サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

フットバッグの発祥は1972年の米国・ポートランド。もともとは病院でひざを手術した方のリハビリ・トレーニングの一環として、靴下に豆を詰めて蹴り始めたことがきっかけと言われている。その世界で、アジアで初めて世界一に輝いたのが、プロフットバックプレイヤー・石田太志である。フットバックとの出会い、プロとして生きていく決意、これからの夢を語ってもらった。

スポーツショップで見たスーパープレー集

僕がフットバッグに出会ったのは大学に入学したばかりの2003年4月でした。小学校から高校まで続けてきたサッカーを大学に入っても続けるかどうか迷っている時期に、スポーツショップでフットバッグのスーパープレー集の映像を見たことがきっかけです。ちょうどその時期、フットバッグを広めるキャンペーンが展開されていて、一つ1,500円のフットバッグを購入しました。
フットバッグは、直径5cmほどのお手玉のようなボールを足で扱いながらさまざまな技を繰り出す競技・パフォーマンスなんですが、最初はやり方がよく分かりませんでした。サッカーで言うリフティングの回数を重ねるイメージを抱いていましたが、動きは速く、何をやっているか分からないんですよ。そのスポーツショップに通って動きを観察したり、海外のサイトを読み漁ったり。見よう見まねでとにかく練習しました。僕が始める少し前からフットバッグをやっていた方とコンタクトを取って技を教えてもらったりもしました。週末に代々木公園でよく練習をしていたのですが、なかなかうまくはいきませんでしたね。リフティングのようにやっても、ボールは弾まないし、それこそできて3回か4回。ボールを蹴っているように見えるのですが、実際にはボールを止めて、蹴り上げる感覚です。だんだん技ができるようになると、その衝撃と達成感がものすごく、さらにハマっていきました。始めてから3カ月ぐらい経ったとき、フットバッグがプロモーションの一環としてペットボトル飲料のオマケとなり、記念すべき日本での第一回大会がお台場のパレットタウンで開催されました。もちろん参加しましたが、そのときは予選落ちで全然歯が立ちませんでした。
 

大学3年次にカナダへ留学

大学生活と並行しながら、フットバッグはずっと続けていました。途中でやめてしまう人も多かったんですが、アパレルのアルバイトが終わった深夜の時間帯など、ずっとトレーニングは続けていました。その頃にはもっと上手くなりたいと思うようになって、修行も兼ねてカナダへ留学しました。ワーキングホリデーを活用したカナダ留学の目的は主に3つ。まずは語学の習得です。04年に世界大会に参加したとき、海外のプレイヤーから直接アドバイスを受けることができればさらに技術を向上できると、彼らと積極的にコミュニケーションを図ったのですが、英語が分からずに結局は不完全燃焼でした。二つめはフットバッグの技術を高めるためです。カナダはフットバッグが盛んでしたし、レベルも高かったので、行けばきっと学ぶことがたくさんあるだろうと。三つめは就職活動に活かすためです。アルバイトをしていたアパレルの仕事にも関心があったので、海外のアパレルで働くと、就職活動の際のインパクトがあるかなと思い、履歴書を片手に150件ほど直接お店を回りました。一度行ったお店はもう行かないようにメモをしながら、ショッピングモールを片っ端から1件1件回った結果、採用してもらうことができました。
カナダでは、アパレルのアルバイトをしながら、1日4、5時間、英語の勉強やカナダのプレイヤーとトレーニングをしました。ただアルバイトのお金だけだと最後まで生活をできるか分からなかったので、少しでも生活の足しにしようと思い、路上などでフットバッグのパフォーマンスを見てもらいました。フットバッグは長い時間プレイする競技ではないので、どんなに頑張っても1時間くらいしかできないんですよ。最後はゼーゼーになり、ブレイクダンスをする人たちに囲まれながらパフォーマンスしていました。大会では一人でステージに立って演技をしなければなりません。足がブルブル震えてうまくいかない選手も中にはいますから、とてもメンタルを問われるスポーツなんです。人前で意識的にパフォーマンスができる環境を自分で作ることで、意図的にメンタル面を鍛えることができました。留学は実質10カ月間ぐらいでしたが、英語は日常生活に支障がないように話せるようになりました。最初はまったく話せず、カフェで値段の高いフラペチーノが3つもテーブルに置かれたこともありましたね。コーヒーを1杯頼んだつもりだったんですが(笑)
留学から帰国した後も大学に通ってアパレルで働きながら大会に参加していましたが、あるとき、ここからはフットバッグで生計を立てていこうと決意したんです。これまでそういう道を志した人は誰もいませんでしたが、思い切ってアパレルの道を退職し、プロに転向する決断を下しました。プロに転向すると言っても、フットバッグにプロという文化はないので、自称としての肩書きにはなりますが、フットバッグの道を極めようと決めたんです。
 

