サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

6,70年代、日本の公式戦には出場できず、“幻の日本一”と呼ばれた在日朝鮮蹴球団。99年に体制が変わり、02年に在日朝鮮蹴球団と東京朝鮮蹴球団が合併するかたちで設立されたのがFCコリアだ。蹴球団の最後の監督を務め、FCコリア設立の中心人物である李清敬(リ・チョンギョン)。現在、代表と総監督を兼任する李が見つめる、在日朝鮮人とサッカーと日本のこと。

早く観客席でゆっくりビールを飲みたい

FCコリアは、99年に在日朝鮮蹴球団が活動を終え、在日のためのサッカーの受け皿が必要だという思いから、02年に立ち上げました。サッカーバカな人間が集まってやっていたのが、去年の社会人選手権に運良く勝ちました。
勝った後に大きな大会だったと気づいたくらいでした。とはいえ、そのおかげでJFLという漠然とした目標が、具体的な目標になるきっかけにはなったと思います。でも、ここで勘違いして簡単に上のクラスに上がれるんじゃないかと思ったらだめ。他のチームも時間がかかったわけですからね。僕は総監督という立場なので基本的に現場は任せています。現監督の黄くんに結果を出してもらい、できるだけ早く観客席でビールを飲みながら試合を観られるようになりたいですね(笑)。

全国社会人サッカー選手権優勝とリーグ7位というチグハグさ

6,70年代の在日朝鮮蹴球団は、無敵と呼ばれるほど負け知らずだったんですけど、昔は日本人があまりサッカーをやらず、朝鮮学校が熱心だったから強かっただけという人も少なからずいます。でも、スポーツってそういうものじゃないと思うんです。常に相手があってのものだから、その時に強いなら強い。いま勝てないのは、いま下手というだけ。2012年、関東社会人1部リーグでは7位に終わりました。7位のチームが、なぜ全国社会人サッカー選手権大会は優勝できたのか、不思議ですよね。それだけムラがあるってことなんです。優勝をかけた試合は、ものすごく力を発揮しました。でもダメなときはダメ。何がダメって、精神的な弱さ。勝てない勝てないと言っていたら勝てる試合も勝てませんよね。日本もアジアで通用しない時があったけど、W杯に連続出場し、ヨーロッパで活躍する優秀な選手が出てきた。これは努力をしてきた結果。日本サッカー協会が指導者を育成し、海外から学び、強くした。いまのFCコリアのメンバーも前よりはもちろん強くなっているけど、かつて強かった時ほどいまの子たちがやっているかというと、そうでもないってことなんです。なぜ自分はこのチームでサッカーをやるのか、FCコリアはどんなチームなのかをはっきりわかったうえでプレーしようよと言っています。リーグで優勝できず上に上がれなかったのは、サッカーの神様がもうちょっといまのリーグで頑張って、関東1部を盛りあげなさいというお告げかなと都合よく解釈しています(笑)。

日本のアスレティック・ビルバオに

日本サッカー協会やJFLの方とよく話すことがあって、日本のサッカーはプロ化されると同時に国際化もし、いろんな海外選手が来た。そのひとつとしてFCコリアみたいなチームが上がってきたらもっとおもしろくなるんじゃないかと。うちのマネージャーがカッコつけて、FCコリアは日本のビルバオ(バスク人だけによるスペインのクラブチーム)だって言うんです。戦後から在日の人たちがサッカーを通して日本人と付き合ってきた結果や歴史を忘れずに、恩返しもしながら外国人籍というルールのなかで頑張っていくことはやりがいがある。FCコリアは在日朝鮮蹴球団と違って、コリアン全般を網羅しています。だから世界中のコリアンを受け入れている。これが民族をテーマに抱える、うちのチームのユニークなところ。在日朝鮮、韓国人はもちろん、日本に帰化した人、それぞれの国で育った朝鮮と韓国の人までいます。国籍だけが大事なのではなく、最終的には民族を守ることが大事。現状は国籍を尊重しなきゃいけない時代ではありますけど、今後、日本、韓国、北朝鮮、中国が仲良くなるには、国の枠ではなく民族の枠組みが必要になると思っています。

在日サッカーの聖地で出会ったふたりの師

自分が育った江東区枝川町は、当時は下水もなくて、雨が降ったらすぐ床上浸水で、いつも畳を上げてテーブルの上に丸くなっていた記憶があります。僕が川崎から枝川町に移り住んだとき、そこは日本の在日サッカーの聖地だったんです。在日のサッカーをやっている人で枝川町を知らない人はいない。小学校に上がると、男の子はみんなサッカーしかやらないくらいサッカー大好きな人が多くて、そこから巣立った人もたくさんいる。その中でも金明植さんとの出会いが僕にとって大きな転換点でした。僕の朝鮮高校時代の監督で、小さい頃からお風呂で会うと、いつサッカー部に入るんだって声をかけてくれたりしていました。やさしい反面すごくシビアな人でもあり、自分が思うプレーをできない選手は練習試合ですら出させてもらえなかった。金先生は蹴球団が出来る前から中大の選手として天皇杯で優勝も経験していた人で、同じ時期に関学にいた李昌碩さんとも天皇杯で戦っている。李さんは、僕が蹴球団に入った時の団長だった人で、彼を蹴球団に引き込んだのが僕の父だったらしい。僕はこの二人と知り合えたということがとても大きかった。李さんが、うちの父に「息子さんを蹴球団に入れます」と話したとき、「ダメだ! サッカーなんかじゃ飯が食えない」と言われたらしいんです。そしたら「何を言ってるんですか、先輩。僕を在日サッカーの世界に引き込んだのはあなたじゃないですか!」って(笑)。それで息子がダメなんて理屈が合わないって言い返したら、父は黙ってしまった(笑)。

