サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

MIFAをご存知だろか。MIFAは、ウカスカジー(Mr.Childrenの桜井和寿とラッパーのGAKU-MCによるユニット)をはじめ、サッカーと音楽を有機的に結びつけるプロジェクト及び団体だ。豊洲には、MIFAが運営するフットボールパークがあり、その代表を務めるのが、自身ミュージシャンであり、サッカーで全国優勝の経験もある小川孝幸だ。音楽とサッカーを繋げるとは一体どういうことなのか。小川の個人史とともにその試みと夢を聞いた。

音楽とサッカーというツールを使ってハッピーなコミュニケーションをつくりたい

MIFAは「Music Interact Football for ALL」の頭文字を取ったプロジェクトで、ラッパーのGAKU-MCが旗振り役となり、桜井和寿とともに音楽とサッカーというツールを使ってハッピーなコミュニケーションをつくりたいとサッカー好きが集まりました。サッカーと音楽って、僕らが体験してきた言葉が通じなくても仲良くなれる「世界2大共通言語」だと思うんです。ボールを蹴ったらすぐ仲良くなれるし、一緒に演奏したり歌ったりしても仲良くなれる。ウカスカジーはMIFA所属のタレントということになっているのですが、日本代表の公式応援ソングを歌ったりしていることもあって、MIFA=ウカスカジーという印象があるかもしれません。でも実際は、とにかくサッカーと音楽が好きで集まった仲間たちが、後に組織になったプロジェクトなんです。2014年W杯の応援ソング「勝利の笑みを 君と」も、ただただサッカーが好きだった桜井とGAKUが、音楽活動の素をサッカーからもらっているんだから、その分を音楽でサッカーへ恩返しをしたいという強い気持ちでつくられた曲でした。そもそも日本のサッカーにこれといったアンセムがなくて、だったらサッカーを大好きな自分たちがつくった曲がアンセムになればうれしいねと、すでに名のあるふたりが、公式応援ソングになるかどうかもわからないまま「応援したい」という気持ちだけで勝手に、だけど一生懸命つくったんです。2012年のスタート当初は、フットサル施設などもなかったので、MIFAではウカスカジーが曲をつくったり、「MIFA スマイルプロジェクト」を立ち上げて被災地・福島の子どもたちのところに行ったりしていました。福島にいて屋外でサッカーができない子どもたちを体育館に招き、一緒にサッカーをやって、ライブをして楽しもうという活動です。いまでは、福島や長野の過疎地域のような地域にみんなで運転して行って、みんなで現場セッティングして、一緒にサッカーやって、一緒に歌を歌ったりしています。僕はMIFAの代表として仕事をしていますが、ウカスカジーの2人をはじめとする皆の意思を実行する存在。とにかくサッカーと音楽で楽しいこと、良いこと、ハッピーなコミュニケーションをつくっていこうよ、という団体ですね。

水面下では常に足をバタバタさせている状態です(笑)

2014年にフットボールパークを始めたきっかけが、またおもしろい話しなんです。みんなでMIFAやサッカーについていろいろなこと話す会議があるのですが、「こういうことやろう」「やりたい」という夢を話して最後は終わろうということになり、「MIFAスタジアムが将来建設できたらいいよね」と言った人がいたんです。あくまで夢ですよ。でも、これまで僕らは「日本代表を応援する曲をやりたい」ということを、サッカーを本気で愛しているから実現してきたという自負みたいなものもあって、「MIFAスタジアムつくろう! 言わなきゃ始まらないじゃん!」とポジティブ人間のGAKUが盛り上げたんです。じゃあ、それってどんなスタジアムだろうと話しが進み、「サッカーができて、ライブハウスも併設されていて、音楽とサッカーが常に繰り広げられている。さらにライブハウスは大きいのと小さいのがあって。インディーズの子も出演できるような場所がいいよね」と。僕らもバカじゃないので、「じゃあ、実現するためにはどうしたらいいんだ? まずはフットサルコートを運営して、勉強しつつ向かっていこう」と話してその日は終わり。とはいえ、何もわからない状態だったので、不動産屋にトコトコ行き「フットサル場ができる土地ってどこかにないですかね?」なんてことも実際やったんです(笑)。そのレベルから始めて、いろいろと見聞きして勉強しながら悪戦苦闘していました。そんな時、良い話しがやってきたんです。三井不動産レジデンシャルさんから「フットボールパークをやろうと思うのだけれど、一緒にいかがですか」と。「やりましょう!」となり、いまに至ります。これは出会いとタイミングですね。世の中的には順風満帆に見えているかもしれませんが、実際のMIFAは小人数で常に”ハッピー”と”おもてなし”を考え、一生懸命働き、水面下では常に足をバタバタさせている状態です(笑)