14年の世界大会で念願の世界一を達成

「World Footbag Championships」という世界大会に出場していく中で、少しずつ結果が出るようになりました。10年大会は11位、12年大会は16位。順位は落としましたが、それぞれ日本人最高位という記録でした。そして迎えた14年、ついにアジア人初の優勝を果たすことができました。実はこの大会は、これまでより強い思いで臨んでいました。前年の13年は出場を断念しているのですが、参加費が自費のため、出場するだけでも本当に大変なんです。そうして迎えた14年大会はクラウドファンディングという形で協賛金を募り、初めてその協賛金を活用して参加することができました。これまで以上に多くの人の思いを乗せて臨む世界大会。それだけにプレッシャーも感じていたのですが、周囲の人の力の大きさも痛感した大会でもありました。
優勝するまでのプロセスをお話すると、フットバッグのフリースタイルに出場し、30秒間で、いかに正確に多くの技を繰り出せるかという種目にエントリーしました。大会でやるプログラムを、練習のときにノーミスで終えることは1回もありませんでしたが、1、2回のミスならトップ10には入れるというプログラムでした。練習では、パフォーマンスを体に染み込ませるために何百回、何千回、何万回と練習を重ねてきましたが、一度も成功はしていません。でも、大会ではなんとノーミスでできたのです。練習では一度もできなかったのに、本番で120%の力を出すことができたのは、本当に多くの人の思いがあって、大会に臨むことができたからだと思います。
世界一になれた要因はもう一つあります。7年連続世界一に輝くなど、フットバッグの歴史上、最も技術が高いと言われているチェコ人プレイヤーの演技です。彼はノーミスが当たり前で、仮にその選手がミスをすれば会場内がどよめきに包まれるぐらいの選手なのですが、その彼が一度だけミスをしたんです。その結果、彼を上回ることができました。実はフットバッグの採点は、1秒間に5回の技を繰り出すため、あまりにも速すぎて演技を肉眼では評価できません。大会後、後日あらためてスロー映像を確認して、採点の結果が発表されます。
14年の世界大会は表彰台を狙っていました。実際の演技の自己評価から、ベスト3ぐらいに入れれば良かったなと思っていたぐらいの出来だったので、実際に自分の名前が3位で呼ばれなかったときは、「4位だったか。表彰台に立てずに残念……」と思ったぐらいです。3位、そして2位と名前が呼ばれて、僕の中では2位で呼ばれた選手が1位だと思っていたので、その選手が2位で呼ばれたことが不思議でした。「そのほかの選手でそんなにクオリティーの高い選手はいなかったんじゃないか」。そう思っていたので、まさか1位で自分の名前が呼ばれるとは思ってもいませんでした。「もしかして……」と思えたのは、名前が呼ばれる直前の瞬間です。1位で「TAISHI」の名前が呼ばれたときは、聞き間違えたのかなと、固まってしまいました。
1位は自分ではないと思っていたので、サプライズでしたね。世界一になったあの景色は鮮明に覚えていますし、周りが僕のことを称えてくれている画が僕の記憶の中に残っています。ちなみに2位だった選手は、僕がフットバッグを始めるきっかけとなった、あのスポーツショップで映像に映っていた選手なんですよ。14歳で世界一になったスタープレイヤーです。
フットバッグは体が小さなほうが有利に働きますが、技術は完全に彼が上です。でも、信じて日々のトレーニングをやり続けていると、願いは叶うものなんだなと、世界大会で優勝したことでそう思えるようになりました。
 

