サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

サッカージャーナリスト元川悦子。“日本代表ウォッチャー”として年代別からフル代表まで、世界中どこまでも追い続ける一方、日本人初の韓国代表フィジカルコーチ池田誠剛や帝京高校を9度日本一に導いた古沼貞雄など、個人の深いところまで潜る執筆活動も行ってきた。ジャーナリストとして、日本のサッカーがよくなるべく様々に言葉を発信してきた元川の、日本サッカーの隣を歩き続ける眼。

原点の高校サッカー。アメリカW杯での決意。

サッカーを見始めた小学校時代は、ちょうど高校サッカーブームのはしり。兄が帝京高校でサッカー部にいたこともあって、正月になると高校サッカー選手権を毎年テレビで観ていました。兄は、選手としては全然パッとしなかったんですけど(笑)。中学校時代は長谷川健太と堀池、大榎の三羽烏を見て「静岡ってすごいなー」と憧れていましたね。当時の日本サッカーと言えば選手権で、国立競技場は聖地。だから大学で東京に出たら、まず憧れの国立競技場に行きたくて、当時、日本代表選手だった兄の友達から10枚ぐらいチケットをもらって、入学直後にあったキリンカップに行きました。懐かしい(笑)。学生時代は、途中で隣の神宮球場のヤクルトスワローズに浮気をしたりしながら、スポーツの取材が楽しそうだと思い始めて、スポーツ新聞に入ろうとしたのですが、失敗。結局、日本海事新聞という業界紙に入りました。その後、93年11月に「日刊アスカ」というサッカー新聞ができると聞いて履歴書を送ったら、「ちょうど人がいないから入ってくれ」といきなりなった。でも、数ヶ月ですぐ潰れてしまい、結局サッカー業界への橋渡しをしてくれただけの会社という感じに。とはいえ、きっかけになったのは確かです。とんでもなかったですけど(笑)。それまでの会社は堅い業界紙だったから、フリーライターという職種の人に出会うことがまずなくて、「日刊アスカ」で初めて出会いました。編集者として人の原稿を直していたんですけど、ライターの書いてくるものが今一つで(苦笑)。今思えばその頃の自分も下手なんですけど、これなら自分でもできるじゃないかという変な勘違いをし始めて、フリーになってしまいました…。知り合いづてや偶然の出会いが続いて、ライターとしてポツポツ仕事ができるようになってきたときに、「チケットがあるからアメリカW杯に取材に行く?」という話になり、何人かが行くというから「じゃあ私も」と付いて行ったら、もうそこでサッカーから離れたくないな思ってしまった。そのときは同時並行で就職も考えていたんですけど、腹をくくってリスクを犯してでも頑張っていこうと決めました。
徐々に定期的な仕事がでてきて、空いた時間を持てるようになったので、自分のサッカーの原点である高校サッカーもちゃんと見に行こうと、当時住んでいた近くの市立船橋を取材し始めます。布啓一郎って監督は怖いらしいと聞いて、どういう人か見に行きたかったし、北島秀朗が1年でスターとして出てきて、ずっと追っていたら何かあるかも知れないと思って、「布先生、色々教えてください」みたいな感じでちょこちょこ行っていました。そうしたら対戦相手に中村俊輔とか本山雅志、小野伸二が来るわけですよ。だんだん選手とも仲良くなって、「どこ高校のだれだれはすごかった」とか「さすが有名だよね、あの子は」とか言い合っているのを聞いたり、来ているスカウトに今年の注目は誰とか聞くようになったりして、今度はその子たちを取材するために全国大会に行くようになっていきました。

