サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

8月11日に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップを戦うために、アルゼンチンの名門リバープレートが来日した。Jリーグ黎明期、そのリバープレートに留学をしていた選手がいた。
現在カンボジアのナガコープFCでプレーする、横浜FM、新潟などで活躍した静岡出身の深澤仁博。今もなお、現役選手として活躍する深澤選手に、リバープレートのこと、所属するリーグのこと、そして夢のはなしを聞いた。

サッカーを始めたきっかけは、「キャプテン翼」の影響

サッカーを始めたのは小学校2年生の時。「キャプテン翼」の影響をもろに受けました。(笑)
小学校1年の時にキャプテン翼の放送が始まったんですが、それを見てサッカーをやりたくて、地元の少年団に入って良いか親に相談しました。でも、当時はスイミングスクールに通っていて親の許可が出なかったんです。それでも諦めきれなくて「1年経っても気持ちが変わらなかったら」という条件付きで少年団へ入る許可をもらいました。それからは友達と草サッカーをやったりして、ようやく小学校2年生の時に少年団に入ることが出来ました。少年団は週に2回の練習で、他の日は友達と草サッカーをやってと、本当に毎日サッカーをやっていましたね。
 
中学校ではもちろん、サッカー部に入りました。ちょうどJリーグも始まった時期で、「自分もプロになりたい」と思ってはいましたが、中体連の1回戦で負けてしまうくらい弱い学校だったので、とくに目立った活躍もなく高校へ進学しました。
高校では、3年の最後の選手権で全国優勝したんですが、それまではレギュラーではなくて、最後の最後で出場できて、そこで横浜マリノスに拾ってもらう形になりました。選手権の時点では進路も決まっていなかったし、自分の中では第一候補にドイツ、次にブラジルと、海外留学を考えていました。
 

アルゼンチンで重視されたのは、「テクニック」より「戦う姿勢」

横浜マリノスに入団した年に、「スポニチ・Jリーグサッカー留学制度」でアルゼンチンに留学しました。この留学制度が始まって2年目の年です。マリノスに入団する前に海外留学を希望していた事を知っていたクラブが僕を推薦してくれたんです。留学の話をもらった時は正直「ラッキー!」と思いましたね。留学先は、当時、横浜マリノスと繋がりがあったリバープレートに決まりました。練習はレセルバ(サテライト)とクアルタ(ユース)でやっていました。レセルバで練習して、クアルタの試合に出るという感じが多かったです。半年はスタジアムにある寮に住んでいたんですが、ものすごく汚くて酷い所だったので、地元の新聞なんかで物件を探してアパートに引っ越しました。
 
アルゼンチンに行った当初は、サッカーもそうですけど、環境から文化からすべてが驚きでしたね。サッカーで言えば、イメージ的に南米は「テクニック」と思っていたんですが、それよりも「戦う姿勢」の方を重視していました。「1対1では絶対に負けない」みたいな所は学ばせてもらえましたね。休みの日にはカフェに行ったり、アパートの管理人のおじさんにタンゴ教室に連れてってもらったりと、サッカー以外でも楽しんで過ごしていました。一度アウェーの試合を観に行った事があるんですけど、何も分からずに一般席に座ってしまって、周りはもの凄く熱狂しているし、殺伐としているし、日本人って分かったらカツアゲでもされるんじゃないかと思って、ハーフタイムなんかもずっと無言で座っていました。
当時一緒にやっていた選手で有名な選手はあまりいないんですけど、アイマールが同じ寮に住んでいましたよ。あの汚たない寮に。(笑)彼は本当に細くて、「小っちゃい子だなあ」なんて思って見ていたんですが、レセルバやクアルタの練習に行っても見かけないし、「あいつは何なんだ?」と思っていたら、ある日トップチームの練習を見に行ったらそこで練習していました。(笑)
でも彼のプレーを間近に見て度肝を抜かれましたね。練習試合なんかでも彼だけ別の次元でプレーしているみたいでしたよ。
 

