サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

高校時代にフットサルと出会った米川正夫は、Fリーグが創設される2007年にプレーヤーから指導者としての道を歩みはじめる。以降、フットサル全国リーグ(Fリーグ)に所属する「バルドラール浦安」でトップチームを含む3カテゴリーの監督を歴任。2017シーズンからは3年ぶりにラス・ボニータス(女子チーム)の監督に復帰する。

人生の転機となったフットサルへの転向

小学校4年生の時から始めたサッカーを続ける中で、初めてフットサルという競技と出会ったのが高校2年生の時でした。そこで人生が変わりました。フットサルと出会ったきっかけは、高校の部活と並行して出身小学校でコーチのお手伝いをしていたのですが、その時のコーチの一人に今のペスカドーラ町田の岡山孝介監督がいました。たしか僕は17歳で岡山さんは大学4年生だったと思います。岡山さんはその時にもうフットサルをプレーしていて、岡山さんに誘われてからはほぼフットサルばかりをやっていました。
 
岡山さんもいたそのフットサルチームには、ヴェルディユース出身選手や都立久留米高校出身の選手がいて、みんなめっちゃうまかった。その中でも自分は一番若く、一番下手くそだったのですが、大人の中に混じってプレーしていたので、「フットサルって面白いな」と目覚めました。「こんなにうまい人がいるのか」と衝撃でしたが、そんなうまい選手たちに憧れを抱いていたことも、フットサルにハマった理由の一つです。もちろん、高校の部活にも通いながらフットサルをプレーしていましたが、どちらかというとフットサルを優先していました。その頃から急激にうまくなりましたね。
 
でもその一方で、18歳になった頃、ドイツで指導者の勉強をしていた高校のOBの方がコーチに就任し、そのコーチが僕ともう一人の選手に「ドイツに来い」と言いました。ただ、パスポートまで手配したのですが、急にドイツで受け入れられる選手が一人になったことで、僕ではなくもう一人の先輩がドイツへ行くことに。その悔しさが「よりフットサルを頑張ろう」という気持ちにさせてくれましたし、もしあの時、僕がドイツに行くことになっていれば、また人生は違ったものになったかもしれません。
 
19歳になった頃には岡山さんがチーム運営に携わっていた『井の頭くな』というフットサルチームに入りました。その後、バルドラール浦安の前身である『プレデター』にそのチームから何人か加入することになって、僕もそれに続く形でプレデターに加入するのですが、井の頭くなは本当にレベルが高かったです。僕のポジションはピヴォ(サッカーでいうフォワードのこと)。でも正直器用貧乏のようなタイプの選手で、正直プレーヤーとしてはパッとしなかったと思います。プレデターに加入してからは7年ほどプレーして、Fリーグが創設されるタイミングでトップチームを退団する決断をしました。このまま必死に浦安のトップチームでプレーを続けて頑張っても、選手として日本代表まで登りつめることはないな、厳しいだろうなと、その決断を下してからは、セグンド(2軍)の選手兼コーチを続けながら、2007年の4月にバルドラール浦安の女子チームであるラス・ボニータスの監督に就任し、フットサルの監督としてのキャリアがスタートしました。
 
ラス・ボニータスの監督に就任したきっかけは、前監督がプリメーロ(トップチーム)のGKコーチに就任することになり声をかけられたことでした。どのカテゴリーの監督でもやってみたいという気持ちがあったので、「やります。やらせてください」と返事をしました。ただFリーグ開幕当初は現役選手への未練が少しだけありました。フットサル界が急に華やかな世界になりましたし、開幕戦はすごくお客さんも入っていたので、この場でプレーしてみたかったという気持ちにはなりました。とはいえ、トップチームを退団したのも、指導者やビジネスの世界で成功したいという思いがあってのことだったので、もう自分は自分の道を行くだけだなと気持ちを切り替えました。

