小さい頃、小学三年生までサッカーはやっていました。GKでしたがある時、自身の起用法を巡って監督と衝突して……。主張の強い子だったんだと思います。逆に仕事をするようになった今は、いかにその主張をマイルドに先方に伝えるか、それに注力しています。
サッカーをプレーしなくなっても、サッカーを観るのはずっと好きでした。中学の時にJリーグが開幕して、その時は千葉に住んでいたのでジェフの試合が中心でしたが、色々なゲームが観たくて、鹿島や横浜の2チーム、ヴェルディなど、首都圏のスタジアムに親父に連れて行ってもらった記憶があります。
その後、カズさんがジェノアに行ってから、セリエAをきっかけに、欧州のサッカーに興味が広がってハマって行った感じです。サッカーメディアに触れたのも、この頃が最初でしたね。特に影響を受けたのは『CALCiO2002』という専門誌で、富樫洋一さんの原稿は勉強になったと同時に、読んでは腹を抱えて笑いました。
僕は小さい頃から人を笑わせるのが好きで、その中でも一番難しいのは、文字で人を笑わせることだと思うんです。でも“ジャンルカ・トト・トガシ”は、サッカーダイジェストのころから笑わせる文章を書いている人でした。『CALCiO2002』でもその力は存分に発揮されており、「俺もサッカーの世界で文字で笑わせてみたい」と思ったのが原点かもしれません。
ただ、冨樫さんは『CALCiO2002』巻末の編集後記で「サッカーライターたる者、英語はできて当たり前。スペイン語、イタリア語も日常会話くらいは~」とも書いていて、「そうか、サッカー業界ってインテリなのか。俺は帰国子女なのに英語もロクに喋れねえもんな、最悪だ」と、バイトして金を貯めて、最後は親から金を出してもらってロンドンに留学しました。それが22歳ですね。実際サッカー業界に入ってみたらそんなインテリは少数派でしたけどね。(笑)
今はなきハイバリーの近くに住んでいたけれど、なぜかスタンフォード・ブリッジによく行ってました。当時のチェルシーには、ベロン、クレスポ、マケレレ、グジョンセンがいて、ランパートも若手だった。懐かしいですね。