フットサル場の概念を捨てたというよりも、飛び越える感覚

僕らがここを始めるにあたって、普通のフットサルコートの運営とは違うことを考えていました。せっかくエンターテイメントの世界から来た人間がフットサルコートを運営するわけですから、「フットサル場という概念を一旦捨てよう。ここはコミュニケーション施設だ」という考え方でいこうと決めました。サッカーをしたい人はサッカーでコミュニケーションをとり、カフェスペースではお母さんたちが話しをしながらご家族のプレーを応援する。そのためにキッズルームや授乳室もつくりました。ここで家族のコミュニケーションが生まれたらうれしいし、併設したボディメンテナンスの接骨院に来るためだけでも、犬を連れて散歩ついでに寄るだけでもいい。太陽光発電を取り入れて避難場所として機能するようにしたり、クラブハウスのWi-Fiと電源は自由に使えるようにしたりして、とにかく地域のコミュニケーション施設にしていきたいと考えたんです。だから「これがあったらおもしろいか、ワクワクするか」ということを運営の判断基準にしています。去年はコートをディスコと見立てて櫓を組み、DJブースをつくって3000人が集まり、すごい賑わいでした。従来のフットサル上の概念を捨てたというよりも、飛び越える感覚です。

プロサッカー選手になるとずっと思っていた

出会いとタイミングで僕はここにいます。埼玉の浦和で生まれて、ちっちゃな頃からサッカーをずっとやってきました。ただ小学校の頃、登校拒否で学校に行けておらず、行くきっかけをくれたのがサッカーでした。シャイで内気な子だったのですが、サッカーをやり始めて友だちとボールを蹴るようになり、溶け込めるようになっていった。そこからサッカーにのめり込んで小学6年でFC浦和のメンバーに選ばれ、第13回大会で全国優勝しました。だから、僕は小6の時がピーク(笑)。中学校でも埼玉選抜に選んでもらえて、特待生で強豪の武南高校に入らせてもらうという、高校に入るまではサッカーだけで言えばエリートコースではありました。だからプロサッカー選手になるとずっと思っていたし、そのためにどうすればいいかを考えながら生活をしていました。ところが、ありがちな話しですが、3年次に怪我をして夢を諦めたんです。そこで出会ったのが音楽でした。18、9歳のとき、GAKU-MCと出会い、ライブに行くようになりました。そこで、ゴスペラーズの皆さんを紹介してもらって、メンバーの安岡さんとサッカーを通じて仲良くなり、ライブを観に行かせてもらったんです。そのライブで僕の心のスイッチが押され、楽屋にご挨拶に行くなり「すみません! 僕、音楽やります。歌手になります!」と宣言をしちゃったところから音楽人生がスタートしました。まわりのスタッフの方々は「は? あいつ誰?」みたいな状態ですよ(笑)でも、「お前おもしろいな」と北山陽一さんが言ってくれて、そこからギターを始め、安岡さんには作詞の勉強させてもらい、ボイストレーナーを紹介してもらって通い始めます。そうして続けていたら、たまたまアーティストのLyricoさんの曲に僕の書いた詞が使われることになったんです。そこから僕と音楽とサッカーの繋がりがちゃんと始まりました。そしてGAKUさんに誘われたサッカーがきっかけで桜井さんや今のMIFAメンバーと出会い、信頼できる先輩たちに拾ってもらいMIFAの代表をやらせてもらうことになりました。GAKUさんはちっちゃい背中なんですけれど、僕からしてみたらとても大きい背中の人。彼の背中についていく人は僕の周りにもたくさんいます。でも彼は恩着せがましくはないんですよね。「え? そんなこと言ったっけ」とか「知らねー」とかそんな感じ。そういう縁があって、いま僕がここにいます。

