の衆議院選では落選してしまったが、その眼は、いまなおサッカーと社会とを繋ぎたいという熱い意志と想いに溢れている。ドイツでの経験が彼を政治の世界へと駆り立てた。彼が見た風景とはいったいどんなものだったのだろうか。

神童だった子ども時代から壁にぶつかるまで

あまり覚えていないのですが、小学一年生のとき、兄に連れられて室内サッカーを高学年と一緒にやって、ハットトリックしたらしいんです。1年生なのに凄いぞ!と言われて、すっかりその気になり、そこから本格的にスポーツ少年団に入り始めました。その頃ちょうどキャプテン翼の連載が始まったことも影響していたでしょうね。それから地元の少年団でやっていましたが、5年生で、全国大会常連の愛媛県内のクラブに移って、全国大会に出場してベスト16までいきました。
サッカー選手への憧れは漠然とはありましたが、パイロットになりたいのと同じくらい想像上のことでした。でも、中学校で自分史を書いたときは、プロサッカー選手になると書いていましたね。日の丸の付いたユニフォームを描いたのを覚えています。弱い中学校でしたが、運良く1人だけ四国選抜に選ばれて、東京で試合をして初めて、全国のうまい選手たち、城や川口を目の当たりにしました。全国にはうまい奴らがまだまだいっぱいいるなって、その時痛感しましたね。

人生の岐路となったビール腹の人々とドイツのサッカー

プロになるには高校卒業と大学卒業の大きく2つのチャンスがあります。僕はどちらのタイミングでも夢が叶わなかった。自暴自棄のまま就職活動を始めて、自己PRに志望動機を書こうと思い、自分がどう生きて、何をしたいのかを自問自答したら、サッカーをしたい!という答えに行きついた。そう思ったらすぐリクルートスーツを脱ぎ捨て、サッカーが出来る術を探し始めていました。当時ジェフのGMだった祖母井さんに出会い、かつてプレーしていたドイツのサッカーリーグの仕組みや、アマチュアでもある程度お給料をもらえることを教えてもらった。直感的にドイツでならサッカーができると思って行くことにしたんです。僕は高校を卒業する時も、大学を卒業する時も日本のサッカー界に認めてもらえなかった。向こうで成功して日本のサッカー界を見返してやりたいという、うがった気持ちがあった。でも、向こうで観たサッカーやスポーツ文化の衝撃は、自分の人生の岐路になりました。プロサッカー選手になるという自分だけの夢がちっぽけに見えちゃった。一言で言えば、向こうの人たちの方が人として遥かに豊かに生きているって感じたんです。僕がいた街も10万、20万の街ですけど、プロのクラブがあり、地域のチームで自分たちもプレーし、土日になれば腹の出たおじさんたちが芝生でサッカーをやる。自分からみれば天国みたいな国で、Jリーグ100年構想の100年先を見た感覚になって、これを僕の故郷に作れたら、すごく幸せな人生が送れるんじゃないかと思ったんです。それ以来、それが自分の大きな夢に切り替わりました。

