サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

ワールドカップが1年後に迫り、盛り上がりを見せるブラジル。ジャーナリストの大野美夏さんは、5度の世界制覇を成し遂げた「王国」のサッカーを20年近く取材してきた。彼女がなぜブラジルにハマってしまったのか、その言葉を聞くと、ワールドカップがますます楽しみになってくる。

最初は日本語教師として

ブラジルに渡ったきっかけは、サッカーではありません。大学を卒業して、どこかに行きたいと思いJICA(国際協力機構)に応募したら、行き先がたまたまブラジルになったんです。スペイン語圏の国を期待していたので、「やった!」というより、「あれ?」という感じでした。とにかく日系人の子どもたちに日本語を教えることになり、簡単な語学研修を受けて、1992年3月、ブラジルに渡りました。
サッカーが好きだった私は、ブラジルに行ったら存分にサッカーを見たいと思っていました。でも思うようにいきませんでした。というのも赴任したピラポーラという町が、とんでもない田舎だったんです。サンパウロに行こうと思ったらバスで15時間、リオ・デ・ジャネイロも12時間かかる陸の孤島、そんな何もないところに3年もいたんですよ。
それでもピラポーラ時代、憧れていたリオのマラカナン・スタジアムに試合を観に行きました。カードはボタフォゴ対どこか。ビッグマッチではなかったので観客も少なかったんですが、コンクリートの安い席に座ってゲームを観ていると、「ああ、このスタジアムで数々の名勝負が行なわれたんだ」という感慨が湧き上がってきました。マラカナンには聖地と呼ばれるだけの、特別な雰囲気があるんです。実際は古くて臭かったんですけどね(笑)。もちろんいまは、ワールドカップに向けて改装中ですよ。

ブラジル人の素朴さと親切さに助けられて

3年間のピラポーラ暮らしが終わって帰国しましたが、またブラジルに戻りたくなりました。ビザが1年分残っていたし、ブラジルのサッカーを日本に届けたいという思いが、ふつふつ沸いてきたんです。わたし自身、学生のころ、サッカー専門誌を貪るように読んで海外の情報を得ていたので、今度は自分が情報を届けたいと思いました。
90年代半ばのブラジルサッカー界は、完全な男社会。そんなところにポルトガル語が未熟な、日本の女性が入っていくのは簡単ではありません。いま考えると、無謀な試みですよね。でも、思い出すのは楽しいことばかり。というのもブラジル人はみんな素朴で、とても親切なんです。どこかに取材に行くたびに、そのクラブや選手が好きになっていました。
日本人であることも、記者をする上で良かったと思います。ブラジルには日系人がたくさんいて、いわば国の中に日本がある。味噌や豆腐が一般で売られているんです。しかも、日系人は働き者だから周りからリスペクトされている。日本人にとってブラジルは地球の裏側の遠い国かもしれませんが、ブラジル人にとっては日本は親しみのある国なんです。
いま思えば、タイミングにも助けられました。当時は始まったばかりのJリーグが盛り上がり、ブラジルのスター選手が次々と日本に渡っていました。Jリーグがテレビ中継され、日本サッカーがブラジルメディアを賑わせていました。こうしたいくつもの幸運が重なり、新米記者はキャリアを積むことができたんです。

サッカーは社会をつなぐ潤滑油

ブラジルにとってサッカーとは何か。よく尋ねられますが、すべてと言ってもいいかもしれません。ブラジルの赤ちゃんは、歩き出すと同時に丸いものを足でボカボカ蹴り始めます。日本なら「投げる」のかもしれませんが、ブラジルでは蹴るんです。そんな国なのでサッカーが下手だと、それだけで学校生活が灰色になってしまう。男の子はサッカーが上手くて当たり前。これは肌の色や階級に関係ない、ブラジルの常識なんです。
ブラジルは貧富の格差が激しく、様々なルーツを持つ人々が入り混じって暮らしています。サッカーは、そんな多様な社会をつなぐ潤滑油。初対面の人は、まず「どこ応援してるの?」で会話が始まり、同じチームだとすぐに仲良くなり、敵同士だとちょっとした舌戦が始まる。階級が異なっても、サッカーを通じて仲良くなれる。ウチの夫はパルメイラスを応援しているんですが、負けた晩は「あー、また明日、会社の同僚にからかわれる」なんて嘆いています。勝つと逆なんですけどね。ブラジルという国では、サッカーが人と人との関係を豊かで滑らかなものにしているんです。