「大人になってこんなにサッカーが大好きになるんだなぁ」というくらい好き

怪我をしてプロになれないとわかってから自暴自棄の時期がありました。ここに書けるか分からないくらい本当に腐っていました。サッカーを嫌いにはなりませんでしたが、見なくはなりましたね。誘われたらフットサル程度はやりましたし、実際フットサルの埼玉県リーグにも入ってやっていました。好きでしたけれど、いまの好きとはまた違いました。いまは本当に「大人になってこんなにサッカーが大好きになるんだなぁ」というくらい好きで、「俺、まだまだうまくなるかも」という気持ちでやってるんです。ウカスカジーの二人も日々うまくなっていっているので、自分もまだまだ。昔は「どうせまぁ、うまいし俺」みたいなナメた感じだったのかもしれません。伸びようともしてなかった自分に気づかせてくれたのは、引退された日本代表のレジェンドたちとMIFAを通して一緒にプレーさせてもらえたことでした。名波さんや福西さんや現役の小野伸二さんとか、「うわぁ、すげぇ。俺もああいう風にやりたい」と思えたことで、またサッカーに対する欲が出てきて好きになった。昔はむしろサッカーをしていても楽しくなかったかも知れません。中高の部活は「やらなきゃいけない」「ミスしたらいけない」とか、とにかく無難なプレーをしていました。どんな気持ちでやっていたんだろうと思います。とにかく失敗しないように、チャレンジ精神がなかった。サッカーの楽しみって、まさにうちが掲げている「コミュニケーション」だと思うんです。普通に会話をしているよりもサッカーをする方が関係性の構築が早い。「この人、どういう人なんだろう」というのが、ボールを一緒に蹴ると分かるし、本当に僕のコミュニケーションツールとして役立っています。お客さんとも「ちょっと1回、ボール蹴りましょう」「今度やる時、呼びますね!」と話し、プレーをしながら、「あ、この人はこういう性格なんだな」と分かってくる。だからボールを蹴る機会の方が増えて、飲みに行く機会が減りました。

サッカーがおもしろいのは、“怖い”からだと思う

サッカーがおもしろいのは“怖い”からだと思うんです。シュートをバンバン打ってどんどん攻め込み、どう見ても優勢なチームが、何度もポストやバーに嫌われたり、もしくはキーパーの調子が良すぎてどれもはじかれてしまっている状況で、一瞬の隙を突いたカウンター1発で一気に形勢逆転、負けてしまうということがあります。どれだけ攻め込んでいても、ゴールが入らないとみんなのメンタルがおかしくなってくる。「これだけ入らないと、もしかしてカウンターで1点取られたらやばいんじゃ…」という変なメンタル合戦が頭で展開し始める。それでパスワークが崩れて、まんまとカウンター1本でやられちゃったりする。その緊張感や怖さは、とてもおもしろいことだと思うんです。フットサルはある程度サッカーよりも予定調和な気がしますが、サッカーはジャイアントキリングが起きやすいのもそういうことが関係しているんでしょうね。

お墓は建てられないけれど銅像はつくれる

MIFAのフットボールパークを運営していく上で、JFAさんと同じようにサッカーの底辺を広げるというミッションを掲げています。女性へのアプローチに力を入れていて、女性素人の方に向けた超初心者クリニックをやっているんですが、たくさん来ていただいています。毎週末の土日には地域の方々のコミュニケーション施設として8時から10時、近隣住民の子供や親子に対して無料で貸し出したりもしています。裾野を広げるというミッションとコミュニケーションをつくるというミッションで、サッカー文化のちょっとでも手助けになってくれたらうれしい。あとは先程言った、複合施設からなるMIFAスタジアムは大きな夢ですね。

個人的な夢で言えば、数十年後、僕がいなくなってもMIFAという団体をずっと継承していって欲しい。僕が死ぬまでにやりたいのは、ウカスカジーの銅像をつくることです(笑)。後世の人が「この人たち誰?」となってもいい。2世代先の若い人たちが「この2人誰?」「“ウオー、ウオー”ってあの曲つくった人だよ」「え、この2人なんだ!」みたいなことになったらおもしろいですよね。僕からのGAKU-MCに対する最後の恩返し、ですね。お墓は建てられないけれど銅像はつくれるぞ、と(笑)

小川 孝幸が選んだベスト11

ベストイレブン

フォーメーション:3-5-2

監督:ベッケンバウアー(西ドイツ)

 

GK:ゴイコエチェア(アルゼンチン)

DF:ジョルジーニョ(ブラジル)/レオナルド(ブラジル)/イエロ(スペイン)

MF:マケレレ(フランス)/ライカールト(オランダ)/マラドーナ(アルゼンチン)/ハジ(ルーマニア)/バルデラマ(コロンビア)

FW:ロマーリオ (ブラジル)/ファンバステン(オランダ)

小川 孝幸 プロフィール

小川 孝幸(オガワ タカユキ)

小川 孝幸プロフィール

MIFA代表取締役。シンガーソングライター。サッカー全国制覇の経歴を持ち、2004年作詞家としてデビュー。シンガーソングライターAnd yuとしても活動を開始し、08年には、埼玉県フットサルリーグイメージソング『Special day』をリリース。動物愛護の為に書き下ろした楽曲『ボクものがたり』が絵本化されるなど、数々の楽曲を制作、提供し続けている。

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