サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

2012年、17年間の現役生活にピリオドを打った藤田俊哉。ジュビロ時代には、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回という輝かしい成績を残した。今年の夏からは、指導者になるべくオランダのVVVフェンロの下部組織へ行くことが決まっている。5月23日に、引退試合ならぬ送別試合を迎える藤田のサッカーへの想い。

送別試合を迎えて

今回の送別試合は、ジュビロ磐田のOBを中心とした「ジュビロ・スターズ」と日本代表OBを中心とした「ジャパン・ブルー」で試合をします。出て欲しいなと思う人に自分で電話をしてお願いしました。みんな「うん、いいよ!」って快く答えてくれて、すごく感謝しています。僕は両方のチームに出て、応援してくれた皆さんに観てもらいながら、サッカー仲間とのプレーをもう一回楽しんできます。ふつうの試合よりパフォーマティブに動くと思いますよ。みんな僕に気を使ってプレーするだろうから、出来るだけそうならないようにやりたいですね。

サッカーの本質は勝利のみにあるのではない

小学校4年生でサッカーを始めて30年、Jリーグスタートから20年サッカーを続けてきて、サッカーをやる楽しみに変化はないんです。4年生で、遊びとして始めた時の楽しさがそのまま今もある。仲間と蹴っていても、ひとりで遊んでいても、ボールに触れるだけで楽しかった。だから、努力をしているという気持ちになったこともなければ、辞めたいと思ったことも一回もないし、嫌だなと思ったこともない。サッカーが楽しいまま今に至るから、才能があるとしたらそれかもしれない。勝ち負けにしても、勝つためにベストを尽くすけど、試合したら負けることが必ずあるんです。だから一生懸命やったことが大事で、責任は持ちつつも結果は僕一人で決まるものでもない。11分の1だったり、10何分の1だったり、監督の場合もあったりします。そう考えているから、そこに重きを置いていないんです。もちろん勝ったら楽しいのは知っているし、勝つこと、優勝することがどれだけ良いことかも身を持って知っているけど、サッカーの本質はそこにはないと思うんです。選手として一生懸命良いサッカーをして、応援してくれているファンやサポーターの方に勝ち星をプレゼントするのが理想で、それに向かって全力を尽くすのが僕らプロとしての仕事ですが、勝利だけを約束するプロの選手がいたら、それは変な関係になる。その姿こそが評価されるわけで、さらに結果として勝てばもっと喜んでもらえるということなんだと思います。

誰かを追わず、自分で走ってきた

子どもの頃にサッカー以外でやったのは水泳に体操、ソフトボール。ボーイスカウトもやったし、書道もやりましたね。色々やったけど、どれもぼくの心を本当に満たすものはなくて、満たしくれたのが唯一サッカーだったんです。理屈じゃなくて心の底から楽しかった。ただただ無邪気にボールを蹴るのが好きでした。
上手くなりたいと思ってずっとやってきたけど、全部が出来ちゃうことはないわけで、だからこそサッカー選手でいられたんだと思います。これで完成という終わりがないから。メッシですらシュートミスをする。そんな選手がミスをするのに、俺がノーミスで終わるわけがないなという感覚は、子どもの頃にすでに持っていました。
ただ当時はあまりに情報がなさすぎて、手本にすべき選手もほとんど知らなかった。最初の国際試合の記憶は82年のスペインW杯で、知っていたのはジーコ、マラドーナ、プラティニくらいかな。情報は、週一回のダイアモンドサッカーか「サッカーマガジン」、もしくは「サッカーダイジェスト」のみ。それが唯一の楽しみだった。真似ようにも真似るための情報とか素材がないから、人は追わなかった。ほんとにちょっとしか放送されない人のプレーを見てもわからなくて。だから自分でボールを蹴って、感覚的に楽しいな、こうやったらいいなというのを膨らませて、好き勝手にやってきましたね。自分の中のルールを決めて、疲れたらやめて、やりたければずーっとやって、やってみようと思うことは全部やりました。だから心の赴くままというか、感性にまかせて進んで今に至るという感じです。

