サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

92年の清水エスパルス加入以来、“サッカー王国”のチームの中心としてエスパルス一筋に活躍。Jリーグ最初の新人王獲得者でもある。引退後、解説者と指導者の道を歩んできた澤登が、選手目線から解放されて見えてきたこととは何か。“プロ”サッカー選手の生き様について伺った。

プロフェッショナルなサッカー選手であるために

2005年に引退して今年(2013年)で8年になりました。選手から指導者に立場が変わり、すっかり指導者目線でゲームを見るようになりました。ゲームを見ていて、「もっとこういう練習をやったほうがいいな」とか、選手時代とは頭の発想や見方がだいぶ変わってきています。引退したばかりの頃は、踏ん切りはついていたはずなんですが、解説の仕事をしていても、なかなか選手目線が抜けなかった。仕事をしていく中で徐々に変わっていきましたが、これは選手生活が終わってみないと分からなかったことですね。
 
与えられたものに対して、練習をして試合で力を発揮すればいいという選手時代には、絶対に持てない目線です。選手は自分が生き抜くためにどうするかということしか考えていません。正直なことを言えば、周りのことまで構っていられないんです。熾烈なポジション争いがあって、チーム内の競争に勝たなければ、まず試合に出られない。試合に出られなければ、稼げない。プロ=お金ですから、強い気持ちを持ってやり続けない限りは、長くプロ生活はできないと思います。すぐにクビになる商売のひとつですからね(笑)。そういう意味では、選手は個人の力をまず鍛えなくてはいけません。自分のストロングポイントを伸ばす、あるいはウィークポイントを改善する。ストロングポイントに関しては、それをさらにどう連動させていくかも大切。僕は体が大きくないので、大きな選手に勝つための筋トレや、短距離スピードの持続力や運動量をすごく強化しました。つまり、しっかりと自分で自分を分析していないと、生き残れないわけです。ただ単に、監督が与えたメニューをこなしているだけでは絶対にだめ。練習の意図を汲み取りながらやらなければいけないし、監督が求めるものを自分の良さを消さずに出せるかが勝負だと思います。「俺はこうだから」という選手は、たぶんすぐにクビになりますね。自分自身指導者になってよくわかりました。でも、人間性のようなものは、小学校やジュニアユース時代までで多くは決まってしまいます。僕は大学で教えているのですが、大学生になってからではそこを改善できない。いくらテクニックがあっても、プロの世界に入ればすぐに潰れるでしょうね。例えば言葉遣いであったり、挨拶であったり、「自分」をしっかり持っている選手は、プロになっても成長します。

当たり前にサッカーでお金をもらえた時代からの気付き

僕自身は、大学3年生の時にJリーグができたこともあって、卒業してすぐにプロに入ることができました。タイミング的には本当に素晴らしい時に入れました。就職活動も一切せず(笑)レールも引かれていて、良い時代に生まれたなと(笑)。いろいろオファーをいただいたんですが、自然に清水エスパルスに入っていました。僕がOKも出してないのに、新聞に「内定」と出ていましたからね。いやー、怖い! と思いました。まだ契約の話をしている段階で内定が出ちゃいましたから。大学進学の時には、まだJリーグ開幕は見えていなくて、当時あった日本サッカーリーグのどこかのチームで働きながらサッカーが続けられたらいいかな、とはずっと思っていました。もちろん読売クラブや日産を考えていましたし、もともと繋がりのあったヤマハ、現ジュビロがいちばん行きたいチームでした。いわゆるプロスポーツとしてのサッカー選手ではなくても、サッカーは続けていこうと思っていたんです。日本にプロサッカーができる未来なんて、全然考えていませんでした。ただサッカーができればいいかなというぐらい。プロになった時も、当時はサッカー選手という存在や仕事をそれほど深く考えていなくて、サッカーをやってお金をもらえるなんてという気楽な考えでした。給料も倍々ゲームで上がって、「こんなもんなんだ」と思ってしまっていました。
 
それが当然のことじゃないと気づいたのは、経営危機でエスパルスが消滅するという話しが上がった時です。結婚もしていて、家族を養っていかなければいけない中で、どこかに移籍しなければいけないと思っていました。ところが、サポーターの方々にも、署名活動などでたくさん助けていただいて存続することになった。そういう経緯もあって、給料はかなり下がりましたが、残らなければいけないと思っていました。他から、「これだけの金額を出します」と言われて、「行きたいかも…」と頭をよぎったこともありましたけど、今振り返っても残ってよかった。
 