ワールドカップは「ブラジルの祭典」

ブラジルにとって、1950年以来となる自国でのワールドカップが迫ってきました。ワールドカップはブラジルにとって、4年に一度の国を挙げての一大イベント。このときは国中が緑と黄色のブラジルカラーに染まります。もう何から何まで!
ブラジル人はワールドカップを「ブラジルの祭典」だと思っています。5度の優勝は世界最多、しかも全大会に出場している世界唯一の国ですから当然かもしれません。
一般大衆にとってワールドカップはサッカーの大会というより、4年に一度開かれるお祭りです。そして、このお祭りにかけるブラジル人の気合いは半端じゃない。学校も公共機関もお店も会社も、ブラジルの試合前後になると止まってしまうんです。通りから人が消えてしまうんですよ。他国の戦力には一切興味なし。ブラジルしか見ていないんです。
ですから、ブラジル人にとってのワールドカップはブラジルが勝ち進む限り続き、負けたらそこで終わりです。負けた瞬間、人々は夢から覚めて日常に戻るんです。「祭りは終わった、明日から仕事、あーあ」。それだけ。ブラジルのいない準決勝や決勝なんて、大衆はほとんど気にしません。物凄くはっきりしているんです。
もちろん、優勝したときの騒ぎは凄いですよ。ピラポーラ時代、94年アメリカ大会の優勝を体験したんですが、田舎でも怖いくらいの熱狂ぶりでした。PK戦でイタリアを下し、24年ぶりの優勝が決まったんですが、極度に緊張したせいで心臓発作で亡くなった知り合いもいました。あのときは国中の24年分の渇望が一気に噴き出たような感じでした。

 

強さを支える底知れぬ愛

ブラジルはなぜサッカーが強いのか。理由はいくつもあると思いますが、20年近く、この国に暮らした身としては「ブラジル人ほどサッカーを愛している国民はいない」、このことに尽きると思います。サッカーが巨大なビジネスになったいま、サッカーで金儲けをする人は当然多いですが、その一方で無償の愛を注ぎ込む人も物凄く多い。それがブラジルなんです。育成部のコーチを取材すると、その底知れぬ愛情に圧倒されます。いくらいい選手を育てても、儲かるのはクラブと代理人だけ。給料は安いのに、それでも彼らは選手を育てることに人生を捧げているのです。
かつて、14歳のネイマールを取材したんですが、そのときも愛の強さを実感しました。父は元サッカー選手で成功とは無縁だったんですが、家族や他者への愛情、思いやりがあるんです。当時、ネイマール一家を取材しに自宅に行くと、そこには若者が何人かいました。彼らはネイマールのチームメイト。オフが取れても故郷が遠くて帰れない仲間を、父や母は家族同然で面倒を見ていたんです。
これがブラジル人のいいところ。底知れぬ愛情を持った人々が、お金とは関係ないところでサッカーを支えています。ワールドカップでは戦術や技術を超えた、ブラジル人のサッカーへの愛情を感じ取ってほしいと心から思います。

大野美夏が選んだベスト11

大野美夏が選んだベスト11

記憶に残るセレソン

ブラジルに渡って約20年、幸運にも二度のワールドカップ制覇を目撃。そのとき印象に残った選手でチームを作りました。フォワードはロナウド、ロマーリオの超人コンビ。リバウドはわたしが初めてインタビューした、思い出深い選手。大事な試合の前だというのに、1時間半も喋ってくれました。
ボランチのふたりは個人的に知っていますが、まさに謙虚さの塊。人格者じゃないと、チームを背負うことはできません。それから強調したいのがキーパーのマルコス。日韓W杯ではドイツのカーンばかりが取り上げられましたが、マルコスの方が間違いなく素晴らしかった。彼がドイツの攻撃を止めたからこそ、ブラジルは優勝したんです。
この最強メンバーを束ねるのは、もちろんザガロ。選手として2度、監督・コーチとしても2度、ブラジルの優勝に貢献した「ミスターセレソン」。この人以外、ありえません。

 

大野美夏 プロフィール

大野美夏(オオノ ミカ)

大野美夏プロフィール

岐阜県出身。サッカーに興味を持ったのは1986年メキシコ大会がきっかけ。92年、JICA(国際協力機構)の青年ボランティアとしてブラジルへ渡り、その後、ジャーナリストに転身。日本の雑誌、新聞などにブラジルサッカーの情報を伝えている。好きなチームはパルメイラス。

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