サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

有料Webマガジンの『タグマ!』などの運営で知られる村田要さん。サッカーとインターネットの可能性にいち早く目をつけ、27歳で独立。ユーザーの視点を第一に心がけたサッカーサイトの運営事業で日々忙しくするかたわら、初心者向けのフットサルイベントやフリーマガジン制作のお手伝いなど、精力的な活動を展開している。

有料WebマガジンではJリーグ26クラブのサイトを運営

私がメイン事業として従事している仕事は、ガードかなさる有限会社の代表取締役として、有料Webマガジンの『タグマ!』や無料のサッカーサイト『J論』などの運営をしています。また、お手伝いという形になりますが、「サッカーで街を盛り上げる」をコンセプトとしたフリーマガジン制作や初心者に特化したフットサル大会運営なども行っております。

現在、『タグマ!』のサッカーコンテンツではJリーグ26クラブ、28サイトが展開中です。『タグマ!』では各サッカークラブの番記者さんが各チームのサポーターが知りたくなるような練習レポートや選手のこぼれ話など、さまざまなコンテンツを提供し、それを読みたいサポーターが月額料金を支払って購読会員になっていただく仕組みになっています。

このような有料サッカーコンテンツの可能性に気づいたのは、新卒で入った会社時代までさかのぼります。当時、携帯電話で月額300円を課金することによって着メロやゲームなど楽しめるサービスが大流行の時代でした。そして私が新卒で入った会社はそのようなサービスを提供する会社だったのですが、携帯電話というツールを介して、インターネットでユーザーがどうしても欲しい情報ならばお金を払っても良いという事が「インターネット=無料」という風に思い込んでいた自分にはとても衝撃でした。それ以降、自分が大好きなサッカーで月額サービスのサッカーサイトを構築できれば、情報を知りたいサポーターと情報を提供したいライターさんなど、サッカーに関わる方々が幸せになれるのではないか? と思い、その方面で頑張っています。

サッカーとインターネットを好きになった背景

さまざまなサッカーのコンテンツ事業に関わるようになったそもそものきっかけは「なぜサッカーとインターネットを好きになったのか」という理由とリンクします。Jリーグが開幕した1993年当時、私は中学1年生で、いわゆる家が“転勤族”でした。子供心に何度か引っ越しを繰り返す中で、「自分の地元はどこだろう?」と思い、今の言葉で言えばアイデンティティーがなかったのです。そしてその時は名古屋に住んでいたのですが、私の出身地である埼玉県の浦和レッズが名古屋グランパスと対戦する試合を観戦する機会があり、その時に「浦和」という地名を大声で叫ぶサポーター集団を見て、「埼玉県出身の私には浦和レッズがある。コレだな」と私のアイデンティティーが芽生えた瞬間が訪れました。浦和への地元愛とともにサッカーの虜になったのです。

その一方でインターネットを好きになったきっかけは、高校時代に見た『空と海をこえて』というテレビドラマでした。そのドラマはパソコン通信を通じて、沖縄の離島で食中毒になった子どもたちを救うというストーリーで、離島という困難な状況の中、パソコン通信を使って色々な人達がつながり助かるというお話でした。そのテレビドラマを見て、インターネットがない時代のコミュニティと言えば、高校のクラスや部活動くらいでしたが、「同じ趣味の人達とインターネットを通じてつながることができるなんてすごいな」と革命的な変化を感じたのです。その後、なんとしてもインターネットをやりたいと思い、夏のバイト代をすべて使ってパソコンを購入し、インターネット三昧な毎日をおくりました。

心に残っている言葉「自分自身が市場になれ」

ビジネスモデルを構築するヒントとして、ずっと私の心の中に残っている言葉があります。それは「自分自身が市場になれ」という言葉です。この言葉は新卒で入った会社の社長に言われたのですが、要はユーザーと同じ感覚を持て、ということです。例えば、私が映画担当であれば、自分が見たい映画と世間の映画観客動員ランキングが全部同じになればいいと。その社長には「自分が市場になって自分が面白いと思ったものを作ればいい。自分の好みと市場が一致すれば最強なんだ」と言われたことが今でも心に残っています。当時はゲーム関係のコンテンツ制作に関わっていましたが、自分自身が市場になれるという意味では一番大好きなサッカーが最もそれに近いコンテンツでした。学生時代から好きな「サッカー」と「インターネット」が合わさった市場ならば自分の感覚は近いだろうから、今後はその土俵で勝負しようと決めました。