基礎から作らずに屋根から作ってしまった日本の“家=サッカー“

ドイツ時代、友人が遊びに来て、初めてブンデスリーガを観に行ったんです。取れたチケットがカイザースラウテルンの試合で、ゴール裏の席でした。ヨーロッパのスタジアムは身を乗り出したら、転げ落ちそうなくらい傾斜が凄い。太鼓とか鳴りものもなくて、サポーターのウォーという低い声と手拍子と足踏みのみ。10万人しかいないカイザースラウテルンの街で、5万人の収容のスタジアムが満員でした。日本じゃあり得ませんよ。サポーターの声と鼓動がスタジアム全体から足下に伝わってきて、全身で受けて鳥肌がブワァーと立った。その時に僕は、このクラブを応援していけば一生幸せに生きていけると思ったんです。別にラウンテルンのファンでも何でもなくて、チャンピオンシップでも何でもない試合。2週間に1回ホームゲームがあって、隣には孫の手をひいてきたおじいちゃんとかがいる。この人たちは隔週こういう経験をしているんですよね。僕はそれまでプレーをする側だけだったんです。観たり、応援したり、支える側の立場としてサッカーを観て、すごい衝撃を五感で感じた。当時僕は4部のクラブにいたんですけど、その経験があって、半年後、わざと7部のクラブに移籍したんです。7部は腹の出たおっさんたちの同好会レベル。なぜそんなおじさんたちがいるような7部に移ったかというと…。7部リーグも1889年から100年以上成り立っているんですが、ちいさなクラブハウスがあり、シャワーがあり、ソーセージを焼いてくれるおじさんとおばあさんがいて、ちょっとしたバールがある。日曜日は自分たちのクラブの試合を観に行く、あるいは自分たちがやる。ピッチがあったら子どもたちはサッカーボールを蹴り始め、大人たちはその脇でデッキやパラソルを広げて、試合が始まる前から飲んだくれている。そうした日本では考えられないサッカークラブが、どうやって運営されているのか、直接体験して、聞いて知りたかったんです。日本では学校を卒業してしまうとスポーツをする機会、接する環境が一気にガタ落ちする。よく例えるんですけど、ドイツの人とスポーツの関わり方の変化は年齢を横軸に放物線を描くんですよね。日本の場合は、学生時代が終わると突然しなくなって急降下してしまう。僕はどうしてもそれを改善したい。そこに地域のクラブチームが貢献できると思うんです。

僕がずっと言っていることなのですが、様々な地域のチームはJリーグに上がることだけを目的にすべきじゃないと思うんです。Jリーグに上がることで基盤が発展して、地域の方々にスポーツ文化がより根づくのなら上がる意味がある。でも上がって地域/地元との距離が遠くなるのであれば、上がらない方が良いと思う。ヨーロッパの人たちはトップリーグのチームがあるから応援しているわけじゃなくて、ただ自分たちの生まれた土地のクラブを応援している。勝てばビールを飲んで、負ければやけ酒を飲む。自分たちの暮らしの生き甲斐に贔屓のクラブチームがあるというのがほんとに羨ましかった。競技は野球でもバスケットでもいいと思うんです。僕の場合はたまたまサッカーだっただけ。日本は、わかりやすく言えば、家を基礎から作らずに“屋根=Jリーグ”から作り、最近はJ3構想も出ていますが、その後下に向かって基礎をつくろうとしているのが、ここ20年間なのかなと思っています。

サッカーの入り口でもあり出口でもある地元クラブという存在

例えばですが、「水戸ホーリーホックと愛媛FCの違いは?」と聞かれても、名前と地域の違い以外はわからないですよね。ヨーロッパだと、あそこのクラブはいいゴールキーパーを輩出するとか、それぞれに特徴がある。愛媛FCは、日本一子どもの多いスタジアムなんです。例えば5000人の観客が入ったとき子どもが2000人いましたとなったら、それは社会的なメッセージになると思うんですよ。いつの間にか看板にトミカとかポケモンの広告が入ったりするような特色のあるクラブに各地域のチームがなっていかないといけない。街の規模も違うわけで、全てのクラブがレアルマドリードや浦和レッズを目指すのは、物理的に無理。だからこそ何を目指し、何を地域に還元していくのかというクラブの理念を明確に打ち出さないといけないと思う。スペインで豚の頭が投げられるように、愛媛FCで変なプレーをしてしまったら腐った蜜柑が飛んでくるとか(笑)、そういうことがJリーグの目指すべきクラブのかたちなんじゃないかなと自分なりには感じているんです。