地元愛もエスパルス愛もありました。あれだけ自分のことを大事にしてくれたクラブを裏切るわけにはいかなかった。2003年シーズンには試合に出してもらえない時期があり、その時に「あ、俺はもうここで骨を埋めよう」と思って、契約の時に伝えました。サッカー人生で、その頃が一番苦しかったかも知れません。自分の中で納得できて落とされているのなら分かるんですよ。当時は「コンディションが良いのに、何で落とされるんだろう」と思っていましたから。もちろん、監督が若手を使いたいというのがあったのはわかっていました。指揮官がそういう考えであれば、しょうがないといえばしょうがない。僕らはある意味商品ですから、品物を新しいものに変えていきたいと言われれば、仕方のないこともある。割り切りながらも、サッカーとは関係のない知人の会社社長から言われた、「腐らずに一生懸命にやること。必ずそういうのは見られているんだよ」という言葉が僕の励みになってくれていました。人間、必ず良い時もあれば悪い時もあります。悪い時にどうやってそこを乗り越えられるか。そこで挫けてしまったら終わりですし、「なにくそ」と思えたのがよかった。それが自分の性格でもありましたから。

共にプレーした外国人選手たちとリーダーシップ

現役時代、オールスターでピクシーとレオナルドと同じチームでプレーしたんです。その時思ったのは、このふたりがいたら本当に楽だなと。苦しい時に預けて動けばパスが出てくるし、自分が動いた時に合わせてスッと動いてくれる。本当によく見てくれているんですよ。このふたりがいたら簡単にJリーグが制覇できたんじゃないかなー。もうひとり、「こいつすげぇ」と思ったのがエムボマ。僕がスルーパスを出した時に、ちょっと強く蹴りすぎてしまったんです。ところが、エムボマはそれを普通にトラップしていました。「え?」と思っていたら、そのままシュートを打っていました。「嘘でしょ!?」って。僕の気持ちとしては、ピッタリの倍ぐらいの強さで出してしまった感じが、まさかのピッタリ(笑)。こんなに速いんだという衝撃がありました。Jリーグ発足からある時期までは、すごい実績を持った外国人選手たちがたくさんいました。レオナルドは、当時ブラジル代表でしたよね。本当にすごかった。その後もブラジル代表キャプテンのドゥンガも来た。ただこの男は、こんなに汚いやつ中々いないというくらいズルい選手でした。あっちから散々やっておいて、頭にきて後ろからガーンと行くと、やたら文句を言ってくる。ドゥンガは足が遅かったんですが、それを自覚していて、ポジショニングの時に最短距離をうまく走ってくるんですよ。スペースに素早く入りながら完全にすき間を埋めるんです。あと、周りをすごく上手に動かしていました。ドゥンガが言えば、例えば守備があまり得意ではなかった藤田俊哉や名波浩も、従わざるを得なくてきっちりやるんですよ(笑)。周りを動かして、自分が動く幅を小さくしていた。裏を返せば、ドゥンガを中心に動かないとそのチームが機能しづらくなるということでもあります。だから試合中すごく喧嘩していましたね。一方的にですけどね、ドゥンガが。そこまで言わなくてもいいんじゃないっていうぐらい(笑)。でもやっぱり、リーダーシップという意味では、そうじゃなきゃいけないんでしょうね。良いチームには、良いリーダーがいます。それが確実にチームの底上げにもなりますし、悪い時には喝を入れながら盛り上げていく。黙ってやっているチームは、良い時はいいけれど、悪い時にはどんどん悪くなっていきます。スター選手がいることよりも、確実なリーダーがいるかどうかが大事。喧嘩腰になってしまうのは良くないですけれど、まとめ役や叱咤激励する役割を担う選手は必ず必要です。今の代表にはそれがない気がしています。プラスマイナス両面あるかもしれませんが、例えば闘莉王はいいまとめ役になると思いますよ。そういう意味で、今まで見てきたサッカー選手で、「この人は素晴らしいリーダーだった」のは誰かと考えると、僕にとっては柱谷哲二さん。ちょっと練習が締まってないという時は、わざと身体で削りにくるんです。そうするとそこからキュッと締まる。闘将ですから言葉でのやり取りもすごいんですが、言葉というよりも態度。そういう人がいたからこそ、ラモスさんやカズさんたちのような強い個性が集まりながらも、当時の日本代表はうまくまとまっていたんだと思います。

