サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

島根は松江の出身。順天堂大を経て、1993年に名門・横浜マリノスに加入。空中戦と対人に強く、日本屈指のディフェンダーとしてチームを支える。1995年のJリーグ制覇と1998年のW杯出場。懐かしく現役時代の思い出を語るまなざしの先に見えるのは、サッカーの現場で仕事をしたいという熱い思い。小村徳男の指導者としての挑戦はこれからだ。

復興支援活動とスクールのコーチ

今はJリーグ、海外サッカーの解説やサッカースクールのコーチをしています。また、「キリンスマイルフィールド」というサッカーを通じてこどもたちを笑顔にするという復興支援活動にも参加しています。2013年は、Jリーグで監督を努めていたのでなかなか参加できませんでしたが、それ以外のときは月に複数回参加しています。立ち上げたときと比べて2年目、3年目と、どんどん会場が増えていくのでたくさんのこどもたちと触れ合うことができています。
サッカースクールは、スクールに行ける日、行けない日を選んで自分からスクールの運営スタッフにスケジュールを提出しています。週2回くらいですね。最近はスペシャルクラスといってプレーが上手なこどもや、楽しみながらももっと上を目指すこどもたちを担当しています。
現代のこどもたちはヘディングがうまくできないですね。教えればみんなトライはするんですが、頭でボールをとらえることがうまくできるこどもが多くありません。私がヘディングに強くなったのは、小さいときからサッカーだけでなく、いろいろなスポーツをやっていたからかもしれません。野球やサッカーをやりながらバレーボール、バスケットボールもやっていました。いろいろな球技スポーツを経験したことで、ボールの軌道の感覚を養うことができていたのでしょう。
スクールに魅力を感じるところは、こどもたちの成長が見て取れるところです。1年生のときからずっと教えていると、ボールと関係ないところで遊んでいたようなこどもが、すごく上達しているんです。あんなにやんちゃだったこどもが、6年生になると試合をするなかで一番活躍するようになっている。サッカーがうまくなっているこどもって、しっかりコーチの話しも聞けるようになっているんですね。スクールでは、技術的にサッカーがうまくなるだけではなく、あいさつや礼儀といった、人間としての基礎がしっかり身に付くこどもを育てていけるようにしたいです。
解説の仕事はまだまだこれからですね。オンザピッチの事象を的確にとらえて話していくことを心がけているのですが、試合を見ながら自分が感じていること、思っていることをタイムリーに伝えられないときがあります。あとは自分の言葉で、自分で感じたこと、視聴者に伝えたいことを最後までしっかり言い切るようにしたいですね。

JリーグチャンピオンとW杯出場

現役時代の一番の思い出は、横浜マリノスVS. ヴェルディ川崎、1995年のチャンピオンシップで日本一になったときです。それまでずっとサッカーをやってきて、日本でチャンピオンになれたことがうれしかったです。2試合戦って2勝しました。個人的にも、ゴールキーパーまで抜かれて無人のゴールに入れようとしたカズさん(三浦知良)のシュートをブロックしたのはビッグプレーでした。あのときはすごくうれしかったなあ。同じセンターバックの井原正巳さんがMVPを獲得したんですが、個人的にはMVP級の活躍だったと思います(笑)。
当時、井原さんはすでに日本代表選手でした。盗めるところはすべて盗むという気持ちで、一緒にプレーしていました。特に井原さんはカバーリング能力の高い選手でした。相手が次にしかけてくるプレーを考えて、先の展開を想定しているからいろいろな状況に対応できるポジションをとれていたんです。
マリノスには、常にチャンピオンにならないといけないというプレッシャーがありました。ライバルであるヴェルディにはカズさん、ラモスさんをはじめスタープレーヤーがたくさんいました。ラモスさんは決して運動量は多くないんですが、いつもチラチラこちらの守備の状況を確認して、いつでも自分のところからいいパスが出せるように相手の隙を狙っていました。武田(修宏)さんがスペースに抜けてラモスさんのパスを受けようとするところを、「俺はそうはさせないぞ」とディフェンスするんです。ずっと、その攻防でした。
あとはW杯出場ですね。1998年、日本が初めてW杯のピッチに立ったときの代表メンバーに選ばれました。それまでW杯と言えば、テレビで見るものでしたが、あのときから多くのサッカー選手にとって、W杯には出場するものという目標になりました。日本史上初の快挙ですから、マリノスで日本一になったときと同じくらいの思い出です。1986年のメキシコ大会でマラドーナ率いるアルゼンチン代表が優勝したときは高校3年生でしたから、それからこんなに早く日本がW杯に出場するとは考えられなかったですね。

もっと勉強して指導者として活躍を

(これからの夢ですか?)まず思うのはサッカーの現場にいたいということです。そこで指導者として活躍していきたいです。そのためにはもっともっとサッカーを勉強しないといけません。個人個人それぞれがいろいろな考えを持っている選手たちを一つの目標に向かって、自発的に団結するようなチームを作り上げていきたいです。結果を残せるチームというのは、チームマネジメントがしっかりしています。むしろ、それができないと成功はありません。指導者の考えや目指すチーム作りを選手たちに納得させながら勝っていくチームを率いることができるように、まずは目の前の仕事を一つひとつトライしていきたいです。

小村 徳男が選んだベスト11

好きなチームから選んだベストイレブン

バルセロナが好きなんです。でも、バルセロナだけではまとめられなくて、もう一つの好きなチームであるACミランからも選んでいます。かなり攻撃的なメンバーです。基本的に中盤の守備はデザイーひとりでやってもらいます。アンカーの横が空いていても、デザイーひとりで対応します。デザイーがけがしたら、ガットゥーゾかマスケラーノかな。メッシとマラドーナが守備をしないので。センターバックにはコスタクルタを入れました。バレージの横にいるからあまり目立たないんですが、彼の能力は高いし、やっぱりうまい。キャプテンは、バレージ。彼の言うことであれば、このメンバーも言うことを聞くでしょう。左サイドバックにどうしてセルジが入っているかというと、2002年にバルサに行ったとき僕にユニフォームをくれたんですよ。当時の監督はレシャック、ヘッドコーチにアレッシャンドロ、そして第3コーチにマリノスで監督をしていたアントニオ・デラクルス。練習を見た後にデラクルスと一緒にいたら、ロッカールームとか監督室も入らせてもらったんです。そうしたらセルジがいきなりチャンピオンズリーグのロゴが入っているユニフォームを僕にくれたんですよ。いいヤツですよね(笑)。究極の左サイドバックはロベルト・カルロスかもしれませんが、レアル・マドリーの選手だから入れられません! ゴールキーパーは、バイエルンのノイアーです。バルセロナとミランの歴代のゴールキーパーも考えたのですが、世界ナンバーワンと言われるノイアーが、このチームのゴールを守る姿を見てみたいですね。

小村 徳男 プロフィール

小村 徳男(オムラ ノリオ)

小村 徳男プロフィール

1969年生まれ。元日本代表。日本代表通算30試合4得点。1998年フランスW杯でも日本代表として出場。Jリーグ通算396試合30得点。順天堂大学を経て、1992年に横浜マリノスに入団。1対1と空中戦に強い屈強なディフェンダーとしてベガルタ仙台、サンフレッチェ広島、横浜FCなどで活躍。2013年シーズンにガイナーレ鳥取の監督を務める。 JFA公認S級コーチライセンス保有。

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