留学の経験があったから、未知の国にも飛び込んで行けた

アルゼンチンから帰国して、1999年に今度はスペインのテネリフェへ留学に行かせてもらいました。半年だけでしたけどトップチームの練習に参加させてもらって、アルゼンチンとはまた違ったサッカーを学ぶ事ができました。その後、2000年にアルビレックス新潟に移籍したんですが、そこでは反町さんとの出会いが大きかったですね。それまでは本能だけでサッカーをやっていたところがあったんですけど、初めて「戦術」の持つ意味を教わりました。
2004年に新潟との契約が終わったんですけど、どのカテゴリーにも行けるチームが無くて、サッカーができる場所を求めて海外に目を向けました。最初はカナダ、次にタイ、シンガポール、インドネシア、香港、そして現在のカンボジア。本当に色んな国でサッカーをやってきましたが、どんな未知の国でも何の迷いもなく行けたのは、間違いなくアルゼンチン留学のおかげですね。あの経験があったからこそ、何も考えず海外へ飛び出して行けたのだと思います。
 
カンボジアのサッカーはまだまだ発展途上で、あらゆる面で「これからかな」という感じです。リーグを見てもスタジアムを自前で持っているクラブは少ないですし、首都プノンペンにあるチームがほとんどで、全国リーグという形ではなくセントラル方式のようなリーグ形態です。
若い選手で上手い選手も出て来ていますけど正直まだまだですね。外国人選手を、お金をかけて獲るというクラブも少ないのが現状です。でも、代表戦では6万人くらい入るほどサッカー熱は高いですし、リーグ戦でも3~4千人は入るようになってきています。また、テレビ中継も始まりましたし、少しずつではありますが、ハード、ソフト面共に整備されて来ていますよ。 
 

プレーしている時が一番ハッピー。だから現役にはこだわる。

できるだけ長く現役で、サッカー選手として頑張りたいです。サッカーをやっていると本当にハッピーな気持ちになるので、そのハッピーな気持ちでずっといたいと思っています。ライセンスも取ったりしてはいますが、まだ現役を終えた後の事は考えられないですね。指導者の道に進む事だったり、他の道を探す事だったりと、本来なら色々と考えないといけないんでしょうけど……。10年近く海外のクラブでプレーしていますが、海外、東南アジアのリーグにとくにこだわっている訳ではないですし、どんな国のどんなクラブ、どんな場所でも良いから、1日でも長く現役でサッカーをやり続けていきたいです。自分自身がハッピーでいられるのはサッカーをやれている時ですからね。
 

◆スルガチャンピオンジップ展望

両クラブ共に頑張ってほしいですね。リーベルには「アルゼンチンの強さ」を見せて欲しいですし、ガンバ大阪も「日本もそんな簡単な相手ではないんだぞ」というところを見せて欲しいです。サッカーは点が入った方が面白いですから、スコア的には2-2が理想ですね。このスコアならもファンも楽しめるし納得がいくのではないでしょうか。
 

深澤 仁博が選んだベスト11

見た目がもう既に強そうなベスト11

フォーメーション:4-3-3
監督:シメオネ(アルゼンチン)
 
「見た目がもう既に強そう」な11人選んでみました。

深澤 仁博 プロフィール

深澤 仁博(フカザワ マサヒロ)

深澤 仁博プロフィール

1977年静岡県沼津市出身。静岡学園高等学校卒業後、96年に横浜マリノスへ入団。同年にアルゼンチンのリバープレート、99年にスペインのテネリフェへ留学。日本帰国後、00年~04年にアルビレックス新潟でプレーした後、05年よりカナダ、タイ、シンガポール、香港、インドネシア、カンボジアと、東南アジアを中心とした海外クラブでのプレーを続けている。現在はカンボジアリーグのナガコープFCに所属。

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