サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

ビビットなカラーやグラフィックセンスを使い、今までにないスポーツウェアとして注目を浴びている、フットサルやサッカーとファッションを融合したアパレルブランド「SVOLME」(スヴォルメ)。設立から10年も経たず、アビスパ福岡や町田ゼルビアなどのユニホームサプライヤーも務める彼らの代表渡邉祐二は、サッカーをどう楽しみ、なぜサッカーウェアブランドを作るに至ったのだろうか。

きつくはなかったが、楽しさも知らなかった

小学校~大学までずっと体育会でサッカーをやっていたのですが、「本当の楽しさ」を失ってしまったことが時代時代でありました。小学生の時は、「楽しさを失う」というより、「楽しさがわからない」という感覚だったんですが、中学生になると自分たちで練習を考えて、自由にやれるようになって一気に楽しくなりました。東京都大会で優勝して全国大会に行くこともでき、推薦で国学院久我山高校に入りました。今でこそ名門扱いの国学院久我山ですが、当時はそうではなく、練習も思っていたのと違って…。きつくはなかったんですが、楽しめていませんでした。2年間は続けてはいましたが、腐っていましたね。2年生の時、先輩が都立八王子東高校という東大にも行くような頭のいい高校に地区大会で負けてしまいまい、そこで、その後20年コーチをやることになる李済華(リ・ジェファ)というコーチが就任しました。彼のサッカー観にどっぷりはまり、何をやるにしても楽しくなった僕は、彼のもと「もう1回頑張ってみよう」と思い直します。目標だった選手権には出られなかったんですが、後輩たちはそこから全国の常連校になっていきました。
腐っていた2年間は、当時の僕の理解力がなかったのかも知れないのですが、相手がいるスポーツであるサッカーを、記号のように「1をやったら2をして、さらに3をしろ」のように、相手を想定せず頭で考えただけの練習をやっていました。“当てて、落として、3人目を走らせる”という動きは、やり方次第ではとても有効だと思うのですが、敵がいないスペースで、1時間くらい練習していたので、なかなか効果が実感できなかったんです。一方で李コーチのもとでは徹底的に基礎練をやらされました。インサイドやインステップの練習から、ボールの持ち方、相手との距離感、対峙する角度などを教わりましたね。それが今までの僕らの考え方と全然違った。今では当たり前ですけれど、トラップは敵から遠い方の足でするとか。そうしたサッカーの見方が変わるような、ちょっとしたことがおもしろかった。あと、練習はアップからダウンまでできっかり2時間。今では2時間も当たり前なやり方ですが、当時強豪校は「4時間練習している」と聞いていたこともあり、驚きました。走りのトレーニングもほぼなくて、その代わりに2対2とかで、チャレンジ&カバーをひたすらやって体力をつけていました。

人生においても、ただやっているというのが嫌い

ポジションはいろいろやりましたが、主にボランチかサイドバックでした。自分が試合をコントロールしている瞬間が楽しかったですね。点をたくさん獲れば試合には勝てるわけですけど、ボランチなら、点を獲るプレーではなく、相手のキーマンにプレーをさせないとか、高い位置からディフェンスをするとか、試合全体のペースを自分が握ることで失点をせずに勝つことだったり、サイドバックでも、ラインコントロールや攻撃参加、攻撃の仕掛けをサイドから始めるとか、自分が全体のコントロールをしていると感じる瞬間があったんです。と言いながら、そうそううまくいかないんですけど(笑)。あと、ちょっとマリーシア的なところが自分にはあるかもしれません(笑)。当時は勝つということが何よりも大事だと思ってましたから。人生においても、ただやっているというのが嫌いで、目標を設定したくなるんです。勝たなくてもコンセプトや目標があればいいのですが、学生の時までは勝ち=ゴールでしたから。李済華は、「全国優勝する」と1年目から言っていました。まだ出来ていませんが、インターハイ準優勝までは実現していますから、すごいですよね。