フットバッグの普及という役割

8月6日からフットバッグ発祥の地である米国のポートランドで世界大会が開催されます。いまは僕のことを支えてくださる方々がいらっしゃるので、毎年安定して世界大会には出場させていただいています。目標はもう一度世界大会で優勝することです。
そしてもう一つの目標が、1年間で最もインパクトを与えたプレイヤーがメンバー入りできるという殿堂入りを果たすことです。フットバッグ45年の歴史の中で、70人強の方々が殿堂入りしています。僕は14年からその候補には入っているものの、いまだに選ばれていません。まだアジア人で殿堂入りを果たしたプレイヤーはいないので、ぜひ入りたいと思っています。
現在は難易度の高い技にチャレンジしています。これまでは個人として、120%の力を発揮した上で、ほかの選手のミスを待たなければなりませんでしたが、仮にその技ができれば、ほかの選手の成績とは関係なく上位に入れると思います。フットバッグを広める活動をする上では、世界大会での2位や3位といった成績は意味がありません。だからこそ再び世界一を目指しています。
これからの僕の夢は、世界大会の優勝と殿堂入り。この二つを達成することと、僕の知らないところでフットバッグに興じる人がいる。そういう風景が日本各地に少しでも広がって、道を歩けばフットバッグをしている人たちが見える。いつかはそんな景色が当たり前になる日が来るように、フットバッグを広める努力を続けていきたいと思っています。
 

石田 太志が選んだベスト11

フットバッグをやったらうまそうなベストイレブン

システムは[3-4-3]。テーマは「フットバッグをやったらうまそうなベストイレブン」です。
 
GKはファンデルサール(オランダ)も好きですが、GKで名前がパッと浮かんだ選手がブッフォンでした。マルディーニはイタリアのカテナチオを象徴するような選手ですし、いるだけで存在感があるベッケンバウアーと同じように彼の統率力が好きです。カフーに関しては、サイドの攻撃参加が気に入っています。
イニエスタはそんなに目立たないかもしれませんが、単純にうまい。ジダンもメッシもボールタッチが柔らかいですし、普通にフットバッグがうまいと思います。ただフットバッグが一番うまいだろうなと思う選手は、ロナウジーニョ。「CGかな?」と思うぐらい高く上がったボールを止める技術がすごいです。フットバッグは蹴るよりも止める動作のほうが重要ですから。
前線は石田、ロナウド、ゲルト・ミュラーの3トップ。クリスティアーノ・ロナウドも考えましたが、石田を入れるとなるとメンバー入りは難しかったです(笑)。ちなみに僕は左サイドに流れます。真ん中が良いですが、中央で張れないので。ロナウドはボールタッチも良いですし、一番好きなサッカー選手でもあるので選ばせていただきました。
ゲルト・ミュラーは僕の世代の選手ではありませんが、昔の映像を見ている中でも、ワンタッチでゴールを決める映像が印象的でした。ズドンとシュートが入ることも同じ1点ですが、サッカーをやっているときの自分も裏へ抜けてワンタッチでゴールを決めるタイプの選手でしたから、ゲルト・ミュラーには勝手にシンパシーを感じています。
 
 
フォーメーション:3-4-3
GK/ジャンルイジ・ブッフォン(イタリア)
DF/パオロ・マルディーニ(イタリア)、フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)、カフー(ブラジル)
MF/アンドレス・イニエスタ(スペイン)、ジネディーヌ・ジダン(フランス)、ロナウジーニョ(ブラジル)、リオネル・メッシ(アルゼンチン)
FW/ゲルト・ミュラー(ドイツ)、ロナウド(ブラジル)、石田太志(日本)
 

石田 太志 プロフィール

石田 太志(イシダ タイシ)

石田 太志プロフィール

1984年4月5日生まれ。神奈川県出身。高校まで12年間サッカーを経験し、大学に入学直後にスポーツ ショップにて海外のプレイヤーのフットバッグビデオが流れており、今までに見たことのないスポーツに衝撃を受け、フリースタイルフットバッグを始める。2014年フットバッグの世界大会であるWorld Footbag Championships 2014にて優勝し、アジア人初の世界一に輝いた、日本を代表するフットバッグプレイヤー。2006年にはカナダに1年間、2008年にはヨーロッパに渡り、フットバッグの技術を磨きながら海外の多くの大会に出場し入賞。現在世界でただ一人のプロフットバッグプレイヤーとしてメディア出演やパフォーマンス活動、講演等も精力的に行っている。

 

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