フットサル界を盛り上げるためのアプローチにチャレンジ

女子チームを率いるからといって、何か特別なことをしたわけではありません。誰かを特別扱いすることもなく、そんなに優しい指導はしていませんでした。恐らく、選手の間ではいろいろと僕に対する不満を少なからず抱えていたかもしれません。昔から所属していた選手が反発してチームを去ったこともありましたが、そのシーズンも結果は出ましたので、自分のやり方は間違っていないと思えました。
 
その一方で、セグンドのほうは選手たちがトップチームに上がれない何かしらの理由があると感じながら指揮を執っていました。単純に能力が足りないのかもしれない。そうならばトップの選手以上に練習をしなければならない。地方から出てきている選手はセグンドでプレーするためにわざわざ地方から出てきているわけではないのですから、もっと覚悟を持ってやらないといけない。そんな話をすごくしていたと思います。監督として、オンとオフはしっかりと使い分けていたので、選手とは良い関係性を築けていたと思います。
 
ラス・ボニータスの監督は専任で始めてから2年間シーズン監督を務めて、そのあとはセグンドの監督を3年間やりました。そして2014-15シーズンからプリメーロの監督に就任しました。プリメーロには星翔太などの日本代表選手もいるため、トップクラスの選手経験がない自分にとっては、経験則で話せることが少ないので難しい部分はありました。でも、監督に就任した最初に、自分がやりたいことの軸をしっかりと伝えてやろうという方針を固め、あとは経験豊富な選手もたくさんいたので、選手起用の部分とチームの方向性をハッキリと伝えてシーズンに臨み、最終的にはFリーグ3位でフィニッシュしました。
 
軸とはチームとしての理念のようなものです。細かい戦術やディフェンスの方向性を選手たちにしっかりと伝えること。そしてお客さんあってのスポーツですから、自分たちに入り過ぎずお客さんの方向を見てプレーするように、といったことは口酸っぱく言ってきましたね。その集大成が2015年のフットサル全日本選手権準決勝・名古屋オーシャンズ戦における浦安の応援席の雰囲気です。プリメーロ以外のカテゴリーの選手を集めて、浦安というクラブの総合力を見せることができたと思っています。ただ、単純に名古屋はあの頃も強くて、結局試合は負けてしまいました。応援団の雰囲気は最高でしたが、僕自身も指導者として力不足でした。
 
クラブとして明確な理念を持って活動をしてきた一つの成果が、あの名古屋戦のスタンドの雰囲気に集約されていたと思います。プリメーロ以外に男子チームのカテゴリーが3つあって、女子チームも聴覚障害者のチームも有しているクラブの総合力の結集が、確かにあの日の代々木のスタンドにはありました。
 
その一方で、フットサルは人気商売でもあるので、監督就任初年度はどうやったらフットサル界が盛り上がるか。そういったことをすごく考えていて、フットサル界が盛り上がるならば、その手段は何でもいいかなと思っていたんです。スーツのパンツも寸足らずのものを履きましたし、特に初年度は監督会見でも結構角の立つようなコメントを意図的に残すようにしていました。九分丈に白のソックスという服装が評判になってるんですか? パンツを九分丈に白のソックスにしたきっかけは、あるファッションのムック本で、上下スーツで寸足らずのパンツに白のソックスというスタイルのモデルさんが載っていて、それがカッコイイと思ったのでこれでいこうと決めました。
 
そこまでしてフットサル界を盛り上げたいと思う原動力は、選手たちによりプロに近い環境でプレーしてほしいという思いと、フットサルは見るという視点でも魅力的なスポーツだと思うからです。フットサル人口も年々増えてきて、スクールの数も増加傾向にある。個人的にフットサルは日本の風土に合った成長の仕方をしていると思っているのですが、「日本のフットサルのトップリーグであるFリーグは、なぜこんなにイケていないんだろう」という葛藤があるので、常にフットサル界を盛り上げていきたいという思いを抱いています。