流れに逆らわないこと。流れに乗って見えたこと。

いくつかのチームを移籍してきましたけど、最初の移籍はすごく抵抗があって、11年半いたジュビロを離れるのはかなり葛藤がありました。ファンやサポーターからの応援がすごく有り難かったことに尽きるんですけど、やっぱり愛着があった。その愛着やファン、サポーターへの想いと、選手としてどうあるべきかというせめぎ合い。でも、子どもの頃からどんなときも流れには逆らわないようにしてきました。全てのことはなるべくしてなるし、変にコトをねじ曲げて何かしようとは思わなかった。名古屋に移籍する話しが出ているということは、今の流れはそういう方向に行っているんだろうなと。運命とまではいかないけど、そういう星のもとにいる、という解釈。行ってわかることもあるし、行ってみようかなって。移籍してみると友達ができるし、応援してもらえる幅が広がりました。その代わり忘れられる幅も広がるから、結局はそんなに変わらないのかもしれないけど、新しい出会いがそこにはあるし、知らない世界を見るのは勉強になる。人との出会いは最たることですけど、新しいことに出会うと自分の人生が豊かになる気がする。それは移籍してみてわかったことですね。
オランダのユトレヒトというチームに行って、わかったのは文化が全然違うこと。20年のJリーグと100年近くあるヨーロッパサッカーでは歴史が違うから、生活の中におけるサッカーのウェイトがまったく違う。その歴史の中で培われてきた社会とサッカーの繫がりは、すごく勉強になった。サッカーを通して人が触れ合う場所づくりであったり、社交的な雰囲気をつくることであったり、人々がサッカーをものすごく大事にしているし、愛していました。日本もそうなる状況を僕らがつくれたらいいなと思っています。Jリーグも徐々に変わってきています。間違いなく変わったと思うのは、これだけヨーロッパに選手が行き、日本代表のレベルが上がったこと。20年前はW杯にも出られない状況が、今ではもう5大会連続が決まろうとしている。それはものすごく大きい。ただ一方でJリーグが始まったときと今の熱の違いには問題があります。日本経済や景気という話しになるのもわかるけど、ヨーロッパも多くの不景気を経験しているわけで、それを言い訳にしないサッカー界をつくりたい。文化の中に不動のものを確立するというか、文化としてのサッカーがそこにあってほしい。

選択肢を多く提示すること。自ら選ぶこと。

選手のときは、いわゆる普及活動も含めて多くの人に夢を与え、勇気や感動を与えて子どもたちがサッカー選手に憧れを抱いてもらえるようにしていました。指導者はその宝をどう育てるかですよね。そこに責任がある。普及活動を一生懸命して膨れ上がったサッカーをやりたい子どもたち、ないしは大人や女性たち、ひとりひとりをどう育てるか。育てるというとおこがましいけど、サッカーやスポーツの楽しさを一人でも多くの人に伝えたい。僕はたくさんの情熱ある指導者に恵まれて幸せでした。めちゃくちゃ指導されたと思うけど、そこには情熱や愛情があっての指導がありました。そうした情熱にテクニックが加わったときに初めていいものができるようになると思う。だから指導者になったからといってテクニックだけを教えるのは違うと思っています。道を指し示すのに近い感じかもしれませんね。多くの選択肢を与えて、自分で選んで判断して決めていけるように導けるかが指導者の肝。その中でサッカーのテクニックやコアな部分を伝えていければ、あとは選手自身が選んでいってくれる。
セカンドキャリアという問題もそうで、誰にでもチャンスがあるということをサッカー界が示すことは必要ですよね。実績があるから監督になれるという印象にならないよう、全員に開かれていることをまず示すべき。必ず終わる選手生活に対して、一つでも多くの選択肢をサッカー界が用意しなくちゃだめで、これはどうだとひとつだけを提示するんじゃなくて、いくつも用意した中から、選手が本当にこれだと思うことを本人に選んでもらう必要があると思います。サッカー選手のひとつのことに打ち込む能力は化け物なわけで、その能力を第2の人生でも発揮してもらうために、本人が本当にこれだと思うことをやれるようにしたい。6年間選手会長をやっていて思ったのは、Jリーグがキャリアサポートセンターを作ったのはすごくいいこと。さらにそこに選手が思うセカンドキャリア像を融合してこそ、完成形に近づけるということ。どうしてもセカンドキャリアって押しつけになるところがあるんです。用意してあげた、みたいな。辞めざるを得なくて、弱っている人たちには、良くない選択肢でも提示したら掴んでしまう。すごく喉が乾いている人は泥水でも与えられたら飲みますよね? きれいな水とかお茶とか、ジュースもあってもいいという発想。そのうえで泥水を飲みたいんだったら飲めばいい(笑)。それを自分で選んだら、そこに言い訳が出来なくなるから。そしてもうひとつ大切なことは、僕らがひとつのことにこれだけ打ち込んできたこの素晴らしさを、自分で簡単に否定しちゃいけないということ。よくサッカー人が、サッカーしかしてないとかサッカー以外は何も出来ないとか言いますよね。もちろんそれは謙遜だとは思います。でも謙遜だとしても、我々が我々のことを卑下してはいけないというのが僕の考えです。サッカーをしてきたのは“しか”とか“だけ”じゃないと。「サッカーをしてきました!」と胸を張って言って欲しい。人に紹介するとき、「こいつサッカーしかしてなくて、他になんにも出来ないんですよ」って言ったら面接落ちちゃいますよ(笑)。サッカーを通じて身につくことって、技術だけじゃないですから。団体スポーツで、社会性だって、協調性だって、自主性だって身につくと思っています。