将来の夢は「見る立場から日本サッカーの世界一を実現させる」ことです。もちろん見る立場もサッカーでは重要ですので、ビジネスを含めた色々なアプローチをしていくことにより、この命が果てるまでに日本サッカーを世界一にしたいと思っています。日本サッカーが世界一になるためには、サッカーのことを好きになる人が増え、好きになった人がもっと好きになることが必要となります。そのきっかけ作りとして現在関わっている『タグマ!』や初心者向けフットサル大会を切り口に、サッカーをもっと好きになってもらうことに注力していきたいと思っています。世界一、それは日本代表のW杯優勝です。それが一番分かりやすいですから。

村田 要が選んだベスト11

村田要が選んだ「1979年組生まれのベスト11」

遠藤選手など早生まれの選手も含まれていますが、私が79年生まれということもあり79年生まれの“黄金世代”でベストイレブンを組んでみました。全体のポイントはワールドユースナイジェリア大会で準優勝に輝いたフィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表のメンバーを中心に、自分好みの選手も入れてみました。

監督は清雲さん。ワールドユース本大会の監督はトルシエでしたが、アジア予選は清雲さんが監督でした。予選の場所が大宮サッカー場でしたので、家からも近く、ほとんどの試合を会場で見ることが出来ました。清雲さんはワールドユースで準優勝に輝くチームの基礎を作った方です。

まずGKに曽ケ端選手を選んだ理由は、南雄太(横浜FC)選手と悩みましたが、鹿島という常勝軍団で最もタイトルを獲っている選手として敬意を表しました。“フラット3”では辻本茂輝選手よりも、その後の活躍から坪井慶介選手を選びました。圧倒的なスピードでフラット3の裏のスペースカバーもばっちりです。真ん中は手島選手。“フラット”3を統率する姿が印象的ですし、「上げろ!」と指示を出しながら、ディフェンスラインを押し上げる仕草は、草サッカーでよく真似をしたものです(笑)。左の中田浩二選手は、ボランチの選手をセンターバックで使うという先駆け的存在なのかなと。「パスをさばけるDFってすごいな」と思って見ていました。

ボランチは日韓W杯でもっとも輝いていた稲本選手。遠藤選手はその後の活躍を踏まえて選びました。遠藤選手は小笠原選手が怪我をしたときなどに代わりに出場していましたが、当時は遠藤選手の凄さをそこまで分かりませんでした。その意味ではその後の活躍を見ると、トルシエ監督はやはり先見の明があったのかなと。左ウイングバックは小野選手。サイドからゲームを作る戦略は、当時はまだ主流ではなかったと思っていますが、日韓W杯・ベルギー戦での鈴木隆行選手のゴールを導き出したロングボールの印象が強烈に残っていますので。右ウイングバックは平川選手。よく走る“ハードワーカータイプ”が実は好きなのです。

トップ下は、やる時はやる男というイメージの小笠原選手。2トップの高原選手は小野選手とのコンビネーションが凄かった。そして2トップの一角は本山選手。高原選手のパートナーに永井(雄一郎)選手ではなく、本山選手を選んだのがこだわりポイントです。本山選手には高原選手の周りを衛星的に動き回ってほしいですね。そこは自分のこだわりなんです。もし監督として、彼らに声をかけるとしたらテクニックがある選手が揃っているので「技術で圧倒しろ!」と言って送り出したいと思います。

村田 要 プロフィール

村田 要(ムラタ カナメ)

村田 要プロフィール

1979年7月31日生まれ。埼玉県出身。仕事では有料サッカーコンテンツ系を渡り歩く日々。現在は設立31年目となるガードかなさる有限会社の代表取締役。プライベートではサッカー&フットサルの審判にはまっている。好きな食べ物は、あんこ。

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