朝鮮、韓国、日本。どこにどの程度属するのかという感覚

在日のコミュニティでは、男の子のコミュニケーションはサッカー。サッカーがうまいか、ケンカが強いか、頭がいいか、喋りが立つか。この四つが生きる術でした。みな貧しかったし、お金がかからないサッカーは向いていたのかもしれません。あの時の朝鮮学校は、体育の授業もサッカーが多かったですね(笑)。今の子供たちは在日4世、5世ですが、朝鮮と日本の試合はもちろん朝鮮側だけど、韓国と日本の試合では日本を応援する子もいますね。僕も日本を応援したい気持ちはわかるけど、同じ民族をいちおう応援しなさいよって。学校が朝鮮系だから朝鮮を応援するけど、あくまで親が朝鮮人なのであって自分はコリアン系ジャパニーズ的な気持ちなのかもしれないですね。いいこと悪いことではなくて、そういう時代の変化であり、流れなんだなと。在日って複雑なんです。鄭大世の例も、李忠成の例も、朴康造の例もある。いい悪いじゃない。在日が日本で生きてきて、これからも生きていくときの生き様のひとつなだけ。そしてその変化を繋ぐのが民族なんですよ。

アジアへと広がるサッカーとともに。そして、大きな夢

サッカーのクラブチームは、地域主義的に各土地に根ざしたチーム作りをしていますが、FCコリアはそういう意味での地元がない。かといってジプシー的かというとそうでもなくて、FCコリアは日本全体がホームタウンだと考えています。日本のどこにいっても在日の方はたくさんいるわけで、逆に考えたら日本全国がホームになり得るということです。これはメリットで、日本全国どこに行っても在日の人はみんなサッカーが大好きで、勝ったら焼肉を食べさせてくれて、明日試合があるからもう無理と言っても食べさせられる(笑)。で、翌日負けると怒られる(笑)。他のJのチームのようにこの都市というのはないけれど、うちは全国なんだと考えた時にすごく気持ちは楽になりましたよね。これからJFLに上がろうとしているところですけれど、一番大事なのは地域の理解者ですからね。そのためにまずは強くならないといけないわけです。
いまJリーガーが溢れてきて、要らない選手はどんどん切り捨てられているじゃないですか。J2でも拾ってもらえず、地域リーグは給料が出ないから生活できない。それで東南アジアやインドに行く選手が増えています。日本人も在日もどんどんサッカーにおける裾野が広がっていってるわけです。これはおもしろいことですよ。FCコリアも日本だけじゃなくて東アジアもターゲットにしていきたい。まぁ、まずはJFLに上がらないとですけどね(笑)。

ヴェルディにいた張外龍という監督が言っていて、先に言われた! と思ったことなんですけど、「南北統一チームの監督をやること」が夢です。それは非現実的ですけど、サッカーマンとしての夢ですね。
FCコリアとしては、このチームが日本で市民権を得て、日本人にも愛されるチームになってほしい。だからサッカーの技術だけじゃなく、マナーや礼儀も大切。選手たちには、このチームを踏み台にして、ゆくゆくはJFL、Jリーグのチームに行ってもらいたいんです。うちのチームのためにいるんじゃなくて、その先へ行くことで、下の子が憧れて入ってきてくれるようになる。日本人にいいチームだなと思ってもらった後に、在日の人たちのチームなんだと気づくくらい、純粋にいいサッカーチームになりたい。そうすることでお互いの視野が広がるし、サッカーが素晴らしいスポーツだと実感できると思います。

李清敬が選んだベスト11

李清敬のベストイレブン

フォーメーション:3-4-3
監督:李清敬

FW:ジョージ・ベスト/ペレ/マラドーナ
MF:リベリーノ/メッシ/ヨハン・クライフ/カルロス・アルベルト・パレイラ
DF:フランコ・バレージ/ベッケンバウアー/シン・ヨンギュ
GK:ゴードン・バンクス

李清敬 プロフィール

李清敬(リ・チョンギョン)

李清敬プロフィール

1958年川崎市生まれ。FCコリア代表兼総監督。朝鮮大学校在学中の80年に朝鮮民主主義人民共和国代表に選ばれ、同年に開催されたAFCアジアカップに出場。大学卒業後は在日朝鮮蹴球団の中心選手として活躍。引退後は東京朝鮮中高級学校高級部の蹴球部監督、在日朝鮮蹴球団監督、FC KOREA(現在、関東サッカーリーグ1部)代表兼総監督およびFC KOREA運営団体NPOコリアスポーツクラブ理事長を歴任。02年に在日朝鮮人として初めてJFA公認S級コーチングライセンスを取得。

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