変化し続けるサッカーを楽しむことのおもしろさ

この仕事をしていて1番楽しいのは、選手がどう化けるかを見守ることなんです。長期ビジョンでの話しですけど、これはすごく楽しい。自分で見つけた選手が育っていくのはやっぱりうれしいんですよ。だから年代別代表の大会は今でもできる限り行くようにしています。そうやって長いスパンでサッカーを見ていて思うのは、サッカーそのものがすごく変わってきたということ。これまでの日本は、小野伸二や小笠原、俊輔、遠藤みたいな、スピードはないけどうまい選手が中盤に多かったのに、今は香川のような敏捷性に優れて、運動量がある2列目のアタッカーが多い。そこには変わっていった理由が何かあるわけですよね。例えば2002年のW杯で、リアクションからのゴール率の高さやボールを奪ってから10秒以内のゴールが6割といったデータが出て以来、リアクションがうまいというか、前に行ける選手を重要視し始めましたよね。まず運動量とスピードがあって、アップダウンを繰り返せるような選手を日本サッカー界で育てるような気運になった。そうした求める選手像やチームが変わっていった裏側にある環境の変化とか、サッカー協会として何をやってきたのかとかを知ることで、なぜ今2列目の選手が多いのかが分かってきて、サッカーを観るのがすごくおもしろくなる。自分の好きな選手が辞めちゃったから観るのを止めるんじゃなくて、きっとそれを上回る選手や違うタイプの選手も出てくると思うから、変化を楽しみながら、日本のサッカーがどう変わるかを継続して見てみてほしい。ヨーロッパのクラブは100年間、皆が見続けているから、お爺さんとお父さん、息子の三世代で10番の系譜について話しができたりするわけじゃないですか。それが歴史ですよね。
立ち上げから20年、現状のJリーグは地元クラブ愛を持った人がまだまだ少ない。そもそも都会のクラブは、住んでいる人々の地元意識が薄いからなかなか醸成されない。私は松本出身で東京在住ですけれど、やっぱり松本山雅のサポーターです。FC東京のファンになるかって言ったらならないんですよね。東京にいるサッカー好きな新潟の人も、自分はアルビレックスサポだと言っていました。そういう風に思ってもらえているクラブは成功しています。新潟も一時期より減ったとは言っても定着していますよね。岡山とか甲府、松本もお客さんが入っている。逆にマリノスみたいに年俸を大盤振る舞いして毎年大赤字を出しているチームが意外と厳しい。次のシーズンからJ3もできますけど、現状では名前が変わっただけのJFLになってしまう可能性が高そうですね。プロ契約が5人いるだけで、あとは皆仕事しながらがんばってみたいな状況ですから。そういう環境も何とか変えていきたいんですが…。

サッカージャーナリストという仕事

サッカージャーナリストの仕事をこの先何十年も続けられる見通しとか自信は今も全然ないです。これまでも「次の仕事がちゃんと来るかな?」「次のワールドカップは取材に行けるだろうか?」と不安を抱きつつ、仕事を続けてきました。ただ、そういう日々の積み重ねが一番力になるんです。振り返ってみたら「あーもう20年近くやってるんだ」みたいな感じですからね。フリーになって間もない96年当時は、日韓W杯が決まって、02年にはIDをもらって取材できるようになることを目標にして頑張っていました。そのためにも実績を作らなきゃと必死でした。当時の試合後の取材は、三浦知良とか中山雅史、井原正巳とか有名選手に、私より10歳上ぐらいの先輩記者たちが囲んでインタビューをしていたんです。私はその後ろで聞いているだけで何も話しができない。「今日もしゃべらないで終わった…」という日が続いて、取材しているなんて言える状態じゃありませんでした。それで、いまの自分が普通に話ができるとしたら、アマチュアの子だと思って動き始めたら、高校サッカーで若いタレントをいっぱい見つけたんです。「もしかしてこの子たちを追っかけていたら、2002年にはちょうど世代的にくるかも」みたいな色気も出てきて…(笑)。ユース代表を観に行くうちに、俊輔の他にも明神や柳沢とも話すようになって、その世代に詳しくなっていきました。そしてトルシエが監督になった時、その世代をごっそり中心に据えましたよね。それで“流れに乗っている”みたいな状況になり、このまま見続けていたら結構おもしろいことになるかもと思って取材を続け、今に至ります。
「ジャーナリスト」と「ライター」というふたつの呼び方があると思うんですけど、私はオピニオンを言う方でジャーナリスト寄りだとは思っています。でも、選手のルポものを書く時はその選手を尊重して書くのでライターでもある。オピニオンを全然言わない書き手は結構いるんです。特定の選手にくっついて代弁者のような動きをしている人が。個人的にそういうのはあまり好みません。仕事をして、試合や練習を見続けていれば、色々あるじゃないですか、良くするためのことや気になることが。サッカーが好きでこの仕事をしているわけですから、日本サッカー界がもっと良くなって最終的に強くなってほしいわけで、そうしたらサッカー選手の給料も上がるし、ライターの仕事も増えるし。そうなるための意見があれば言うべきだと思うし、選手も意見やアイディアを持っていてほしい。それが役目だとも思うんです、近くにいる人間の。

