サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

2013年、ひとりの日本人がイタリアセリエDのクラブチームの会長に就任したというニュースが流れた。1984年生まれ、なんと二十代で会長に就任した和歌山県出身の直川公俊。高校卒業後、大学に進学するもバッジョ、グアルディオラのいたブレシアに留学。その後世界のチームを渡り歩いた。特異な経歴を持った男は、どんなサッカー人生を歩んできたのだろうか。

会長になってチームに風を、街に活気を!

現在、シチリアのリカータという街のクラブ「リカータ・カルチョ」で会長をしています。リカータは人口約8万人の観光も特にない、サッカーしかない街です。いわゆる会長の仕事の他に、現役時代にイタリア、ブラジル、ポーランド、ルーマニア、フランス、カメルーンと世界中を回ってきたこともあり、繋がりのある色々な国から良い選手の情報が入ってくるので、移籍などにも協力をしています。会長になったのは、自分の担当でもあったエトオ選手のエージェントがリカータ出身で、「やってみないか」と声をかけてくれたことがきっかけでした。現在はセリエD(以下D)ですが、もともとセリエBにもいたことのあるチームで、現インテル監督のマッツァーリやミランとマンチェスターUでプレーしていたマッシモ・タイービという選手も在籍していたことがあります。このところ少々停滞気味で、ファンと距離ができてしまい、新しい風を入れて街を活性化させたいという思いで、僕にオファーをくれました。街を盛り上げたいという気持ちは、リカータ・カルチョファンの市長さんともちゃんと話しをしました。イタリアは5部でも市がサポートしてくれるんですよ。
 
日本人でリカータの運営に関わっている人は他にはいません。でも、日本人の選手が来やすくなったり、チームを運営したいという人が出てきたりしたら、もっとおもしろくなると思うんです。今は目線がアジアに向きがちですけど、ヨーロッパの2部以下でもレベルの高いチームはあるので、挑戦できる場が増えていくといいですよね。
 

バッジョとグアルディオラとプレーできた幸福な留学

小さい時に見ていたセリエAで海外選手に憧れ始め、イタリアに駐在していた親戚に自分が出た高校サッカー選手権のビデオを送って、チームを紹介してもらったことが海外への始まりでした。たまたまそこがロベルト・バッジョとグアルディオラのいたブレシアだったんです。部屋にポスターを貼っていた選手がいるチームでプレーできるなんて! とうれしくて、すぐ行くことに決めました。日本でやることを考えていなかったわけではなく、たまたま海外へ挑戦する機会が最初にあったという感じ。言葉も分からず、苦労もいろいろありましたけど、おかげで人間的に成長できたと思います。ブレシアに行く前の海外経験は、高校時代に試合や合宿で韓国に行ったことがあるだけ。だからイタリア行きはチャレンジでした。でも若かったこともあり、「できるだろう」と変な自信はありましたね。ただ、行ってみたらその自信は最初の20分で挫かれることになるのですが(笑)。最初の環境が高いレベルだったことはよかったと思っています。そこがそれからの自分の基準になったので、他のどこに行っても自信を持ってプレーできるようになりました。
 
ブレシアは短期留学的に練習に参加させてもらい、その時のエージェントにブラジルのチームを紹介してもらいました。まだブレシアでやるだけの力がなかったので、まずはブラジルでトレーニングしてからということでした。その後もいろいろな国を渡り歩きましたが、いろいろな土地に住むのは楽しかった。もともと海外に住みたいとも思っていましたし、いろいろな国に友人ができたら、人生が豊になると思いませんか? サッカーだけじゃなく、そういう経験もしたかったんです。結局、ポーランドリーグでの初めての日本人選手、カメルーンリーグ初めての日本人選手、アフリカ選手権に出場した初めての日本人選手にもなりました。
 
