サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

1994年に創刊された『ワールドサッカーダイジェスト』は、ワールドサッカー誌の先駆け的存在。「誌面を通して皆さんに、少しでも至福の時間を感じてほしいんです」と熱っぽく語る編集長の手嶋さんは、一風変わった経歴の持ち主。世界一周の旅から雑誌業界にたどり着いていた。

「ドーハの悲劇」に観客席を転げ落ちる

大学を卒業して、新聞社に入社しました。最初の2年は整理部にいて、3年目から記者に。でも取材するのはスポーツじゃありません。「サツ回り」といって警察が扱う事件、事故を取材するんです。でも、ぼくは社会の厳しさに圧倒されて打ちのめされてしまった。「このままじゃダメだ。未熟な自分を鍛え直そう」、そう思って新聞社をやめたんです。1993年夏のことでした。
仕事をやめたぼくは、ドーハに行きました。アメリカW杯最終予選を観に行ったんです。偶然にも日本代表と同じホテルに泊まって、バスに乗ってホテルとスタジアムを往復する。そんな日々の中で、ぼくは悲願のW杯初出場に突き進む選手のような気持ちになっていました。ですからイラクとの最終戦のロスタイム、まさかの失点でアメリカへの道が閉ざされたときは、頭が真っ白になりました。目の前でショートコーナーが始まり、カズがかわされ、あのクロスが上がったんです。ボールが日本ゴールに吸い込まれた瞬間、大げさではなく5段くらいスタンドをずり落ちていました。
ドーハの悲劇によって、ぼくはサッカーの凄さ、怖さ、奥深さを痛感しました。元々、サッカーが好きでしたが、あの体験でますますサッカーの虜になってしまったんです。

W杯決勝のチケットを抱いて眠った夜

ドーハの悲劇を目の当たりにしたぼくは、翌年の春、本格的に「修練の旅」に出ました。1年間、日本に帰らず、貧乏旅行をすることで自分を鍛え直そうと思ったんです。W杯が行なわれたアメリカはもちろん、ヨーロッパ各国、さらには南米にも足を運びました。あの1年で、ぼくは150試合くらいサッカーを観ました。サッカーが目的ではなかったのに、気がつけばサッカーばかり観ていました。向こうの雑誌で各国リーグの日程を調べて、この試合が観たいと思ったところに向かう。気がつけば、サッカーが旅の推進力になっていました。
いろんな思い出があります。ブラジル対イタリアという夢の対決となったアメリカW杯決勝のチケットを手に入れ、それを胸に抱いて眠ったこと。サンパウロの安宿で出会った人々と、人生について語り合ったこと。観戦した150試合の中で強烈な印象が残っているのは、ミラノのサンシーロで観たイタリア・スーパーカップですね。ミラン対サンプドリア。ミランにはフリットがいて、サンプドリアにはマンチーニやミハイロビッチがいた。世界最高峰のスターたちとサンシーロの素晴らしい雰囲気に圧倒されました。
1年間の旅を終えたぼくは、日本に帰って就職するどころか、また旅立ちました。行き先はイタリア。あのサンシーロの雰囲気が忘れられず、腰を据えてサッカーを観ることにしたんです。

イタリア人のサッカー観に魅了される

イタリアではミラノに住みながらスタジアムに足を運び、イタリア語を学び、さらには物理や数学といった高校で学んだ教科の復習に精を出しました。1年間の旅を終えても、未熟な自分はもっと学ばなければいけない、そう思っていたんです。
訪れた多くの国の中でイタリアを選んだのは、親切で率直なイタリア人にシンパシーを感じたし、何よりもスタジアムの雰囲気が病みつきになってしまったから。伝統国では「サポーターが選手を育てる」といいますが、イタリアほどそのことを感じられた国はなかったからです。サッカーを愛し、知り尽くした人々が、いいプレーには拍手喝采を、悪いプレーにはブーイングを浴びせる。鳥肌が立つような雰囲気なんです。
ミラノでのぼくは、よく草サッカーをしていました。イタリア人の勝負へのこだわりは凄くて、よく怒鳴られました。ゴールの枠がないから、入った、入ってないで大の大人が子どものように揉める。でも試合中はケンカ腰なのに、試合が終わると握手をして「じゃ、また来週」。彼らは引きずらないんです。
勝負にこだわらなければ、スポーツをしても面白くない。こだわって、こだわって、こだわり抜かなければ面白くない。それがイタリア人の言ってみれば信念です。だから傍目には滑稽なほど真剣になる。存分に勝負に徹して戦い、勝ちか引き分けか負けという結果が出たら、それはそれ。イタリア人は結果至上主義といわれますが、勝ちにこだわる過程を心底愛しているのだと思います。そういうイタリア人の精神を、ぼくは好きになってしまったんです。

雑誌を通じて至福のときを…

イタリアで4年暮らしたぼくは1999年、日本に帰りました。帰国して「ワールドサッカーダイジェスト」に加わり、いま編集長を務めています。
この雑誌の編集長として心掛けているのは、まずはサッカーや雑誌そのものを楽しんでほしいということ。戦術論や批評、インタビューなど、様々な切り口の記事を載せていますが、楽しんでいただくという姿勢は忘れないようにしています。読者の方々から「面白かった」、「勉強になった」など有り難い声を頂きますが、何より嬉しかったのは、ある読者が書いてくれた「風呂に浸かりながらワールドサッカーダイジェストを読むのは至福のひとときだ」という言葉。風呂とセットになっての至福とはいえ、自分たちが作る雑誌がだれかを幸せにしている、その実感は何物にも代えがたいものです。
そういえばイタリアにいたころ、ユベントスがキーパーから始まってフィールドプレイヤー10人全員が触ってゴールを決める、という貴重なシーンを目撃しました。だれもが素晴らしい仕事をして、その作品が大観衆を幸せにする。これは理想かもしれませんが、そういう仕事をしていきたいと考えています。

手嶋真彦が選んだベスト11

取材で印象に残った11人

仕事柄、試合を取材したり、有名選手にインタビューしたりします。その中で印象に残った監督と選手でチームを作りました。例えばアンチェロッティ監督は「S級カルチョ講座」という連載で10年近くお世話になりましたが、その語り口からサッカーへの情熱が伝わってくるんです。指導者としてはもちろん、人間としても素晴らしい方でした。強烈なインパクトがあったのはガットゥーゾ。2007年にロングインタビューをしたとき、その度量の大きさに圧倒されました。初対面のぼくに、素の自分をさらけ出すんですから。足が動かなくなっても、なぜ走り続けられるのか。その驚異の精神力について徹底的に訊いたんですが、そのインタビューは嬉しいことに読者の方々から物凄く反響がありました。ちなみに括弧内の所属先は、その選手が印象に残ったときの所属チームです。

手嶋真彦 プロフィール

手嶋真彦(テジマ マサヒコ)

手嶋真彦プロフィール

手嶋真彦(テジマ マサヒコ)
1967年、東京都生まれ。小学生時代、近所のサッカー教室でサッカーを始め、1982年スペイン・ワールドカップのイタリア対ブラジル戦を観て、この競技の素晴らしさに目覚める。当時はブラジルのファルカンに憧れていた。1999年、『ワールドサッカーダイジェスト』編集部に加わり、2009年から編集長に。

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