サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

横浜出身のサイドバックは大学時代にサッカーを観て書く喜びを覚え、サッカーダイジェスト編集部を経てフリーランスに。その経緯と、サッカーについて書く仕事に対する姿勢、さらに羽中田昌さんを取材して書いた最新の著書『必ず、愛は勝つ! 』の話まで、たっぷり聞かせてもらいました。

球児からサッカー小僧へ。戸塚少年のサッカーへ、そしてライターへの目覚め。

僕は昔、野球少年だったんです。でも、所属していたチームは神奈川県で優勝して、関東でもベスト8になるような強豪で試合に出られなかったんです。練習もきつかったので、小学校の学年が進むにつれてだんだん野球が嫌いになっていって、5年生の時にちょうど地区対抗のサッカー大会があったんです。それが初めてのサッカーでした。
野球では補欠だったんですけど、おそらく僕はチームで運動能力的に10人目か11人目くらいの序列だったと思います。だから11人でやるサッカーだと、試合に出られる。9人から11人。その2枠増で僕は野球少年からサッカー小僧に転身しました。
それから中学、高校、大学のサークルまでずっとサイドバックでした。特に足が速いわけでもない。フィジカルが強いわけでもない。強いて言えば、『キャプテン翼』の石崎君のように身体を張って頑張っていたからですかね。プロになろうなどとは全く思っていませんでしたが、運動は好きなのでサッカーはずっと楽しかったです。
大学1年生の冬に、高校のサッカー部の先輩であり、同じサッカーサークルに所属していた金子達仁さんが声をかけてくれて、高校選手権の増刊号を手伝ったのが、生まれて初めてのサッカー取材でした。金子さんはサッカーダイジェスト編集部員だったんですが、当時のダイジェストは人手が足りてなくて学生アルバイトを雇ってたんです。市立船橋の野口幸司さんや、武南の上野良治さんのプレーはよく覚えています。
僕が書かせてもらったのは400字くらいの試合原稿でしたけど、ものすごく時間がかかったのを記憶しています。でも、サッカーを観て書くという仕事は刺激的でした。大学4年間は毎冬、このアルバイトをさせてもらいましたが、あの経験がサッカー業界に入るきっかけになったのは間違いないですね。当時の就職戦線はバブルの超売り手市場だったので、広告代理店に入社してチャラチャラしたかったのですが、それは叶わぬ願いでした。
 

20年以上、貫く「現場で観たものを書くこと」

91年の春からサッカーダイジェストの編集部に所属して本格的に取材を始めましたが、最初は原稿を書いても書いても編集長やデスクに赤字で大量の修正を入れられてましたね。常に手元には血だらけのような真っ赤な原稿が残っていました。
ただ、考えてみれば原稿が下手くそなのは当たり前で、それまでは本なんて漫画しか読んだことがなかった。圧倒的にボキャブラリーが不足していましたね。表現なんて古いサッカー雑誌に書いてあったものを使うくらいで、そのくせ書き直しを命じられるといつもふてくされていて……。よく金子さんに居酒屋で「お前、あの態度はないぞ」と怒られていました。今、考えるとすべてありがたいことで、あのダイジェスト在籍の7年半で多くの人に鍛えてもらい、フリーランスになった今もそれは生きています。
フリーランスになって20年近く経ちますが、仕事はなんとかやらせてもらっています。特別なことはしてないつもりですけど、続けていることがあるとすればふたつ。
一つ目は「モノを書く時は現場で」ですね。今は専門チャンネルやネット中継も充実しているので、書こうと思えば自宅のテレビの前でも原稿は書けちゃうんですよね。例外的に行かないで書くこともありますが、その時はそれが分かるように書いてます。
もう一つは「仕事は絶対に断らない」。お話をいただいたら、スケジュールが合わないとか物理的な条件で受けられない場合を除いて、必ず受けます。せっかく僕のことを指名してくれたんだし、その期待には応えたい。そこからまた仕事が広がっていく可能性もある。サッカー以外の仕事もしていきたいので、逆に言うと仕事を断る理由が見つからないんですよね。そうして今後も仕事を広げていければと思っています。
「ゆめのはなし」というと大袈裟かもしれませんが、見たい景色は2020年の東京五輪でメダルとか、W杯ベスト8とか、その瞬間ですね。今まで辿り着いたことのない場所に行く、できれば日本人監督が指揮するチームを見たいです。そしてそこに立ち会って、サクサクと原稿を書きたい。
今までの経験でいうと、すぐに思いつくのはやはりジョホールバルです。延長戦からほとんどメモ取らずに観ていました。勢いだけで書いてましたので、サッカー専門誌の記者としてはアウトかもしれませんが、熱は伝わったかなとも思っています。熱は伝えなくてはいけないものだと思いますし、ひとつの言語だとも考えています。あの時のような興奮をまたサッカーを通して得たいですね。
 