景品のウェアで、本当に着たいと思うものが少なかった

大学時代は1年の時から試合に出させてもらい、楽しかったのですが、自分の求める楽しみとどうも違ってきていました。それで、地元の友人たちと卒業後に草サッカーチームを作ったんです。その頃が、今までで一番サッカーが楽しかったなあ。F.C.VENGAというチームで、雑誌「サッカーマガジン」の大会で4年連続優勝したりもしました。草サッカーチームでサッカーをやりながらも、服飾の専門学校である文化服装学院に入学して、ファッションデザインの勉強を始めました。友だちは大学をスムーズに卒業して一流企業に就職していき、1年目でボーナスもたくさんもらっていたとき、私は大学で一年留年し、さらに卒業後専門学校にも1年行っていたので、「すでにかなり置いていかれている」と思っていて、「これはもういづれ自分で起業するしかない」「やるならサッカーのブランドをやりたい」と考えるようになりました。サッカーのブランドは、文化服装学院を卒業する頃から考えていました。というのも、大会で優勝してもらえる景品のウェアで、本当に着たいと思うものが少なかったんです。そう思って勉強をしていたら、「学生だったら社会を見ていないと追い越されるぞ」と知り合いのアパレルの社長に言われ、「そうですよね。働かせてください」「おう、じゃあ来い」となり、バイトとして働き始めました。いま思うと完璧に都合よく乗せられていますよね(笑)。
SVOLMEの設立は2006年。28歳の時です。もともと草サッカーチームで、Tシャツのブランド的なものを作っていて、手売りのみ2000円で販売していました。スタートは100枚ぐらいだったのが、最後の4年目には800枚が完売。その評判が、その後のきっかけにもなっています。そのブランドが「VOLUME」という名前で、今の会社の名前でもあります。登記をする際、「VOLUME」はすでに登録されていたので、サッカーに因もうと「SOCCER」と「VOLUME」をつなげて「SVOLME」という名前に。当時の他のサッカーブランドウェアは黒と紺、赤、青のようなベタなものしかなく、我々のようなピンクや蛍光色を取り入れたファッション性のあるサッカーウェアが少なかった。フットサルという競技が伸びてきたタイミングもあって、うまく提案できたと思いますし、「もっと手軽にサッカーを楽しむ」という感覚とウェアが土や砂で汚れないということが現代にフィットしたんでしょうね。いい服を着てフットサルをしても大丈夫という。

サッカーが文化になるには、日本という国は情報が多すぎる。

関東リーグを目指すフットサルチームと東京都リーグ1部でサッカーを続けていたんですが、年齢とともにサッカーに費やす時間が減り、目標が変わっていきました。30歳くらいまでは、学生時代の練習の貯金(体力)で何とかやりくりできていたのですが、練習時間が取れず、肉体の衰えと共にその貯金(体力)がなくなって、日々の試合がトレーニングを兼ねるという向き合い方になってしまっていました。かつての勝ちにこだわるようなサッカーではなく、まず自分が最大限に頑張ることが目標になり、フットサル関東リーグに昇格するには経営者をしながらでは、チームに迷惑がかかってしまう状況でした。チームは「仕事と家族の両立」がコンセプトだったんですが、バランスが取れなくなり離れることに。チームとしては地域ぐるみのお祭りに参加したり地域に密着していくことが増えましたが、自分はそういったイベントになかなか参加できなくなっていきました。地域からサポートも受けているので、考え方としては正しいですが、プレーヤーとしては継続するのが難しかったんです。
地域とともにというコンセプトで進んできたJリーグは、がんばっていますし、素晴らしいと思います。シンガポールにも店舗を出して、サプライヤーをやらしていただいていますが、他国のリーグと比べても「20年でよくここまで」と思います。歴史の違うヨーロッパには追いついてはいませんが、すぐ下のステップぐらいには来ています。ただ今後ここから「もう一段ステップアップするのは相当大変だ」とも思っています。サッカーが文化になるには、日本という国は情報が多すぎる。野球、相撲、卓球とかあまりにいろいろあって、純粋な娯楽であるディズニーランドと同じ土俵でサッカーが戦わなくちゃいけない可能性だってあるわけですから。
 

