サッカーを愛して止まないあの人の ゆめのはなし

ずんぐりむっくりの体型から繰り出す左足のキックや、神の手を駆使してのパフォーマンスで各地のピッチを盛り上げるさすらいのエンターテイナー、ディエゴ・加藤・マラドーナ。イベントやサッカー教室に引っ張りだこの彼だが、実は、マリノスジュニア・ユースから帝京高校、順天堂大学、そしてワタナベエンターテイメントという異色の経歴を持っている。芸人になったきっかけと、マラドーナに扮したあの日をたっぷり語ってくれた。

Jリーグで活躍するカズさんと同様に、芸人という職業に憧れた25歳

大学を普通に卒業して普通に人材紹介の企業に就職したんです。23歳の時ですね。サッカーは、マリノスの先輩が関東リーグ2部だった頃のY.S.C.C.でプレーしていて「一緒にやらないか」と誘ってくれて、平日はしっかり働いて、週末に社会人サッカーを真剣にする。そんな暮らしをしていました。
ただ、昔の友達とサッカーができて楽しい一方で、ちょっとリアルに考えすぎちゃっていた時期でもありました。俺は定年までずっとこうやって生きていくのかなとか、思い出以外に何も残らないなとか、何も生んでないなとか。仕事でもないのにこんなに熱くなっていいのか、本来は仕事に一途になるべきなんじゃないのか。
ちょうどその時、お笑いブームというかレッドカーペット全盛期時代だったんです。お笑いの番組もたくさんあって。僕は「リンカーン」が好きで、その中で「DJ山口のミッドナイトリンカーン」という企画があったんですよ。
中川家さんの泣かせるエピソードが紹介されたんですけど、「ああ、芸人さんってカッコいいなあ」、「ああ、芸人さんってすごいなあ」と芸人さんがカッコ良すぎて、テレビの前の僕まで号泣しちゃったんです。小さい頃、Jリーグで活躍していたカズさんを観る目で憧れたというか、完全にときめきましたね。
もちろんお笑いの世界なんて考えたこともなかったですし、本当に恥ずかしいんですけど「俺、もう24歳だけどそっち行っちゃダメかな」と思ってしまったんですね。
結局、タモリさんが30歳デビューしたとか、ネットでいろいろ調べて、「やるなら今だ!」と思い切って仕事を辞めました。帝京時代のサッカー部の岸本拓也っていうチームメイトと「ダイヤモンズ」というコンビを組んで、ワタナベエンターテイメントのワタナベコメディスクールの門を叩いたのが25歳の春です。
 

ダダすべりして封印したマラドーナinファミレス

よく「ダイヤモンズ」は「ダイヤモンドサッカーから取ったんですか?」とか「レッズがらみだったですか?」と聞かれるんですが、一切、関係ありません。単純に響きでした。サッカーは僕らの特徴でこそあるとは思っていましたが、前面にそのキャラクターを出す気もなかったんですよ。
マラドーナが生まれたのは忘れもしない、コントを作ってた横浜でのネタ合わせでしたね。
「マラドーナがファミレスに来たら面白くない?」
「じゃあ、ユニホーム揃えようよ」
ネットで調べたら86年のメキシコW杯の時のルコックのユニホームが見つかったんです。背番号がフェルトで、短パンが短くていかにも雰囲気があったので、相方とテンション上がって「顔、塗ってくれ」って、マジックで顔に(陰影を)描いて……。予想以上に面白くビジュアルが仕上がったこともあり「これ、俺たち完全に売れたぞ!」と抱き合って喜んだのを覚えています。
そのネタを持ってライブに出ました。マラドーナが客としてファミレスに来るっていう設定ですね。
「いらっしゃいませ。飲み物は?」「ペリエ」「かしこまりました。ペレひとつ」「ペレじゃねーよ」
……今、説明するとちっとも面白くないですね。
ともかくサッカーボケを散りばめたのですが、「人ってこんなにすべれるのか」というくらい、ありえないくらいダダすべりしましたね。会場内の空調の音が響いてました。
そしてルコックのユニホームをタンスの一番奥に封印しました。
それでも縁というのは不思議で、その封印から2年後くらいですかね、スキマスイッチの常田真太郎さんが主催するSWERVESに声をかけていただいたんです。その時、常田さんに「何かサッカーがらみの芸あるの?」と聞かれて、一瞬、あのルコックが頭をよぎったんです。芸人として「ないです」と答えるのもどうかと思うので「一応、マラドーナが……」と答えました。常田さんは「それいいじゃん。やりなよ」と言ってくれて、Jリーグの前座試合で長居のピッチにマラドーナが立つことに。
そしたら、クッソウケたんです。
おそらく観客は出オチみたいに考えていたんでしょうね。僕は一応、ちゃんとサッカーできるので1プレーごとにどよめきが起こり、湧いたのを今でも覚えています。あれで迷いなくマラドーナをやっていこうと思えましたね。あれからサッカー系の仕事も少しづつ増えていったので、あの試合、セレッソと鹿島のサポーターには今でも本当に感謝しています。
 