誰しもがプロになれる時代のプロ選手を作るために

僕が教えている大学生は、プロを簡単に考えてしまっています。「プロになりたい」「いまのお前じゃなれるわけないだろ」と普通に言います。「甘く見るなよ」って。確かに今度J3ができて、“プロ”になれる可能性は高くなっているとはいえ、プロはプロだけど「稼げるプロにならなかったらプロじゃない」と僕は思っているんです。プロとして数万円の給料しかもらえず、アルバイトをしながらやっているのが現実だったりしますからね。それはプロじゃないと思うんですよ。普通にアルバイトをしている学生の方がお金を持ってますよ。だから、「プロになりたい」と言われたら、「その気持ちは大事にした方がいい。でも、プロになりたいなら、もっとやれることたくさんあるんじゃないの? 本当になりたいんだったら、練習の後に自主トレを自分でやってごらん。そのアイデアを出してあげるよ」と話すんです。
 
どうしても大学生の良い選手は関東に流れていきます。次に関西。そして関西にも行けない子たちが、うちのような東海地区の学校に流れてくる。それはJ2にもほとんど入れないぐらいの選手たちなのに、「プロになりたい」と簡単に言うわけです。「じゃあ、なってごらん」って(笑)。夢を持つのはすごく大事だけれど、それは自分が努力をしなかったら掴めません。まず自分の現段階の力がどれだけなのかを理解しているか、だと思います。そこからどう這い上がっていけるか。そのために指導をしています。

柿谷のオフ・ザ・ボールの動きを見よ

ブラジルW杯の対戦相手も決まりましたが、いま日本代表で期待しているのは柿谷です。彼はオフ・ザ・ボールの動きの質が非常に高い。最終ラインとの駆け引きで、彼はいつも裏を狙っています。例えば前田はポストプレーをしてから出ていくことで、若干遅れます。柿谷の場合は、ボランチやサイドハーフが持った瞬間に、スッと動くんです。だから出しやすいし、裏を取りやすい。今はなかなか点を取れなくてブレイク途中ですが、2014年はやってくれるはずです。そのために大切なのは、距離感だと思います。柿谷がワントップに入っている時に、もちろん本田もボールが欲しいから下がりますよね。その時のふたりの距離があり過ぎるんです。本田はできるだけ下がらずに我慢して、もう少し柿谷の近くでプレーすれば、柿谷へのスルーパスも活きる。逆に本田を囮に他からパスを供給すれば、背後や横のスペースが使えるようになってきて、柿谷のブレイクは間違いないと思います。

日本の指導者トップへ

現役時代は、日本代表に入るのがサッカー選手の夢だと思うのですが、正直僕はそこまで代表への思いはなかったんです。ただ、入ることがある種のステータスだったのは事実です。選手から指導者の立場になって、S級ライセンスも持っているので、最終的に目指すのはやっぱり代表の監督ですね。誰しもがやれるわけではない、選ばれた人間だけが就けるポジション。まずは目の前のことをこなしていく中で、最終的にそうなれたら最高ですね。あと10年、 54,5歳くらいでなっているといいですね。できればね、現場には65歳まではいたい。年金がもらえる年までは(笑)。

澤登正朗が選んだベスト11

こんな選手たちとやりたいベスト11

こういう選手がいたら自分がやりやすい選手たちで選びました。僕がセカンドストライカー役、柿谷を飛び越していく役目も出来ますし、下がり気味の中盤でゲームを作ってサイドを使いながら攻撃をしていくこともできますね。キャプテンはラモスさんで、ある意味問題児の闘莉王を押さえる役割も(笑)。
 
フォーメーション:4-2-3-1
監督:アーセン・ベンゲル
 
FW:柿谷曜一朗(セレッソ大阪)
MF:香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)/澤登正朗(清水エスパルス)/岡崎慎司(マインツ)/ラモス瑠偉(ヴェルディ川崎)/山口素弘(横浜FC)
DF:長友佑都(インテル)/田中マルクス闘莉王(名古屋グランパス)/井原正巳(浦和レッズ)/名良橋晃(湘南ベルマーレ)
GK:楢崎正剛(名古屋グランパス)

澤登正朗 プロフィール

澤登正朗(サワノボリ マサアキ)

澤登正朗プロフィール

澤登正朗(サッカー解説者  / 常葉大学浜松キャンパスサッカー部 監督)
東海大学卒業後、92年に清水エスパルスに入団、05年に現役を引退するまでエスパルス一筋で活躍、「ミスター・エスパルス」と称されていた。日本代表としても16試合に出場し3得点を挙げている。 引退後は、日本全国で主催するサッカースクール、イベントでの講師などを行う傍ら、サッカー解説者としても活躍。テレビ朝日系「報道ステーション」、静岡朝日テレビ「スポーツパラダイス」のレギュラー出演、その他テレビ等のサッカー解説を多数行っている。09年にハワイ州サッカー親善大使に就任。 13年には常葉大学浜松キャンパスサッカー部の監督に就任した。

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