再びラス・ボニータスの監督に就任へ

2016-17シーズンの今季限りでプリメーロの監督を退くことになりましたが、今季は選手の入れ替わりが激しいシーズンでした。フットサルはフィールドプレーヤーが4人しかいないので、本当にしっかりとお互いのプレーの特徴を分かり合っていないと良さを出しづらいスポーツです。外から来た選手がパッと入ってきてもチームに馴染むまでには、時間がかかるなと痛感しました。
 
特に今季はシーズンの開幕前には主力選手が負傷で離脱し、シーズン途中には別の主力選手がチームを離れて、新外国籍選手も加入するなど、選手の出入りが激しく安定しないシーズンでした。昨季もエースがほとんどけがで離脱していて、経験豊富な選手もあまりおらず、自分のフットサルに対する深さのなさに本当に悩みました。今季は難しい状況の中でも、持ちこたえてプレーオフにギリギリで参戦できるぐらいの状況には持っていけましたが、最終的にはプレーオフには進出できずに自分の力不足を痛感しています(プレーオフ出場はリーグ5位まで。浦安は今季6位)。
 
新シーズンの2017-18シーズンは、再びラス・ボニータスの監督に就任することが決まりました。プリメーロで培った3年間の経験は何物にも代えがたいと思っていますので、その経験を選手やチームにしっかりと落とし込めるようにすれば結果は付いてくるはずです。強い意志を持って結果を出すこと。結果を出すために僕をラス・ボニータスの監督に戻したと、フロントからは言われているので、結果を出すことを肝に銘じて指揮を執りたいと思います。まずはピッチ内外を問わず、規律を守ってやること。それに基づいて選手の個性をしっかりと見極めながらチームを作っていけば良いのかなと思っています。結果を出すために何をすべきか。それを突き詰めていきたいと思います。

米川 正夫が選んだベスト11

うまくて好きな選手ベストイレブン

システムは[3-4-3]。ダブルボランチ、2枚のインサイドハーフに両ウイング、そしてトップにはイブラヒモビッチを配置する布陣です。
イブラヒモビッチは個人でなんとかしちゃうところがすごく好き。ウイングにはフィーゴと清水エスパルスにもいたジャウミーニャ。ペナルティーエリア内でジャウミーニャがヒールリフトでパスを出した場面を見て震えたことがあるので、彼を選びました。
あとはジダンにリバウド、デラペニャ、ペップ・グアルディオラ。デラペニャとペップのダブルボランチでは全然守れない二人かもしれないですね。
3バックはゼ・ロベルト。コイツはむちゃくちゃうまい。もともとはドリブラーで途中からボランチにコンバートされていたけどね。ほかにはCBが全然候補がいなかったから、バスコ・ダ・ガマとかにいてトヨタカップでも来日したことがあるフェリペ。あとはスペインのバレンシアにいたファビオ・アウレリオ。アウレリオという名前が好きです。GKはベタに足元がうまいのでノイアー。でもこのベスト11、全然勝てないかもね。
 
フォーメーション:3-4-3
GK/ノイアー(ドイツ)
DF/ファビオ・アウレリオ(ブラジル)、ゼ・ロベルト(ブラジル)、フェリペ(ブラジル)
MF/デラペニャ(スペイン)、ペップ・グアルディオラ(スペイン)、ジネディーヌ・ジダン(フランス)、リバウド(ブラジル)
FW/フィーゴ(ポルトガル)、ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン)、ジャウミーニャ(ブラジル)

米川 正夫 プロフィール

米川 正夫(ヨネカワ マサオ)

米川 正夫プロフィール

1980年5月9日生まれ、36歳。東京都杉並区出身。フットサル指導者/前バルドラール浦安プリメーロ監督。2007年4月からバルドラール浦安セグンド選手兼コーチとして、指導歴がスタート。以降、セグンド監督、バルドラール浦安の女子チーム、ラス・ボニータス監督やセグンド監督を歴任後、2014-15シーズンよりプリメーロ監督に就任。3シーズン、プリメーロの監督を務めた後に勇退し、2017-18シーズンよりラス・ボニータスの監督に復帰することが決まっている。

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