98年、バルセロナの出会いから始まった「羽中田昌物語」が書籍化

30歳になった98年はフリーランスになった年だったんですが、会社を辞めて独立した直後に知り合いのカメラマンが住んでいたバルセロナに1ヶ月、遊びに行ったんです。ちょうど同時期に反町康治さんや羽中田昌さん、大倉智さんがそれぞれ勉強のためにスペインにいらしていて、話をする機会に恵まれました。今、振り返るとあの時は全員が無職だったのですが、現在は僕はともかく、みなさん、それぞれの分野で活躍されていますね。この出会いは本当に大きな財産となりました。
今回の『必ず、愛は勝つ!』は、その中のひとり、羽中田さんについて書いた本です。よく羽中田さんってどんな人? と聞かれるのですが、脊髄損傷という大怪我をしてハンディキャップを持ちながら一切の翳りがない、とても優しく前向きな方です。指揮しているチームが前節は勝てなかったとか、そういう話は時折聞きますが、僕らがよく言う瑣末な愚痴は一切聞いたことはありません。
それは奥様のまゆみさんの存在が大きいのかな、とも思います。彼女は本当に天真爛漫、元気の塊みたいな人で、人が出してしまうマイナスのエネルギーをすべてプラスに変えてしまうようなエネルギーをお持ちですね。
そういう意味では、この『必ず、愛は勝つ!』はサッカーを舞台にした物語ではあるのですが、サッカーの物語ではなく、ラブストーリーとしても読めるかもしれません。「車椅子だから世界一目線の低い監督になれる」とか、「諦めなければ夢は逃げない」という素敵なセリフを落としてくれたのもまゆみさんです。webマガジン「小説マガジンエイジ」連載中も、書き手としては彼女のセリフに何度も救われました。
興味のある方は、是非読んでみてください。まゆみさんのことがきっと好きになると思います。

戸塚 啓が選んだベスト11

日本がW杯で対戦した相手から選ぶベスト11

【システムなど】
フォーメーション:4-3-3 監督:ダニエル・パサレラ(98年アルゼンチン代表監督)
 
GK
ジダ(06年ブラジル代表)
DF(右から、以下同じ)
ハビエル・サネッティ(98年アルゼンチン代表)、ルシオ(06年ブラジル代表)、ソクラティス・パパスタソプーロス(14年ギリシャ代表)、ロベルト・ヤルニ(98年クロアチア代表)
MF
(アンカーと、左右インサイドハーフ。アンカーがトゥーレ、右がカカ。左がスナイデル)
ヤヤ・トゥーレ(14年コートジボワール代表)、カカ(06年ブラジル代表)、ウェズレイ・スナイデル(10年オランダ代表)
FW
ロナウド(06年ブラジル代表)、ガブリエル・バティストゥータ(98年アルゼンチン代表)、ダヴォル・シュケル(98年クロアチア代表)
 
思いつきで調べてみたら、世界的なビッグネームがゴロゴロ。ワールドカップという大会のスケールを、改めて思い知らされた気がします。
日本は98年から5大会連続で出場していますが、対戦相手が一番エグかったのは98年だと思います。同じ大会、同じ国からは、できるだけ選ばないようなバランスを心がけたのですが、それでも98年のアルゼンチンとクロアチアから2人ずつピックアップしていますので。バランスを度外視するなら、アサノビッチ(98年クロアチア代表)とシメオネ(98年アルゼンチン代表)も加えたかった!
06年のブラジルからも4人選びました。でも、ロナウジーニョは外しているのです! 日本戦には出場していないので、カフーもロベルト・カルロスもアドリアーノも選外にしているのです!! ベスト8で敗退しましたが、ブラジルのタレントはケタ違いでしたね。
ちなみに、日本がベスト16に進出した02年大会からは、一人も選んでいません。やっぱり対戦相手に恵まれたんだなと、再認識しました。
同じく16強入りの10年大会からは、辛うじてスナイデル(オランダ代表)を。あのオランダには好選手が揃っていましたが、カメルーンのエトーも、デンマークのベントナーやトマソンも、パラグアイのサンタ・クルスも、ここで選ぶほどのインパクトはなかったというのが僕の肌触りです。
 

戸塚 啓 プロフィール

戸塚 啓(トツカ ケイ)

戸塚 啓プロフィール

1968年、神奈川県出身。法政大学卒業後、サッカーダイジェスト編集部勤務を経て、98年にフリーランスに。『Sports Graphic Number』(文藝春秋)などでスポーツノンフィクションを手がけるほか、ゲーム解説も務める。近著に『低予算でもなぜ強い? 湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)、『不動の絆 ベガルタ仙台と手倉森監督の思い』(角川書店)、『僕らはつよくなりたい 東北高校野球部震災の中のセンバツ』(幻冬舎)などがあり、この春、最新作『必ず、愛は勝つ! 車イスサッカー監督 羽中田昌の挑戦』を講談社より上梓した。
 

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