その地域に貢献することが大切だと思っている

現状提供しているチームにはそれぞれにライバルチームがいるわけですから、適切な距離感があると思っています。今はJ3の3チームにサプライしていますが、対戦となれば「どっちを応援するんだ」と言われるんですよ…。しかし、私たちは勝つかどうかでサポートの判断をしているわけではありません。ずっと続けるという気持ちでサポートしています。負けたら終わりじゃありません。その地域に貢献することが大切だと思っているので、勝っても負けても続けています。勝敗に興味がないかというとそんなことはありませんし、一喜一憂したいですけれど、負けてもその地域が盛り上がる力になれたらと思っています。
一番始めのサプライヤー契約は町田ゼルビアでした。2010年です。当時はJFLを含めて、サプライヤーは大手のスポーツブランド以外はやっていませんでした。自分は東京育ちで、FC町田というクラブチームに何回も負けたという因縁というか関係性もあり、「このチームに残って欲しい」という思いから、「せっかくなら近いところでサポートさせて頂きたい」と仲良くさせてもらっていた運営担当に聞いてみたら、一度プレゼンをさせてくれたんです。他にもJ2のアビスパ福岡やJ3のグルージャ盛岡にY.S.C.C.、Fリーグ(フットサル)のエスポラーダ北海道、セパタクロー日本代表のサプライヤーもやっています。僕らは「トップアスリートを応援したい」という思いがあります。J2やJ3が増えて、J2以下の環境は決して良くないかもしれないチームを僕らメーカーが協力できることといったら、大手との連携が難しいチームのサポートをすること。しかもただサポートするだけではなくて、一緒に考え、行動しながら、お互いに成長していくような関係として。ゼルビアとの取り組みも、初年度はすべて直接購入をしてもらっていたんですが、地域にも根付かせていくためにも、途中から弊社の取引先を通して購入してもらう形にしました。地元の店舗を通して購入してもらうことで、多少ですがお店にもメリットがあるような取組みをしています。管理費程度の金額ですが、それでもそこに問い合わせが来るというだけで、お店にとっては宣伝になるし、オフィシャルショップ的な扱いにもなる。そういうやり方ひとつにしても、アイデアを出して、地域にサッカーとチームが根付くような動きを目指しています。

ゴールではないけれど、将来的には青のユニフォームはやりたい。

世界の人が喜んでもらえるようなものをこれからも提案したい。やはり将来的には青のユニフォームをやりたいですね。ゴールがそこ、ということはないですが(笑)。
個人的にはここ1年ぐらい、サッカーの勉強がしたくなっています。監督をやってみたいんです。どういうトレーニングで、どういう結果を出させることができるのかとか考えるだけでワクワクして、サッカー観、哲学の会話をするのが楽しい。プレーしなくなったからもあるかも知れないですが、理想はベップ(ジョセップ・グラウディオラ)です。

渡邉 祐二が選んだベスト11

フリーキッカーベストイレブン

フリーキッカーベストイレブンというのを考えました。フリーキックを取ったら、11人とも「俺が蹴る!」と言い合うぐらいのベストイレブンです。個人的には、ミハイロヴィチかジュニーニョに蹴らせたいなー。監督はジーコで、「ドリブルで仕掛けろ。ファウルもらえって」と指示が出そう(笑)。
 

渡邉 祐二 プロフィール

渡邉 祐二(ワタナベ ユウジ)

渡邉 祐二プロフィール

1977年生7月21日生まれ。国学院久我山高校、国学院大学を卒業後、文化服装学院へ。小学生の頃からサッカーを始め、中学生の時に全国大会出場。高校では、名門国学院久我山高校サッカー部に入部。その後、大学、社会人とサッカーを続け、社会人サッカーでは「サッカーマガジン杯MVP」に輝くなど、20代前半まではサッカー浸けの毎日を送る。又、学生時代から好きだったファッションの世界へ進む為、大学を卒業後、文化服装学園に入学。その後アパレル会社で経験を積み、2006年、株式会社VOLUMEを設立。

ページの先頭へ