地元の人の話を聞くと最近の愛媛FCも、選手が毎年入れ替わって地元の人も少なくなり、誰が誰だかわからないからどうも応援する気持ちが沸かないと言うんです。引退した僕が、政治活動やらずにサッカーをやってくれと言われることもある。地元の人からすると、地元の子が頑張っている姿、昔近所を走り回っていた子どもたちが戦う姿にやっぱり愛着や親近感が沸くんですよね。今年、愛媛ユース出身で名古屋グランパスで活躍していた吉村圭司が、地元の愛媛FCに戻ってきて、選手生活の晩年を愛媛でプレーするんです。さきほどお話しした放物線を描くサッカーとの付き合い方が生まれてきている。引退をしたら地元で指導者になるということもできる。サッカーの入口であり、出口でもあるみたいなね。

サッカーを通じた幸福の追求

ドイツの人たちと接して、人として豊かに生きていると感じた。じゃあ人の幸せって何なんだと。憲法の中で僕の一番好きなものに「幸福追求権」というのがあります。幸せというのは人の主観で、所得の低い生活していても幸せだという人もいれば、何億円稼いでも不幸だと思う人もいるかもしれない。だけど僕は「スポーツのある暮らし」、「Jリーグのある暮らし」によって幸せな生活を送れる環境をつくりたい。自分が政治家で在り続けることにこだわりも持っていないですし、どんな立場でも自分の地域への貢献もスポーツへのアプローチも出来るというのが僕のずっと一貫した想いです。スポーツの世界からいきなり政治家は大変じゃないかとよく言われたけど、自分にとっては立ち位置が変わっただけで、アプローチすることは何も変わっていないんです。

終わりのない、進歩し続ける世界

抽象的ですけれど、日本に住む皆さんがスポーツ(サッカー)をする、観る、支えることで幸せというか生き甲斐を感じられる暮らし、あるいは環境を作ることが僕の夢。サグラダ・ファミリアやディズニーランドじゃないですけど、終わりのない世界、常に進化・進歩しながら皆が一緒に作っていくものだと思うんです、サッカーは。ウォルトディズニーもガウディーも完成は見ていませんが、次の世代がその意思を引き継ぎ、果たさなくてはいけない役割が僕たちにはある。そういうバトンタッチをしていくのが僕の役目かなと思っています。W杯で日本が優勝するとか、そういうわかりやすい夢はあまり持ってないです。

友近聡朗が選んだベスト11

第71回高校サッカー大会のベスト11

今年の高校サッカーが91回大会でした。僕が出たのが71回大会だったので、ちょうど20年。ということで、ちょうど20年前の高校サッカー時代のベストイレブンにします。みんな超攻撃型なので、前のめりになってカウンターを食らいそうですね(笑)。ポイントは、高校サッカーで一番印象に残っている三浦淳宏ですね。彼のインサイドで蹴るドライブがかかったシュートはすごかった。監督は、やっぱり国見の小嶺忠敏さんで、コーチは帝京の小沼貞雄さんにお願いしましょう。

フォーメーション:3-4-1-2
監督:小嶺忠敏(コーチ:小沼貞雄)

FW:松波正信(帝京)/城彰二(鹿児島実業)/友近聡朗(南宇和)
MF:阿部敏之(帝京)/三浦淳宏(国見)/中田英寿(韮崎)/永井篤志(国見)
DF:佐藤尽(室蘭大谷)/室井一衛(武南)/丸山良明(帝京)
GK:川口能活(清水商業)

友近聡朗 プロフィール

友近聡朗(トモチカ トシロウ)

友近聡朗プロフィール

1975年、愛媛県松山市生まれ。愛媛県立南宇和高校を経て、早稲田大学人間科学部を卒業。同年ドイツへサッカー留学。帰国後、01年日本サッカーリーグ(JFL)の愛媛FCに入団。同年三浦環境マネジメント(株)に入社。05年キャプテンとしてチームを率い愛媛FCのJFL優勝、Jリーグ昇格へ貢献した。現役引退後もライフワークであるサッカー教室を開催し、子どもたちの育成に取り組んでいる。07年参議院議員選挙に無所属で初当選し、スポーツ基本法の成立などに尽力した。

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