目指すは還暦マラドーナ。加藤謙太郎の「ゆめ」

今はディエゴ・加藤・マラドーナとしてイベントやサッカー教室に出演させていただいている一方で、芸人さんや芸人さんを目指す人材を生かす会社を立ち上げて3期目を迎えます。
どちらも手探りで楽しんでやらせてもらっていますので、どちらも続けていきたいですね。
夢を語らせてもらえるのであれば、会社では代表取締役としてしっかり利益を出しながら50、60歳までディエゴ・加藤・マラドーナとして活動していきたいんです。
僕なんかとは比べ物にはならないのですが、例えば、ビートたけしさんは芸人としてはもちろん、俳優としても映画監督としても世界的にあんなに評価されているのに、今でも変な被り物して「バカヤロー!」と言ってテレビに出ている。最高にカッコいいじゃないですか。
50歳になって子供達に「アルゼンチンのユニホーム着た変な人がサッカー教えてくれた」と思われる。そのカッコ悪いカッコ良さに僕は強烈に憧れています。
また、僕はサッカー教室で「できなくたっていいんだよ」とよく言うんですけど、彼らがプロになれたら一番いいのかもしれないけれど、全員はなかなかなれないじゃないですか。それでもサッカーを好きになってくれて、ずっと好きでいてほしい。そんな願いもあります。機会があればグラウンドでお会いしましょう。
 

ディエゴ・加藤・マラドーナが選んだベスト11

影響を受けた芸人ベスト11

フォーメーション:2-2-3-3
監督:加藤謙太郎
 
GK:
島田紳助
DF:
ブラックマヨネーズ、東京03、サンドウィッチマン
MF:
宮迫博之、明石家さんま、古坂大魔王
シャドー:
ダウンタウン、とんねるず
FW:
松本人志、ビートたけし
 
芸人として本当に尊敬していて影響を受けた師匠と兄さんのイレブンです。
守護神に研究心や向上心が本当にすごい紳助さん。最終ラインは漫才やコントで結果を残した3組ですね。春夏笑冬(トリオ)時代の元相方、松本とブラマヨごっこをして遊んでいたのはいい思い出ですし、トリオ時代は東京03さんのコントで勉強させてもらってました。
中盤はサッカー好きな芸人さんですね。中央はやはり場回しの天才のさんま師匠でしょう。右に「炎の体育界TV」でお世話になった宮迫さん。左はPPAP夜明け前に『大!天才てれびくん』のサッカー企画でご一緒させてもらった古坂さん。
シャドーは東西の攻撃的芸人の代表の2組ですね。さらにトップはもう本当にカッコいい最高のおふたり。この名前が並ぶだけでワクワクしてきませんか?
 

ディエゴ・加藤・マラドーナ プロフィール

ディエゴ・加藤・マラドーナ(ディエゴ・カトウ・マラドーナ)

ディエゴ・加藤・マラドーナプロフィール

ディエゴ・加藤・マラドーナ、本名・加藤謙太郎。1980年神奈川県横浜市出身。ジュニア世代から横浜マリノス(現在のF・マリノス)ジュニア・ユースや帝京高校でプレーし、会社員時代もY.S.C.C.でプレーした経験がある。05年に脱サラし芸人に。『炎の体育会TV』や『大!天才てれびくん』などサッカーがらみの番組で活躍した。
15年に人材事業を主とする「Japan Staff Association株式会社」を設立する一方で、ディエゴ・加藤・マラドーナとしてサッカー教室やイベント出演もこなしている。(http://diego-kato.jp/
 

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