現地ではプロとしてプレーをしていましたから、日本のJリーガーと同じです。もちろん観客も入りますし、メディアからのプレッシャーもありました。イタリアやポーランドではぶつかり合いが多くて、逃げていたらチームメイトや監督、ファンからも信頼されません。日本ではあまりないことじゃないですか? 徐々に1対1でやり合えるように、プレースタイルは変わっていきました。ただそうしたサッカーのスタイルを合わせていくストレスよりも、文化や言葉が違うことへのストレスが大きかったのが正直なところ。例えば、国によってファンとの関わり合い方も違います。イタリアではファンとの距離が近く、話しかけられたら常にコミュニケーションを取らないとダメ。アフリカは、ファンがどんどん近づいてきて、関わろうとしてくるのですが、あえて距離を置いた方がいい。そうしないと家まで押し掛けてきたりして、プライベートがなくなってしまうんです。貧しいアフリカではサッカーが成り上がりの手段としてあって、成功した人はものすごい憧れの対象なんです。

助っ人外国人としての自分

そもそもサッカーを始めたのは10歳、小学校4年生の時。親に兄と一緒に地元のサッカー教室に入れられてからでした。兄の方がサッカーに熱が入って、付き合わされていくうちに僕もうまくなり、サッカーが好きになっていました。子どもの頃は「サッカー楽しい!」という感じでしたが、海外に行ってからは楽しさよりも「勝たないといかん」という気持ちの方が強くなっていきました。助っ人外国人として行っている立場としては、勝たないといけない。活躍しなかったら「何しに来ているの?」と思われてしまいますし、新聞にも「旅行に来ているのか」なんて書かれてしまいます。
 
サッカーをやっていると、できないこと、いわゆる壁がどんどん出てくるじゃないですか。それを乗り越えるのが楽しみでしたね。言葉や人間関係の問題を乗り越えて、サポーターやチームメイトから認められた時は嬉しかった。プロとしての期間は8年間で、怪我との戦いの日々。もうこれは無理だというぐらいの足首の怪我をしたときに引退を決めました。もっと続けたかったんですが、思うようなプレーができなくなっていたんです。
 

5部のチームでも5000人の観客が来る

今は会長として経営者目線で、「こういうチームにしていきたい」ということは言いますが、具体的にどういうスタイルにしていくかは、現場の監督やスポーツディレクターが決めていきます。例えばバルセロナのスタイルをやりたくても、それを実行できる選手がいないと無理ですよね。資金も限りがあるので、やれる中でやっているというのが現状。
 
会長は、サッカー経験者でも未経験者でもどちらでもなることができます。僕の場合、選手だった経験があるので、あまり現場には口を出さないようにしています。いろいろ言われたら鬱陶しいじゃないですか、当時そう思っていたように(笑)。でも、プレーすることと経営は全く別。うまくバランスを取らないと大変なことになるでしょうね。セリエDは5部に相当しますが、4~5,000人の観客が来ます。サポーターやメディアへの対応も必要です。

DからCへの壁

チームとしての目標は、上のリーグに上がること。でも、実際は難しい。良い選手をとるには資金が必要。選手のモチベーションを保つのも大変です。セリエDはいくつかの地域グループで別れていて、僕らはレッジョ・ディ・カラブリアというDでも一番レベルの高いグループにいます。18チームあり、優勝チームがCに上がるわけですが、それはとても難しいこと。うちには、セリエBやC、ベルギー2部だった選手たちがいますが、それでも勝てません。元Jリーガーと日本人の若い選手もひとりずついます。Dでも1億のスポンサーがついているチームもあるんですよ。Dであれば、選手は住居と食事は与えられて、生活していけるだけの給料ももらい、そこに勝利給なども足されていきます。日本ではあり得ないことですが、それぐらいサッカーが熱いということですね。
 