日本のサッカーが良くなるためにすべきいくつかのこと

ここ最近、ザックジャパンが不調ですけれど、もしこのままW杯で惨敗した日には…。だから来年はサッカー界全体にとって厳しい年。消費税が上がるのであれば、さらに可処分所得も減るわけですよね。甲府の海野会長が言っていましたけど、震災以降は可処分所得が減って、山梨県の会社は7、8割赤字。スポンサーを必死にかき集めてるって。だから、代表の結果というのは本当に大きな影響を及ぼす。彼らには自分たちが置かれた立場を理解したうえで、勝つことを第一に考えてほしいですね。ウルグアイ戦の後のコメントを整理していたら、皆言っていることがばらばらで、これはまずいと思いました。今までやってきたように主導権を握ってプレスを前からかけ、ボールを取っていく理想のサッカーを貫きたいという選手がいる一方で、引いて守る時間帯も必要だという選手もいる。そんな中、内田が「日本は正直、そんなに強くない。勝てるなら自分たちのスタイルとかはどうでもいい。南アで俺は外されたけど、勝てるんだったらそれでも構わない」と現実的な発言をしたのには驚きました。さすがチャンピオンズリーグベスト4を経験してきた人の考えは違うなと頼もしく感じましたね。
日本がワールドカップで優勝するために本当に何が必要かというのは、私自身もつねに考えていることです。例えば、海外組全員に、海外で感じたスピードの違いやフィジカルの違いとか、練習の違いでどんなことが変わったかとかをヒアリングして、それをフィードバックすることも一案でしょう。日本サッカー協会はそういうことをやっていなくて、経験の共有がなされていない気がします。本気で勝つためには、個人の力云々だけじゃなく、そういう情報と知識の蓄積は最低限集めなくてはいけないと思う。もしザック体制が終わって、このままザックのスタッフが帰っちゃったら、日本には何も残らない可能性も大いにある。新しい人がゼロからやっていくことになりますよね。だから蓄積を作っていかないといけない。私が黄金世代の本を書いたのも、そういう意識があったんです。高原や稲本や小野たちに、日本に何が足りないのかをインタビューをしていて、彼らの口から出てくるものがあれば、意味ある提言になると思ったんです。高原が言っていたことですごく印象深いのが、ヨーロッパに行って気づいたのは、自分と世界のトップとの間にとても大きな距離があるということ。だけど日本サッカー協会はずっと上ばかりを見ている。下からボトムアップするだけでも大変なところに、上ばかりを見て分析した結果をフィードバックされて、いきなりトップになれと言われてもできない。ドイツだけでももっと上手い人が五万といて、一つ上がるだけでも大変なんだ、という話しでした。サッカー協会自体、まだまだ地に足がついていないところがあるように感じます。優勝したスペインを分析するんじゃなくて、色んなパターンで勝ってきたベスト8の国々を検討するほうが日本にとっては身近なテーマといえるかもしれない。確かに日本はこの20年間で劇的に成長しましたけど、もっと成長したいんだったら、もっとやらないと。そういうことを私たちジャーナリストがもっと提言していくべきですよね。一方、国内のクラブ、Jリーグがやるべきこともたくさんあると思う。そういうことを毎日、毎日考えています。

サッカーにまつわる夢と希望

夢はもちろん代表がW杯の決勝まで行くことですね。いつも1次リーグ敗退とか、早めに仕事を切り上げることばかりですから(笑)。本当のW杯は決勝トーナメントから始まるのに。前回のW杯も日本が負けた後の試合を観るとやっぱりレベルが高いんですよ。コンフェデもそうで、日本は蚊帳の外という感じだった。何とか6試合、7試合と戦って欲しい。そうやって勝つことを覚えないと強くならないと思うんです。大きな大会で本当に勝つ国は最初から7試合戦うつもりで行っているわけですよね。出場停止は出るし、怪我人も出るし、調整もある。本田がいなくなったから駄目という状況じゃなくて、そこで香川や柿谷がトップ下に入って、違ったサッカーができるようじゃないと無理だと思う。優勝は私が生きているうちに観られるのかわかりませんね。2020年代にベスト8はいけるかな…。そうすると優勝は、30年、40年代か…。死んでるかもしれないですね(笑)

元川悦子が選んだベスト11

ベストイレブン

Jリーグ発足後20年間のベストイレブンにしました。ボランチの稲本は2002年前後の輝きから選出しています。括弧内は控えの選手ですが、書ききれなかった長谷部や福西、小笠原あたりもいますよね…。右サイドバックの内田篤人は、日本人で初めて欧州CL4強入りした実力を無視できません。
 
フォーメーション:4−2−3−1
監督:岡田武史
 
FW:三浦知良(中山雅史/高原直泰)
MF:香川真司(森島寛晃)/本田圭佑(中田英寿)/中村俊輔(岡崎慎司)/遠藤保仁(名波浩)/稲本潤一(小野伸二)
DF:長友佑都/中澤佑二/松田直樹(田中マルクス闘莉王)/内田篤人(酒井宏樹)
GK:川口能活(楢崎正剛)

元川悦子 プロフィール

元川悦子(モトカワエツコ)

元川悦子プロフィール

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。最新刊『日本人初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま』(カンゼン)が発売中。

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