サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

静岡の名門・清水商業高校から名古屋グランパスエイトに加入したのが1993年。ワールドカップフランス大会の日本代表メンバーに選ばれたのが1998年。それから7クラブでプレーし、海外挑戦を終えたのが2011年。そして迎えた2014年、元日本代表・平野孝は日本サッカー発展のためにいくつもの顔を持って活動している。サッカー番組のMC、または解説者、ときには指導者、そしてあるときは日本プロサッカー選手会の事務局のスタッフとして。

「いつも番組は楽しいんですけど…」

2011年に現役を引退してからは、メディアの仕事と選手をサポートする仕事に加えてサッカー教室で子供たちに指導をしています。
メディアはサッカーの試合解説に加えて、2013年からはCS放送の「スカパー!」で放送されている「Jリーグマッチデーハイライト」という番組でMCを担当しています。毎週土曜日、日曜日に試合があるJリーグを取り上げる、毎週70分から90分の生放送番組です。選手をサポートする仕事というのは、日本プロサッカー選手会の事務局に籍を置いての活動のことです。肩書きでは執行役員となっていますが、なんでもやります。
(番組のMCとして楽しさを感じる瞬間?)MCの仕事は2年目ですが、まだ慣れないところが多いですね。いつも番組は楽しいんですけど、番組が終わってから反省することも多いです。でも、生放送ですし、その日に行われたJリーグの試合をすべてハイライトで振り返るので、「あまり引きずってもしょうがない!」と割り切っているところもあります(笑)。そのなかでいつも考えているのはメディアを通じて日本サッカー界をどうやって盛り上げていくか、ですね。Jリーグ元年に高校を卒業して、名古屋に加入してからというもの、Jリーグとともに成長してきました。Jリーグに育ててもらったといっても過言ではないですし、感謝の言葉しかありません。サッカーファンや視聴者の人たちにJリーグの楽しさ、面白さを知ってもらい、「サッカーって楽しいね」と一人でも多くの人に思ってもらいたいという一心で、番組には臨んでいます。

協会とリーグと選手のパイプ役として

(選手をサポートする仕事とは?)簡単に言うと、選手の環境を整えることですね。1日でも、1時間でも長く、プロを続けられることがプロ選手にとって大切なことなんです。夢をもってプロの世界に飛び込んで1年で終わってしまうこともある。悲しいけれど、そういう人もいる。でも、プロとしての立ち振る舞い、プロとしてのコンディション作り、プロとしてやるべきことをその選手が分かっていれば、プロ生活は持続できるんです。
選手会のスタッフとして行っている活動のうちの一つがクラブ訪問です。51クラブを4人で分担して、春と秋に2回、選手たちと話しをしています。選手が置かれている環境を把握することはとても大切です。時代の流れとともに少しずつ環境も変わっていきますから。例えば、日程です。以前よりも試合が増えて過密になりました。現場の声を聞くと「体がキツイ…」という声が少なからずあるんです。それをうまく緩和できるようなスケジュールを組んでもらうように、リーグやサッカー協会にお願いをします。あとはトライアウトの運営もしています。日程や会場を決めて、一人でも多くの人が現役を続けられる機会を設けています。
選手の立場は決して強くありません。むしろ契約社会に生きる立場で、強く言えないことも多くあります。ただ、プロとして本来自分の主張をしっかり述べるべきですし、自分自身で表現することが大切だと思います。ですが、実際にクラブ対一人の選手の構図になると、話し合うことは難しいのが現状です。そういうところに、うまくパイプ役として入って、お互いにとっていい状態を作り出すことが大事であると考えています。