Dには中堅の選手がいなくて、若手か、AかBから降りてきた選手ばかりです。若い選手にとってはステップアップする場所になります。ただ、日本人選手がDから入ってAに行くのは現実的に相当難しい。というのも、日本人は規定でセリエC、Bでプレーできないからなんです。なので、行くとしたらいきなりDからAへと行かなくちゃいけないという、とんでもないルートになってしまう。うちのチームに所属していた(2013-2014年)元Jリーガーの犬塚友輔は、アジアに行く道もあったんですが、イタリアサッカーが好きで、「Aでなくてもイタリアに住みながらサッカーをやりたい」という思いでプレーしています。
 
今後、日本でも海外への道は増えていくと思います。10年前、僕が初めて海外に行った時は、ブラジルぐらいしか選択肢がなかった。今では、名前をどうにか知っているような国にもサッカーリーグがあることが知られています。それに、10年前は日本との連絡手段が手紙か国際電話だけでしたが、今はe-mailがあってFacebookがあってLINEがある。そういう意味でのストレスもないでしょうし、サッカーに集中できる環境ができていると思います。なので、選手たちにはどんどん海外へ出て行ってほしい。マンU、インテル、ミランにも日本人選手がいて、日本人サッカー選手の認知度が高くなってきている今は、チャンスかもしれませんよ。
一方でJリーグも、海外と比べても遜色のないくらいファンのいるチームもあるし、スタジアムも運営も良い、素晴らしいリーグだと思います。いずれ香川選手や本田選手、長友選手が戻ってきたら、すごいことになる。だから国内でプレーするのもひとつ素晴らしいことだと思います。

チャンピオンズリーグで優勝する日本人選手を!

夢は、チャンビオンズリーグを穫ってくれる選手が出てくることです。僕はカメルーンでプレーしていましたが、カメルーン人ではエトオが、コートジボワールはドログバが獲っています。日本では、内田選手のベスト4が最高。そして、その延長線上にあるのがW杯優勝です。やっぱり威張りたいんですよ。いくら日本人にうまい選手が増えたと言っても「まだチャンピオンズリーグで勝った選手おらんやろ。ワールドカップ穫ってないやろ」みたいに返されてしまうので(笑)。
 
会長の夢としては、やっぱりセリエCに上がりたいですね。そして、後々までサポーターに「あの会長はよかったな」「チームのために尽くしてくれた」という評価を得られるような会長でありたいと思っています。そのためには、チームを強くする運営はもちろん、チームとファンのコミュニケーションを欠かさないことが大切です。Cになるともっと規模が大きくなるので、ファンとの距離が離れていかないように、まず距離の近い地元のファンとしっかり連携を取っていきたいと思っています。
 

直川公俊が選んだベスト11

一緒にプレーをしたことのあるヤバい選手のベストイレブン

アフリカ勢はフォエと言う選手がなくなったときに行った親善試合で戦った人たちが入っています。ヴィヴィアーノはブレシア時代にルームメイトでした。前に大きいルカがいて、速いエトオもいる。グラウディオラがパスをさばき、バッジョは2列目からどんどん飛び出していける。バリエーション豊富だと思います。カルロ・マッツォーネ監督は、僕のブレシア時代の監督だった人。いい監督でバッジョもこの人を慕っていました。
会長になって、選手時代に思っていたいい監督感は変わりましたね。やっぱり勝ってくれないと意味がない(笑)。選手時代は選んでくれればいい監督なんですけれどね。会長になると、まずは「勝ち」になってしまいます。

直川公俊 プロフィール

直川公俊(ノウガワ キミトシ)

直川公俊プロフィール

1984年和歌山県生まれ。立正大淞南高校時代に全国高校サッカー選手権に出場。その後は単身、当時ロベルト・バッジョやグアルディオラが在籍していたブレシアに短期留学したことを皮切りに、ブラジルなど様々な国のリーグに移籍。2007年に所属したカメルーン1部リーグのキャノン・ヤウンデでは、日本人で初めてアフリカ選手権に出場。現役引退後はイタリアのサッカー組織に所属してチャリティーマッチやサッカーイベントを企画・開催する仕事に携わり、2013年、セリエDリカータ・カルチョの会長に就任。

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