海外で指導者になる、そして日本代表の監督へ

指導者としての道をオランダから始めることにしましたが、どこがいいかはその人の縁とか、どこが好きか、やれる場所がどこかで決めていけばいいと思っています。どこへ行っても何らかは学べる。もちろん日本にいてもいっぱい学べる。たまたま僕はオランダにしただけで、あんまりこだわりはないんです。ただ日本の情報はどこにいても見れるし、聞けるし、身近に手に入りやすい。Jリーグでの実績がないわけじゃないから、国内ならチャンスはあると思う。でも環境に甘えず、見えている世界より知らない世界を見てみたかった。持っている常識がどう違うかを感じてみたいし、何にもない状況から自分をつくりだす作業はおもしろいと思うから。色んな選手をみるのも楽しいだろうし、いいチームをつくりだして、それが結果に繋がったときはもっと楽しいだろうし、それを観て喜んでもらえる人がいることも楽しいはず。自分がやるかやらないかだけで、楽しいと思うことは尽きないと思うんです。指導者になれば、今度は何十人もの選手たちが色んなプレーや行動をして、そこに一喜一憂するわけだから大変だと思うけど、その分喜びもその3倍、4倍になる楽しみが絶対あると思う。

監督としてW杯に出たい。日本代表の監督がベストだけど、ヨーロッパリーグとかチャンピオンリーグとか、主要な大会で指揮をとる監督になりたい。監督としてトップを目指していきます。
サッカーというプロスポーツにとても大きなチャンスがあるということを、今の選手たちは見せてくれていて、これほど素晴らしいスポーツはないと思っています。一人でも多くの子どもたちにサッカーを通して夢をみてもらいたい。世界に出ていけるし、日本でも輝ける。人にも喜んでもらえる。そうした良いことがいっぱいあるんだよということを、可視化していきたい。

藤田俊哉が選んだベスト11

藤田俊哉のベスト11

好き放題やってくれっていうチームですね。本能の赴くままにプレーをする人たちばっかりです(笑)。

フォーメーション:4−1−2−3
監督:アリゴ・サッキ

FW:ロナウド(ブラジル)/マラドーナ(アルゼンチン)/スキラッチ(イタリア)
MF:ジーコ(ブラジル)/ロベルト・バッジョ(イタリア)/ドゥンガ(ブラジル)
DF:パオロ・マルディーニ(イタリア)/フランコ・バレージ(イタリア)/ネスタ(イタリア)/ファビオ・カンナバーロ(イタリア)
GK:ブッフォン(イタリア)

藤田俊哉 プロフィール

藤田俊哉(フジタ トシヤ)

藤田俊哉プロフィール

1971年生まれ。1994年、筑波大学を経てジュビロ磐田に加入。以後、FCユトレヒト(オランダ)、名古屋グランパス、ロアッソ熊本、ジェフユナイテッド市原・千葉などで、中心選手として活躍。日本代表にも度々選出され、日本プロサッカー選手会会長は6年務めた。Jリーグ最優秀選手賞を2001年、功労選手賞を2012年に受賞。今夏、JFA公認S級コーチを取得し、海外で監督を目指す為オランダのVVVフェンロへ留学。

ページの先頭へ