アーセン・ベンゲルに言われたあの一言

(現役時代の一番の思い出は?)18年間のすべてが思い出ですね。プロ1年目のサテライトのときにプロのいろはを教えてもらったコーチもそうだし、アーセン・ベンゲル(現アーセナル監督)、岡田武史さん、カルロス・ケイロス、松田浩さん、それとアルディレスなど。常に良い指導者に恵まれて、レベルの高い選手とプレーできたことが一番の思い出です。
(エピソードですか?)のちにレアル・マドリーの監督やマンチェスター・ユナイテッドのコーチを務めたカルロス・ケイロス。当時、コンディションが良くなかったこともあり、満足のいくパフォーマンスができませんでした。そんなとき練習場に着いたら、僕のロッカーに英字新聞が貼ってあって、NBAスターのマイケル・ジョーダンが1日で50得点したという記事が貼ってありました。「なんだこれ?」と思っていたら、あとでケイロスに呼ばれて、「あの新聞見たか? 彼は40℃の高熱を出していたが、一人で50得点を取ったんだ。どんな状況に置かれたとしても、プロには責任があって、やるからには悪い中でもベストを尽くすんだ」と言われて「ハッ」としました。
あと、2000年に京都がJ1からJ2に降格したときです。クラブからは「残ってくれ」と言われていたんですが…自分のなかでは迷っていました。そのとき、ベンゲル(アーセナル)のところに行こうと突然思い立ったんです。一応、ファックスで連絡はしましたが、返答はありませんでした。クラブハウスに着いて、インターホンをならして、「平野です」とあいさつをしたら、突然現れたにもかからずアーセナルの練習に参加させてもらったんです。練習を始めてすぐ「お前の持ち味はなんだ? 突破がなくなっているぞ」と言われて「ハッ」としました。そのときの自分のプレーと言えば、ボールを失わない、奪われない、セーフティーにプレーすることを優先していて、リスクを冒すことを怖がっていました。ベンゲルは選手のストロングポイントを的確に見極め、うまく引き出してくれる監督です。ベンゲルとの出会いは、サッカー人生のターニングポイントになりました。

サッカー界に恩返し。W杯の決勝戦はスーツで

(これからの夢ですか?)日本サッカー、Jリーグがあったからこそ、現役引退後もサッカーに関わって仕事をすることができています。だからこそ、感謝の気持ちを持ってサッカー界に恩返しをしていきたいです。サッカーに携わる仕事であればやれることはすべてやっていきたい。Jリーグが発展することが日本サッカーの発展、成長につながっていくと信じ、日本代表がW杯で素晴らしい結果を残せるように微力ながら尽力していきたいです。W杯で日本代表が決勝の舞台に立つとき、いちサッカーファンとして、ネクタイを締め、スーツを着て観戦することを夢見ています。スタジアムは僕らにとって聖地ですから。

平野 孝が選んだベスト11

プロサッカー選手として尊敬できるベストイレブン

今まで一緒にプレーして、プロサッカー選手として尊敬できるベストイレブンを選びました。11人に共通しているのはサッカーをすごく大切に扱っているということです。普段の立ち振る舞い、練習に取り組む姿勢、ファンに対しての姿勢、試合に臨む姿勢、まさにプロです。そういう選手たちと出会えたから、18年間プロとしてプレーできていたと感じています。
バウドは名古屋で一緒にプレーしたブラジル人プレーヤーです。彼の人間性は本当に素晴らしかった。彼はだれがどうみてもうまい選手なんですが、一時期試合に出られないどころかベンチにも入れなくなったことがありました。そこでバウドに「ありえないね」と言ったら、「メンバーは監督が決めることだ。そんなこと言っている時間があるなら、目の前の試合に集中しろ。どうやって勝つか考えろ」と言われたんです。これがプロですね。若いときにこういう選手とサッカーができて本当に幸せでした。フリーキックもうまくて。よく教えてもらいました。

平野 孝 プロフィール

平野 孝(ヒラノ タカシ)

平野 孝プロフィール

1974年生まれ。元日本代表。98年フランスW杯出場。日本代表通算15試合4得点。J リーグ通算352試合54得点。清水商業高校卒業後、1993年に名古屋グランパスエイトに入団。ベンゲル監督の下では、ストイコビッチや望月重良らと共に名古屋の黄金期を築いた。以後6 つのJ1クラブを経て、2008年に渡米しバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍。2010年にはメジャーリーグサッカーへの昇格に導く。現在は「スカパー!  J リーグマッチデーハイライト」のMCを務める。JFA公認C級コーチライセンス保有。

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